正月休みの取れなかった長女と日帰りコースで東京を歩こうかと。
以前、松の内に日本橋七福神を歩いたことがありましたが、結構な人出で小網神社の行列に並んでいる内に暗くなり、最後の水天宮、既に改装なって、ビルから入る形式になっていましたが、たどり着いた時には閉門されており、完遂できませんでした。(神田明神から日本橋七福神)
千葉からはるばる来たんですがなどと泣き言で粘りましたが冷たくお断りされてしまいました。
今回は松の内をはずれてはるかに正月末、各所の七福神巡りは大体7日~15日程度の期間なので、御朱印などももらえないところもるのかと思います。
1人で関係のない時期に下谷七福神を歩いたことがありますが、御朱印どころかお寺にはいれないところもありました。自分の調査不足でたどり着いていなかったというところもあったかしらとは思っています。
そこはまあ、歩くのが目的で御朱印をいただけるところではいただこうと言うところで計画します。
下谷七福神を入谷鬼子母神まで歩いて道路向こうの野田屋でウナギを食べるというのが自分の中での押しなのですが、前記の通り、松の内を外れると七福神が面白くなかった印象があって、経験していない人には淋しいだろうと。
奥さんと2人で歩いた浅草七福神は周辺を歩きすぎていていささか面白みにかけるかもしれない、
谷中七福神は昼飯を谷中銀座にすればおもしろいと思うけど、確かたっぷり3時間以上かかって、上野不忍池辯天堂にた取り付いた時にはヘロヘロになった記憶があり、少しハードすぎるような気がする、などなど悩みました。
娘が新宿から帰るので、日帰りコースとしたら、神楽坂から新宿まで歩く新宿七福神が適当なのではないかと提案します。新宿観光振興協会の関連パージを見ると、正月のみでなく、一年中御朱印をいただくことが出来る旨記載されています。
提案が採用されて、飯田橋西口10時集合とします。電車を調べると、古文書で日比谷図書文化館に向かうときに利用している9時3分千葉発「しおさい6号」で錦糸町ないし、東京まで行くのが便利そう。
なんたって、平日は快速グリーンが780円のところ特急の自由席なら520円でゆっくり座れていくところがよかったんだけれと…
3月の時刻表改定に伴って、京葉線の通勤快速廃止だけでなく、特急自由席がなくなる、快速グリーンが値上げするなど色々環境が変わってくるようです。
「しおさい」の車両自体も現在のE255系から、NEXで使用されているE259系に変更されていくということで、共用化を図るためか、NEXの顔も模様替えになって、黒い鼻がシルバーになり、NEXの文字が消えてSeries259と描かれるようになりました。
色のせいなのか昔よりお顔がふっくらしたような気がしてならなくて、無い物ねだりだけど前のNEXの方が圧倒的に格好よかった気がする…(写真左が最近のNEX、右は2019年の物井~四街道を走るNEX)
実はお詣り後の打ち上げで少々酔っ払っての帰りはなんと四街道駅停車のNEXで、帰宅することになったのですが。
神楽坂は何度もきているのですが、飯田橋駅については記憶が全くなくて新鮮な感じでした。
新宿七福神のリーフレットに七福神の説明があります。
「室町時代中期『仁王般若経下巻』にある「七難即滅・七福即生」を源とし、「幸いを招く信仰」として民間に広まったもので、正月にその歳の福を招来するため、七福神を安置する神社、仏閣に参拝するようになった。」とあります。
ネットでは小栗旬さん演じた天海大僧正が広めたという記述もありましたが、由来は明確ではありません。。
七福神の面子は時代により異なるものもあり、紆余曲折があったのだと。大國魂神社の説明では福禄寿と寿老人が同一神なので、代わりに吉祥天を入れる場合もあると。老人二人より女神二人の方が賑やかな気がしまが、弁財天は吉祥天の別名と言う記述もあるので、こちらも混乱しそうではあります。
新宿七福神は新宿側から廻るのが本来のルートらしいのですが、我々の神楽坂側からのルートに沿って七福神とお寺と神社の記述すると以下の通りです。
①毘沙門天 鎮護山善国寺 日蓮宗 創建:文禄4年(1595)神楽坂
毘沙門天は「毘沙門天王経」で福徳、知恵など十種の御利益があると記されている。また毘沙門は多聞を意味し、四天王の多聞天にあたる。善国寺の毘沙門天像は文禄4年の創建時にまつられたものだが、普段は御簾がかかっていて拝観できず、ご開帳日は正月、5月、9月の寅の日とのこと。
②大黒天 大乗山経王子 日蓮宗 創建;慶長4年(1595) 原町
大黒天は天部の守護神達であり、密教とともに日本に到来、最澄が毘沙門天・弁才天を合体した三面大黒を延暦寺の台所の守護神として祀ったのが始まりという。
本来の像容は、一面二臂、青黒か黒色で忿怒の相であったが日本では江戸時代以降大国主神と習合し柔和なお顔の「大黒さん」になったのだと。経王寺の秘仏、大黒天(新宿区有形文化財)は開基尊重院日静上人により身延山久遠寺 から移された。
日蓮聖人の高弟、日法上人作で厳しい顔をされているが、境内におられる石の大黒さんはニコニコです。
③弁財天 厳島神社 祭神は市杵島姫命(イチキシマヒメ)創建:応徳3年(1086年) 新宿
弁財天は、インドの神聖な川・サラスヴァティに由来したヒンドゥー教の女神で水の神であり、日本では水の神様市杵島姫命と習合し、畑の農作物にとって最も重要な水を供給するということで、五穀豊穣の守り神ともされる。
厳島神社の創建年は源義家が戦勝祈願したという説に由来しているようです。当社は「抜け弁天」と称され、苦難を切り抜けられる弁天社というのが由来ということらしいけど、社が3角コーナーに位置して、三角形の根本を南北に通り抜けできるようになっていることも関係するみたい。
④福禄寿 大久保山永福寺 曹洞宗 創建;慶安元年(1648)新宿
福禄寿は道教において福星・禄星・寿星の三星を神格化した三位一体の神様。子孫繁栄・財運招福・延命長寿の3つのご利益がある。福禄寿と混同しやすい寿老人との見た目の違いは福禄寿は宝珠を持ち、鶴を伴い、寿老人はうちわや桃を持ち、鹿を従える、ということのようです。
寿老人は寿星単独の神で延命長寿の御利益というと福禄寿の方に肩入れしたくなるんだけど・・・
⑤寿老人 春時山法善寺 日蓮宗 創建:貞享4年(1687) 新宿
寿老人については前記しました。法善寺には七面大明神(七面天女)像とも呼ばれ日蓮宗系において法華経を守護するとされる女神がおられるとの掲示がありましたが、ご開帳はしていないとのことでした。
⑥布袋和尚 霞関山本覚院太宗寺 浄土宗 創建:寛文8年(1668) 新宿
布袋和尚は唯一実在の人物で、後梁時代(906ー921)中国浙江省の契此(かいし)というお坊さんがそのモデルになったとされる。いつも大きな袋をかついで各地を行脚したことから布袋さまと呼ばれるようになった。訪れた先々で貧しい人々に出会い、救いの手を差し伸べ、袋の中から必要な物を与え、救われた人から御礼にと戴いた物などはまた袋の中に入れ、再び行脚の旅に出た。
その徳の高さから布袋は、中国の弥勒菩薩信仰と交わって「弥勒菩薩の化身」といわれるようになり、日本では福の神として庶民の人気を得るようになった。
太宗寺は慶長元年(1596)に僧・太宗が開いた「太宗庵」が前身。安房国勝山藩主であった内藤正勝の葬儀を行ったことを契機に内藤氏との縁が深まり、寛文8年(1668)に長男重頼から寺地の寄進を受け、太宗を開山として太宗寺が創建された。院号は正勝の法名を拝している。
其後、内藤氏は信濃国高遠藩へ移封されたが、太宗寺はその後も高遠藩内藤氏の菩提寺として、歴代藩主や一族の墓地が置かれている。
⑦恵比寿神 稲荷鬼王神社 祭神:宇迦之御魂神 創建(稲荷神社):承応2年(1653)歌舞伎町
恵比寿神は、唯一日本由来の神様。伊邪那岐命と伊邪那美命の最初の子である蛭子の神という説と、大国主命の子である事代主命という説がある。ということで、大国主命の習合した大黒様の子供として扱われることがあるのだそうです。
釣竿を持ち鯛を抱える姿から恵比寿は漁業の神様。そのほかにも、航海安全や商売繁盛などのご利益がある。
稲荷鬼王神社は天保2年(1831)、大久保村の氏神であった稲荷神と、熊野から勧請された鬼王権現(祭神:月夜見命・大物主命・天手力男命)を合祀し、稲荷鬼王神社となった。
其後、鬼王権現は廃絶されているため、唯一の鬼の付く神社ということで、鬼が祀られているのではないのだと。
番外 西向天神 祭神:菅原道真 創建(伝):安貞2年(1228)高山寺明恵上人勧請
抜弁天の厳島神社は無人で御朱印は少し離れた西向天神でもらえとのことでお詣りしました。かなり広大な神社でちらほらと梅の花がほころび始めていました。
境内に、「新宿の女」の石碑がありました。長女は宇多田の母が藤圭子というのは知っていたけど、藤圭子の唄う「新宿の女」は知らなかったようです。
なぜに石碑が、というところは藤圭子デビュー時の出陣式が西向天神で行われたというこに由来するらしい。西向天神は法善寺の墓地を通り抜けて向かったので、順番としては5番と6番の間にお詣りしたことになります。
神楽坂から新宿へ向かう途中、次女の幼い頃の手術でお世話になった東京女子医大、親戚の菩提寺である浄栄寺に行くのに迷ったこと(一周忌)・・・
もっともっと昔の二十歳の頃に後楽園球場で行われたグランドファンク・レイルロードのライブの後に汗と雨でびしょ濡れになった体で矢来町の友達の家まで二人で歩いたことなど様々なことが浮かび上がってきました。
歩いている内に奥さんと娘の間で話が進み、どこかでお茶して一休み、大江戸線で神楽坂に帰って食事しようかということになったみたい。
こっちはもう、東京歩いているだけで嬉しいので、全面的に異議なしなのですが、どうも「お茶して」は自分の足腰を気にしてくれた様子。歩数が進むと腰痛がでてくるのは確かなので有り難いのですが、むしろいったん休んでしまうと再起動にイナーシャがかかるので歩き続けたいと申し出ます。
最後の稲荷鬼王神社をお詣りしたのが14時半頃、大江戸線で神楽坂に戻ってお店を探しますが、なんとどこもランチ営業を終えて、どうも再開する17時を待つ必要があるということが判明。
歩き回ったあげくロイヤル・ホストにするかと言う話をしているところでなんと灯りが煌々と輝く飲み屋さんを発見。ささやかな打ち上げ後、飯田橋で娘と別れました。
実は朝、善国寺にお詣りして、キャップをリュックのカラビナにかけたつもりが甘かったらしくて、落としていることに気がついたのですが、そのキャップが善国寺境内にぶら下がっていて無事回収、神楽坂に戻ったことの御利益がありました。拾ってくれた方有り難うございます。
東京まででるとなんと四街道止まりのNEXがある、ちょっと高かったけど楽ちんでした。全行程23,000歩、でもゆっくり歩いたので早歩きは17分でした。