遠敷明神

若狭彦神社の若狭彦神、若狭姫神は土地の名前から遠敷明神とも呼ばれます。(10月10日の続きです。)

若狭彦神、若狭姫神の二神は714年9月10日に遠敷郡下根来村白石の里に「降臨」※したとされています。

若狭彦陣神社

両神が現れた白石の里に若狭彦神社が創建されますが、翌715年9月10日に現在の彦神社の地に遷座されます。

721年2月10日、若狭彦神社より分祀して若狭姫神社が創建され、総称としては若狭彦神社の上社(彦神社)、下社(姫神社)となります。

若狭姫神社

若狭彦神社が遷座された後、二神の降り立たれた白石には、若狭彦神社の「境外社」(主祭神を祀る境内の外にある小規模な社を言う)として白石神社が備えられます。

白石神社

白石神社と若狭彦神社、姫神社の位置関係は下図のとおりです。(再掲)

前回の神宮寺が 若狭彦、姫神社(遠敷明神)の神願寺として建立されていますからこの一帯全体が広く遠敷明神の神域としてあったということになります。

小浜市遠敷地図2.jpg

鵜の瀬にある白石神社は白石大明神の登りが目立ちますが、鬱蒼とした森の中に、立派とは言えない社がポツンとたっているだけです。

神社の境界がどこになるのかもよくわかりませんでした。

白石神社

社殿そのものは最近のもののようで、さらにそれを仮設のような板張りの外壁が囲っています。

正直いうと厳かというよりは夜には近づきがたい雰囲気というか・・・畏れ多くも口にしてしまうとちょっと気味が悪い雰囲気・・

白石神社

周りのこま犬や樹の根は苔で覆われていて、良く言えば歴史を感じさせると言うところですが、人の手が入っていないことがあきらかな感じです。

「若狭デジタル文化財」(小浜教育委員会)に白石神社の周囲の椿の森についての記述がありました。

白石神社

「白石神社の境内は、大小の椿の木が群生している。樹齢1,000年以上たつという根廻り4.3mのものが代表的な古木となる。

その他に1m以上のものが8本、50cm以上のものが5本、50cm下のものに至っては30本をこえ、花期には森を紅に彩る景観は人目を奪うばかりである。

口伝に依ると、白石神社境内の椿の森は遠く鵜の瀬山の山麓まで続く、広大な地域であったが、豊臣時代検地のとき、白石神社の境内地のみ切りはなして独立させたものだという。」

さらに、山口誓子の句碑、「瀬に泌みて奈良まで届く蝉のこえ」があるとの記述がありますが、記事を書こうと思って調べて判ったことで、椿の古木も句碑も確認していません。

ただ、ただ、社の放つ、異質な雰囲気に圧倒され、森の奥にも入り難い感じでした。

帰ってから、椿の古木のことを知り、県立美術館で鑑賞した「森と芸術展」での神の宿る「杜」のことを思い出しました。

鵜の瀬、白石神社から 一旦、曹洞宗久屋山見昌寺まで南下し、Uターンして神宮寺、若狭彦神社、若狭姫神社を目指しました。

見昌寺 サザンカの古木があったが枯れてしまったらしい・・・

元々、遠敷を遡る道は鯖街道の一つだったと思うのですが、地図で見ると途中から自動車道路としては途切れているようです。

見昌時から暫く行きましたが、狭くなってきて、歩く用意して次回・・・と。北上して神宮寺をお参りし、さらに若狭彦神社に向います。

若狭彦、姫神社は、延喜式神名帳に「若狭比古神社二座」と記載されている由緒ある神社になります。延喜式神名帳は927年に表されたもので、当時存在した2861社(3132座)の官社名を記したものです。

若狭彦神社

ここに記載されている神社は「式内社」と呼ばれ、その他の神社は「式外社」と呼ばれます。

式外社は要するに官社ではなかったということになるのだと思いますが、当時、官社以外の神社というのはどういうものがあったのだろうか・・・調べると次々に調べなくてはいけないことが広がってしまい、ちょっとお疲れ気味。

若狭彦神社

「若狭比古神社二座」のうち若狭国一宮が上社彦神社、二宮が下社姫神社とされます。

官社のうち、国の中央の神官から幣帛(へいはく:お供えや現金)を受ける神社を「官幣」、地方の国司から幣帛を受ける神社を「国幣」と称します。

若狭彦神社

官幣、国幣それぞれ、大、中、小に格が別れて受ける幣帛の量が決められています。

若狭比古神社の旧社格は「国幣中社」。すなわち地方管轄の中規模の神社ということになります。

若狭彦神社

現在、祭祀は下社(若狭姫神社)を中心に行われていて、神職も下社におり、彦神社は無人になっています。

若狭彦神社は畳・敷物業の神ともされ、現在はインテリア関係者の信仰も集めるのだそうです。

若狭彦神社

冒頭にも書きましたが、上社若狭彦神社は若狭彦大神(彦火火出見尊)を、下社若狭姫神社は若狭姫大神(豊玉姫命)を祭神とします。

彦火火出見尊(日本書紀、古事記では火遠理命)は海彦、山彦神話の山彦にあたります。

若狭彦神社

両社の神紋は「宝珠に波」で、彦火火出見尊が龍宮で手に入れた潮を自在に操る潮盈珠・潮乾珠に因むものなのだそうです。

Wikipediaに古事記と日本書紀の「海彦、山彦神話」の内容が記述されています。要約すると下記の様になるのかと思います。

若狭彦神社

山彦は狩猟を、兄(海彦)は漁をなりわいとしていた。

ある時、二人の道具を交換して猟をしますが上手く行かなかった上、山彦は兄の釣り針を失くしてしまいます。兄は弟を責めて代わりの針を受け取りません。

若狭姫神社

山彦は兄の許しを得られぬまま、釣り針を探し求めて海宮(龍宮)にたどり着き、海神(豊玉彦)の娘・豊玉姫(古事記では豊玉毘売命)と結ばれます。

山彦は龍宮で3年を過ごしますが、兄の怒りを思い出し、豊玉彦に事情を説明し、針を探し出してもらいます。

若狭彦神社

山彦は兄に針を返すため、龍宮を後にします。豊玉姫と別れる際に、潮の満ち干を操る珠(潮盈珠・潮乾珠)を授かり、兄の対応に応じての珠の使い方を伝えられます。

釣り針を返した後も兄はさらに山彦を苦しめますが、潮の満ち干を操ることにより、兄を懲らしめ、臣従させることを約束させます。

若狭彦神社

山彦の子を宿した豊玉姫は山彦の元を訪れ、出産します。

豊玉姫は出産時の姿を見ない様に懇願しますが、不安に思った山彦は覗いてしまい、豊玉姫が鰐(龍)の姿となり、出産している様子を見てしまいます。

若狭彦神社

山彦に見られたことに気づいた豊玉姫は悲しんで、妹の玉依姫を乳母として残し、龍宮に戻ってしまいます。

生まれた子供は盧茲草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)と言い、叔母に当たる、玉依姫と結婚して、4児をもうけます。

若狭彦神社

その第四子、神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)が神武天皇に当たるのだそうです。

彦神社の脇に盧茲草葺不合尊を祀った若宮神社が設けられています。

盧茲草葺不合尊を祀った若宮神社

彦神社をお参りして、姫神社に向います。

旧暦の9月10日に降臨されたということから、太陽暦の10月10日に遠敷祭りが行われるということで、姫神社はお祭りの最中。

境内に屋台がでて、人出があり、雑然としていました。

若狭姫神社

若狭姫神社は安産・育児に霊験があるとされています。

境内には子種石と呼ばれる陰陽石や、乳神様とよばれる大銀杏などがあります。

若狭姫神社

下社である姫神社の社務所で、彦神社、姫神社双方の御朱印を頂けるとのことで、御朱印帳の見開きに双方の記帳をしてもらいました。

今までのお寺の華麗な添え書きと異なり、素朴な字の添え書きでした。彦神社は「弌の宮」、姫神社は「遠敷明神」とあります。

若狭姫神社

大分時間が経ちました。5時頃から「もみじ・もみじ」の宴会が始まりそう。酒はまだ飲めそうもないけど、表彰式のお手伝いに五縁に向います。

瓶ビール一本だけ、ちびりちびり飲んでお付き合いをしました。少しだけ、酒復活の道を歩みます。

若狭姫神社

※降臨:二神が「示現」されたと記載されている記述もあります。

「示現」という言い方はこの地に降臨されたのか、いずれの場所に降臨されてこの地を訪れられたのかをあいまいに言うことになるのでしょうか。・・・「示現」を調べると神仏が姿を換えて現れることとあるので、「降臨」と余り変わりはないのかもしれません。

下記を参考にさせていただきました。
「若狭デジタル文化財」(小浜教育委員会)
雑誌「一個人」日本神様と神社入門
Wikipedia

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くまじい
阿佐ヶ谷生まれの73歳

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