2月16日(土)は18時から丸の内オアゾ5階の「えん」で大学教養部のクラス会。15日の東京駅復原の講演とパーティが新丸ビルだったし、丸の内に縁のある週末になります。
なんか、手抜きな感じですが、余分なところに力を入れない、というところでしょう。それに、学科が違う友達ができると言う意味では面白かった気もします。
でも、東北方面は佐藤姓が多いので、あいうえお順にしたら、クラスが佐藤で溢れかえるのは見えてるのですが・・・
同級会常連の一人が(これも佐藤なのですが・・・)大学時代の友人が映画出演している「先祖になる」の上映初日で、集まりがあるかもしれないから同級会にでれない可能性があるとのメールを皆に寄こしていました。
結局、彼は同級会に参加できることになったのですが、自分も映画を見てみたいなと、彼に上映館と時間を問い合わせて、渋谷シアターイメージフォーラム、11寺、13時半、16時、18時半であることと、公式ホームページがあることを連絡もらいます。
午前中は税理士さんのところに相談に行こうと思っていましたので、16時かな?ぎりぎりというか遅れる可能性があるな、友達はティーチインもあるので13時半で観てから同級会に行くのだと。
どうせ行くなら、そのティーチインなるものも興味あるので、自分も13時半の上映を鑑賞しようと税理士さんの打ち合わせを、10時からに早めていただきました。
税理士さんとの話を終えて、渋谷に着いたのが1寺近くになります。宮益坂を登りきって見当たらず、お店の人に訊いてようやくシアターイメージフォーラムにたどり着きます。
行列ができている上に、立ち見しか残っていないとのことです。
立ち見でもいいかと整理券を購入します。列の後ろに並んでいろと。整理券なんだから並ばなくてもと思いますが、まあ素直に従って列の後ろに並びます。
チケット買ったら、適当にオニギリでも買いに行こうと思っていましたが、まあ昼飯は抜くことになります。
立ち見を覚悟して劇場の中に入っていくと、順番に前に進んで階段城の通路に腰掛けていいと・・・前の方に歩いて行くと、「くま!」と声がかかります。「佐藤」がど真ん中に座っていました。
前の方に来ると、前3列は空き席が目立ちます。空いているところに座っていいとのことで、3列目の真ん中付近を確保します。スクリーンを見上げるような席で首がちょっと痛いけど、立ち見と比べたら大分らくちんです。
物語は以下のとおりです、岩手県、陸前高田市の佐藤直志さんは311で息子さんを失くし、家を破壊されます。
息子さんは消防団員で、逃げ遅れた老人を助けようと背負ったまま、津波にさらわれ、帰らぬ人となりました。
直志さんの奥さんも含めて、周囲の人達は、高台の仮設住宅に避難しますが、直志さんは壊れた家に住み続けながら、家の再建を夢見ます。
再建策の自治体との交渉を通じて、直志さんの夢は、夢でなくなり、自分の生き方の証を求めるための信念に昇華して行きます。
タイトル「先祖に帰る」は直志さん自身の言葉なのだそうです。
先祖が営みをしていた昔からの土地に、自分の終の住家を再建して、その土地に帰り、先祖の系譜に連なる、という素朴な気持ちが表れているのだと思います。
一方、自治体は元の土地に家を再建に固執する直志さんを説得しようとします。自治体側の再建の行程表に従って、より安全な土地に移って欲しいと言うことなのだと思います。
映画は一心に土地を愛する直志さんの無邪気とも思えるひたむきな姿を淡々と撮り続けます。周りの人もだんだんと直志さんのシンパが増えて行きます。
自分も、見ているうちに、直志さんが信念を貫きとおす姿こそ、復興にもっとも大事なことなのではないか、考えることが多すぎて、解決の道筋を描けない国や自治体に対する強烈で、皮肉な形で、正反対の進めべき道を示してくれているのではないかと思えてきました。
直志さんが自治体の人に、「仮設にいる人達が、ものをもらうことに慣れてしまうことが心配だ」という言葉を聞いて、自分のことしか考えない頑固さだけでないなということを感じます。
直志さんは海が大きく見える念願の家を完成させます。お茶を飲みながら穏やかに海を見ている直志さんの姿は、先祖とお話していると言うよりは、亡くなった息子さんに語りかけているような気がしました。
映画が終わって、「ティーチ・イン」なるものが始まります。どんなものかと思いましたが、結局監督と直志さん、「佐藤」の友達で直志さんを親分と慕う助演者のタケシさんの3人の舞台挨拶でした。
それにしてもなによりも驚くのはこの映画が、311の1ヶ月後位から始まったことです。どのような物語になるのかを探りながらカメラを回していた(のでしょうか?)、池谷監督の構想力、行動力のすごさを感じます。
「自分の名前は素直に育てという直志で、自分では素直な人間だと思っていたけど、映画を見てこんなに頑固な人間だっだのかと驚きました。だけど、この自分の頑固さが周りの人達に勇気を与えてきた面があると思っている。」
もう、脱帽、としか言いようがありませんでした。
映画が終わって外にでると直志さんが若い人達に囲まれていました。思わず握手をしてもらって、「これからも頑固を貫いてください。」と生意気なことを言ってしまいます。
友人は上映後に友達と話があるのだろうから、早く終わったら、一人で寄り道して、同級会に向おうと、Tokyo Art Beatで確認していました。
パナソニック汐留ミュージアムで開催されている「日本の民家一九五五年(二川幸夫・建築写真の原点)」が面白そう、場所的にも丁度いいだろうと決めていました。
結局、友人と、お茶してしまったのでで、パスしてしまったのですが、3月5日に、二川幸夫さんが亡くなられたという報道がありました。享年80歳とのことです。