大野の街におりると、街の中には全く雪はありません。
旅館に荷物を置き、久しぶりに寺町を歩きます。
七間通りに抜けていくと、懸命に雪灯籠を製作中でした。
後に、花火大会の開会あいさつで大量の雪を運び込んだという話がありました。
ようやく訪れることができた「冬物語」。
大野の人の記憶にない程の雪に縁のないお祭りになりました。
気温も高く、夜を待てずに崩れだしている雪灯籠もあります。
少し方向を間違えて、お城から離れて、市役所にでます。
大きな新庁舎を建設中で、少ない雪のおかげか工事は活況のようでした。
道路を挟んで、大野市歴史博物館があります。
展示に金ヶ崎で敗れた義景は大野、洞雲寺に逃れるとあります。
明日、お参りしてみようと・・・
金森長近の鎧があり、兜の頂部に金龍が付いています。
金龍は金山経営に長けた長近の象徴だったのだそうです。
金山経営の奉行として、打它(糸屋、茂住)宗貞の名前がでていました。
平泉寺にも金山があったのだそうです。
長近は平泉寺金山を「隠し金山」として公にしなかった。
その事実を知った秀吉の不興を買い、蟄居処分を受ける。
さらに、飛騨攻めを命じられ、石高の低い高山に移封された。
長近は「赤母衣衆」の一人でありながら秀吉に冷遇されたのだそうです。
これも、平泉寺金山を隠し金山としたことが原因であったと考えられる。
大野歴博の館長さんの調査により、つい最近判明した新事実ということです。
金森長近公、只者でなさそう・・・ますます興味が湧いてきました。
後の敦賀の豪商、宗貞は、長近のきな臭い部分で繋がっていたのでしょう・・・
関連記事、「大野の殿様・・高山、美濃」、「敦賀0919 金崎宮」を書きました。