光琳の墓

今年のお正月に隅田川(向島)七福神詣の話を記事にしました。 その中で、言問団子の都鳥の図柄の皿に引っかかり、その初代作者である、三浦乾也が長命寺の寺域に窯を構えていたこと、乾也の「乾」は乾山からきており、入谷で亡くなった乾山の「伝書」を与えられた第六世乾山を継いでいたことを知りました。

隅田川七福神詣

1月1日の夜、看護師の長女が夜勤明けで帰宅します。 以前は睡眠不足の状態で平気で車で帰ってくるので心配していましたが、人の言うことを聞くはずもなく、無視されていました。40歳を迎えて、さすがに体力に自信がなくなってきた様で、煩く言うまでもなく、電車で帰ってくるようになり、余分な心配をすることもなくなりました。

三の酉

11月25日は三の酉。日曜日に重なったでので奥さんと二人で鷲神社に出かけます。 自分はもう掻き込む熊手は用済みですが、奥さんは個人事業主で仕事を続けているので、商売繁盛に関しては、まだまだ現役なわけです。