宝慶寺境内に到着し、参拝をお願いし、本堂に向かっていくと、壁に「如浄五ケ条の垂示」が貼ってありました。
五ケ条の冒頭に「帰朝あらば、」とありますので、
如浄禅師が道元師の帰国の際にはと心構えを諭したお言葉と思われます。
※参照:本ブログ「宝慶寺」
中国の僧が文化果つる日本に帰る道元師に「帰朝」するという言葉は使わないでしょう。
如浄禅師の直接のお言葉ではなく、道元禅師の伝聞したことの記録ということかと。
自分なりの言葉にしてみました。
貼り紙は箇条書きになっていないので、五ヶ条がこれでいいのかも自信がありません・・・
一、国王大臣に近ずくことなかれ。
(権威に媚びることなかれ)
二、豪華な住まいを避け、人里離れた山奥や渓谷に居を構える。
(贅沢な生活を慎め)
三、道を求めようとしない多くの人たちは必要としない。
(衆愚に惑わされず、道をもとめよ)
四、虚ろな人をいくら集めようが、わずかながらの真実を求める人達にはかなわない。
(ひたすら真実を求めたもののみが道を見出す)
五、真実の道を求める人を選び、その人と共に歩む。
(真実を求め続ける人を見極め、師と仰げ、あるいは友とせよ?)
若し、以上のことに従って精進して得度することあれば、まさに仏様の教えを伝えることとなり、それが古来からの仏の道のあり方を継承するものとなるのである。
じつは、「雲集の閑人」という言葉を検索したら、芳澤鶴彦著「親鸞と道元の同異相」がヒットしました。
著作の内容がGoogle Bookで閲覧可能で、五ヶ条の解釈も確認できます。
参考にさせていただきましたが、天邪鬼のくまさん、ちょっと勝手に解釈しています。
壁に貼ってあった五ヶ条は下記です。
漢字とカタカナで書かれていましたが、漢字ひらがなで記載させていただきました。
帰朝あらば 国王大臣に近ずくこと莫れ
聚楽城邑に住せず 須らく深山窮谷に住すべし
雲集の閑人を要せず 虚の多きは実の少なきには如かず
真箇の道 人を選取して以て伴と為せ
若し一箇半箇を接得することあらば
仏祖の恵命を嗣続し古仏の家風を起こす者なり