和良比はだか祭り

四街道「和良比はだか祭り」は別名「どろんこ祭り」と呼ばれ、五穀豊穣と厄除けを祈る和良比皇産霊みむすび神社の伝統行事。

毎年、曜日に関係なく2月25日に開催されます。今の住まいに引っ越ししたのが、30年位前になりますが、その時に一度子供を連れて見に行った記憶があるのですが、その後、なかなか機会がありませんでした。

今年30年振りに写真でも撮りに行こうかと….400mmをバッグに入れて出かけます。

祭りは午前中の豊作祈願の神事から始まるとのことですが、ネットで見ると、神社で執り行われる神事は一般の見学ができないとの記載があります。

まあ、神事に参加できなくても、神社を覗いてみようと思っていたのですが、結局、家を出たのが、12時過ぎになります。

今夜は2月生まれの娘二人の誕生日会が予定されていて、バアバは昨晩から来ていた次女と孫を連れて、千葉にお買い物に行っています。

お祭りの屋台が出ているようなので、昼飯がてらにでかけるかと。境内に着くと、1時からの裸衆のお詣りに備えて、カメラを携えた人達がたむろしています。

お祭りの法被を着た方に聞くと、お祭りが始まると神社と神田しんでんの間を裸衆が数回往復するけれど、その往復する道は一般の人は通行禁止で通れなくなる。

裸衆に付いて廻ることができないので、写真を撮る人は神田で待つか、神田から戻ってきた裸衆が焚火で暖を取るところを狙うか選ぶ必要がある。

往復は3回くらいかね、昔はお百度参りみたいに、何回も往復したんだけどね。と。

ご近所さんとしては今年だけではないし、境内は次回にして、今年は取りあえず、メインの神田で待ち構えることにするかと。

神社と神田は遠くはないし、裸衆が往復する参道とは別に、裏の住宅街を抜ける道があるので、時間に余裕があれば適宜往復しようかとは考えていました。

少し様子が分かったので安心して屋台の焼きそばで昼食します。今夜の誕生会がなければついビールでもというところですが、我慢我慢。焼きそば屋のおばちゃん、山盛りに詰めてくれて、少々苦労しますが、完食。

神田に行くと、もう周りはカメラ抱えたご同輩や場所取りの三脚がずらりと並び、隙間がありません。

神田の脇を登って行く坂から神田を見渡すことができて、そこにもカメラ抱えた人が並んでいましたが、坂の一番上で、若干立木の枝が鬱陶しいところに隙間があり、入れさせていただきました。

隣の男性、奥さんの属するカメラサークルの撮影会に運転手で来て、駐車場なければ一旦帰って、また迎えに来ようと思ってたら、臨時駐車場に停めることができたので、という千葉市の方でした。

1時になると花火が上がり、神事を終えた裸衆が50人程でしょうか、皆、頭の絞りにワラを挿して進んできます。その先頭の裸衆達、何人かが、胸に着飾った新生児を抱えています。

新生児を抱えた裸衆が田んぼに降りて、ワラを筆にして泥を新生児の額に塗りつけるのが「幼児祭礼」(子ども参り)という行事で、厄除けになるとの言い伝えがあるのだと。

その後、後ろに続いた裸衆が、続々と神田に入り、頭のワラを抜き、稲に見立てて、神田に植え、終えると神社に戻っていきます。

子供に泥を塗る「筆」、または稲に見立てるワラは「しめ縄」の藁を用いるということです。

神社と神田の往復を3回繰り返すと祭儀は終了し、次は子供を置いた裸衆達だけが神田に入り、輪になると十組くらいの騎馬戦が始まります。

騎馬戦と言っても勝敗は関係なく、皆で崩し合い、崩れた裸衆は、周囲の人間に泥水をかけ始めて、最後は泥のぶつけ合いになると終了です。

これも3回繰り返すのだと、泥遊びで泥だらけで冷え切った身体を焚火で温めるところは確かに絵になるのかもしらんと、2回目の騎馬戦終了後に、裏道を通って境内に戻ります。

境内では焚火を囲んだ裸衆にカメラが群がっていますが、泥の付き方の激しい人、特に顔の汚れ具合のいい人が人気者で、カメラが集中しています。

泥だらけで震えつつ焚火にあたっている裸衆にあんパンが配られ、続いて御神酒が振る舞われます。「なぜか何時も『あんパン』なんだよな~」と裸衆の話。

この神社はいつもは人がいないので、禰宜さんというのではないな気がして、氏子の役員、というのかよく解りませんが、三宝に用意した泥をワラを使って希望者の額、頬などに塗ってくれています。

泥をいただいた人は今年は健やかに過ごせることを信じて、最近健康に冨に自身を失いかけているくまさんも額に塗っていただきました。

以前、お詣りしたときに神皇産神社のことを調べてフェースブックに記述しました。以下に再整理してみます。

天地創造に関わる神々は、天之御中主神あめのみなか高皇産霊神たかみむすひ(高皇産巣日神)および神皇産霊神かみむすひ(神産巣日神)の順に出現する。

うち、2番目、3番目の高皇産霊、神皇産霊を併せて、皇産霊みむすびとして、両神を祀る例があるようですが(北九州皇産霊神社 )、四街道市のホームページによると、和良比神皇産神社の御祭神は下記のようです。

和良比字中山(皇産霊神社の現在地)に、弘仁2年(811年)創建の香取「山倉大神」から、古くに「大六天」が勧請されたといわれています。

仏教の世界で、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六道のうち、地獄~人間の五道は「欲界」に属する。

もう一つの天上界の中がさらに細かく別れていて、そのうち、人間界に近い最下層に「六欲天」があり、下層の五道と同じ欲界に属している。

大六天(第六天)はその六欲天の最高位「他化自在天たけじざいてん」を指す。

和良比大六天には古くは建速須佐之男命タケハヤスサノオノミコトおよび高皇産霊大神タカミムスビノカミが祀られていたが、地区内の真言宗豊山派吉祥院に分祀。

明治期の神仏分離令の際、高皇産霊大神タカミムスビノカミが大六天に合祀され、現在の「皇産霊神社みむすびじんじゃ」となった、ということらしい。

調べた中には、神仏分離の際、多くの大六天神社は、神話の世界の神世七代の第六神である淤母陀琉神おもだるのかみ阿夜訶志古泥神あやかしこねのかみを祀る神社となる例が多かったという記事がありました。

・・・ということからすると、和良比の「皇産霊神社みむすびじんじゃ」はその流れと異なり、上記に述べた経緯により独自の歴史を歩んだと言うことなのだと思います。

夜、二人の娘の歳を合わせると75歳になるのだと、もう二人ともアラフォーになってしまったことにちょっと軽く戸惑いを….

くまじい
阿佐ヶ谷生まれの73歳

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