「はいかい」のつづき

【本記事は、「わかさはいかい」の使用できるサーバー容量が満杯になり、あたらしい、ブログ「わかさぶるうす(若狭風流水)」を始めた時のものです。今、旧サイトから記事を転送中ですが、「わかさぶるうす」の内容も「わかさはいかい」としてまとめて、転送しています。】

敦賀ぐらしが続きます。「わかさはいかい」を終えてちょっと気が抜けて、なかなかスタートできませんでした。

徘徊の続きのタイトルは「わかさはいかいⅡ」でもよかったのですが、ちょっとひねりたい。

一応、「わかさ」にこだわろう、「はいかい」に変わる言葉としてなにかないか・・・色々考えて「わかさぶるうす」という言葉が思い浮かびました。

201303026285202いまさら「ぶるうす」かよと、ちと恥ずかしくて、 こじつけます。

「わかさはいかい」で岡野玲子作『陰陽師』第8巻「太陰:安部清明 天の川に行きて雨を祈ること・・・」を記事にしました。(「水の国、水の森」

物語は安部清明が京の都の雨乞い行のために、若狭から吉野まで水に関連する地を巡るのですが、若狭を「水の国」、瓜割の滝周囲を「水の森」と呼ぶという記載があり、印象に残りました。

水の国の鵜の瀬と吉野玉置神社を結ぶ直線状に水の道があり、その丁度1/2の地点に東大寺二月堂があるとの記載もあり、「お水送り」寓話を補完するような話にもなっていました。

陰陽道としての位置づけについては判らないのですが、若狭は古くは九州や隠岐等と並んで朝鮮半島を通じての大陸文化の上陸地点としてあったのだろうということ。

また「鯖街道」の名前の通りに、海の幸、魚、塩などを京に供給する地であったことなど・・・

大陸文化の伝播の流れと都の生活の糧の流れを表す、象徴的なものとして、「水の流れ」を模し、若狭を起点として、若狭を「水の国」と、とらえられることがあったのではないか・・・

と、勝手に考えています。

とまあ、「わかさ」=「水の国」から水にもこだわりたい・・・ということで、「わかさぶるうす」と・・・

「風まかせに流れゆく水」で「風流水」、これで「ぶるうす」と読ませて「若狭風流水」と、まあ・・・かなり冷や汗もののこじつけです。

2日の「お水送り」で始めることにします。
東大寺2月堂のお水取りは修二会の中で3月12日に執り行われます。

その10日前の3月2日に若狭鵜の瀬においてお水送りのお祭りがおこなわることはご存知の通りです。

神宮寺の境内の閼伽井戸(あかいど)に湧く水を汲み、鵜の瀬に注ぎ込むと10日かけて、送られた水は二月堂若狭井に届くとされています。

東大寺公式サイトの説明をお借りします。

「12日の「お水取り」で内陣に運ばれたお香水は、大きな桶の中でしずめられた後、13日の神名帳、大導師の祈りの間に晒の布を用いて濾され、内陣須弥壇下の石敷きに埋め込まれた甕の中に納められる。

神、是を嘆きいたみて、其をこたりに、道場のほとりに香水を出して奉るべきよしを、懇に和尚にしめし給ひしかば、黒白二の鵜、にはかに岩の中より飛出て、かたはらの樹にゐる。

その二の跡より、いみじくたぐひなき甘泉わき出(いで)たり。石をたたみて閼伽井とす。』

とあり、魚を採っていて二月堂への参集に遅れた若狭の国の遠敷明神が二月堂のほとりに清水を涌き出ださせ観音さまに奉ったという、「お水取り」の由来を伝えている。」

さらにお水取りで組まれた水について下記の様に記されています。

「12日の「お水取り」で内陣に運ばれたお香水は、大きな桶の中でしずめられた後、13日の神名帳、大導師の祈りの間に晒の布を用いて濾され、内陣須弥壇下の石敷きに埋め込まれた甕の中に納められる。

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その内一つは「根本香水」を納める甕で、「お水取り」で汲まれた水を毎年追い足ししてたくわえているものをいう。

行中にこの根本香水を使用して減った分を補充するので、「お水取り」の歴史の分だけのお香水が渾然一体となったものといえる。

史料には「根本香水之事」として、「この香水はこれ天平勝宝年中、実忠和尚兜率の内院の八功徳水を以って此宝瓶に入、此堂中に納」と記されている。

また、これとは別に「次第香水」といって、その年「お水取り」で汲まれた水を容れる甕がある。

次第香水を容れる甕は、残り少なくなったものをすべて汲み出し、更に晒で甕を掃除してその年の新しいお香水を納める。

この甕の掃除は11日の日中の後、壇下の掃除の時に行なわれ、甕から汲み出されたお香水の残りは湯屋に下されて参詣者にも分け与えられる。

また、この次第香水は、修二会満行後、毎月18日の二月堂での寺役法要の間にその年の堂司の役のものによって汲み出される。

その量に限りがあるので更にそれを二月堂の湯屋の井戸水で割ったものを小瓶に入れて二月堂受納所で一般に頒布している。 」

遠敷に関しては、「わかさはいかい」の「遠敷 鵜の瀬・神宮寺」で記事にしました。

遠敷明神は若狭彦神社、姫神社を指し、また、東大寺開山の良弁が鵜の瀬のある下根来白石の出身とされていること。(良弁の出自については異説はあるようです。おなじく「お礼参り・大山寺」

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修二会を始めた、実忠はインドの渡来僧で、良弁に師事し、神宮寺で修行していたが、良弁に乞われて、東大寺の創建に携わったこと。
お水送りに関係して若狭と東大寺にまつわる因縁の物語も面白いと思います。

なるべく、参加したいお祭りなのですが、夜遅くなること、曜日に関係なく3月2日に行われるため、平日の時にはなかなか来ることができません。

今年のように土曜日に重なる時がチャンスとなります。

地元の人のお話をうかがっていると、昨年手持ちの松明を1200本用意して、売り切れ状態だったので、今年は1800本用意してるんだけど、まだ1000本しかでていないんだとか・・・

新聞報道によると3,000人以上の人出があったといいますから、きっと最後には売り切れに近い状態にはなったのだろうとは思います。

神宮寺境内での行事が終了し、松明を買った人達が並んで、焚き上げから松明に火を移している間に、鵜の瀬に向います。

鵜の瀬では規制が厳しく、河原に降りることは出来なくなっていました。規制しているボランティアと言い合っている人もいました。

河原に降りて撮影ポジションを確保している人達を指して、「どうして彼等はいいんだ?」「報道関係の人達です。」「・・・・」

大分遠いところからの撮影になり、河原の動きがよく見えません。河原にも焚き上げができて、神宮寺から運んできた、松明がくべられています。

松明を運んだ人達は河原にとどまることは許されずに追い出され、自分がカメラの陣取りをしている道路の所まで上がってきていました。

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安全を考えると止むを得ない面もあるかと・・・でも、松明を買って、熱い思いをして行列してきた人たちに、もう少し参加させてあげてもいいのではないか・・・そんな想いがします。

お水送りが終わり、わかさに春が訪れるはずでしたが・・・

今年は冬が戻り、春になりかけてはまた冬が戻りを繰り返し、それでも桜は早足で去っていきました。

今五月の半ばを過ぎて、ようやく初夏の気持ちいい日が続く様になっています。

くまじい
阿佐ヶ谷生まれの73歳

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