ばっくえんど研球会

上野駅は仙台の七夕祭りに誘う、七夕飾りがぶら下がっていました。

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コンペの参加者は6人、前夜祭の参加者も6人のはずでしたが、お一人が急遽ご都合が悪くなり、不参加、肝心の会長がお国のお仕事で大幅に遅れるとのことで、いささか寂しいことに・・・

東海村虚空蔵尊の「さくらや」さんで、4人だけで始めますが、キンキの美味しい煮付けから始まったお料理に大満足で、話も弾むうちに、会長も合流して盛り上がりました。

明けて7月7日(土)は勝田ゴルフ倶楽部で例会です。

天気予報はあまり芳しくないのですが、夕方まではもつのではないかとの旅館の女将さんの嬉しいお言葉。

個人情報保護の観点から縮小版の写真を使用していましたが、オリジナルに差し替えました。

まあ最後まではもたなかったのですが、霧雨と時々の土砂降りはありましたが、雨具を使うほどではありませんでした。

「ばっくえんど」はウランの発掘から燃料の製造、製造された燃料を用いた原子力発電所での発電などの一連の流れの中で、下流にあたる廃棄物管理(処理処分)、廃炉などを指す言葉として使用されます。

以前に記載しましたが、22年前のそれこそバックエンドの廃棄物管理、廃炉技術などの北米調査団に参加。

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まあ気が合ったというか、合間にやったゴルフが楽しかった方が強いのだと思いますが、帰国してからも集まりを継続しようと、日本でのゴルフコンペを定期的にやることになりました。

口の悪い会長の「お前らは、ゴルフも下手っぴなんやから、ゴルフも下の下のバックエンドや。バックエンドの連中が球を研(みが)く会で、『ばっくえんど研球会』はどないや。」と、よく訳の判らないままに会の名前が決定。

まあ、今にして思うと、会長にしては、しゃれっ気のある命名だったのかと・・・「お前ら」と言いつつ、ご自分もゴルフ技術のバックエンドに所属することの御自覚は十分お持ちだったはずです。

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自分は当時120を平気で叩いていましたが、その後、一時期は年間40回以上ラウンドするようになり、少しは進歩を見せ、80台前半を出していた時期もありました。

興味が歴史や、カメラ持っての山歩きに向いていき、お寺や、城址に時間を割くことが大きくなり、ゴルフの回数が減るとともに、練習の回数もめっきり少なくなりました。

・・・とまあ、これは、実は言い訳で、ゴルフが上達しない、あるいは飛ばない、当たらない状態が訪れると嫌気がさして、弱点克服の努力しないで、他の趣味に走った、と言う方が正確かもしれません。

このデブはくまではありません。
このデブはくまではありません。

スコアは90どころか、100を切ることはなくなり、110に到達しても不思議はない状態となり、120が目前という昔の腕が復活してきたというところです。

最近は、それでも100と少しが2回続いたので、そろそろ久しぶりの90台が出るかと、密かに期待していたのですが、結局112の成績に終わりました。

一緒に廻った相手が悪かった・・・ギャーギャーはしゃぎ廻る煩い奴で、プレイ途中でビール飲んだりするもんだからつい、付き合ってやらなければならず・・・まあ、相手も相手で、この「くま」の口の悪さのせいで、スコアが悪かったと言いたがるような気もします・・・

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そんな二人の漫才に、我関せずの男・・・仕事すっかりやめて、なんと月10回はラウンドしていると言う男がぶっちぎりの優勝。

まあ、成績に拘わらず、久しぶりの仲間と一緒に過ごすことの楽しさをたっぷり味わいました。拘らないといいつつ、成績も少しは頑張ろう・・・

表彰式を済ませ、次回の開催の話をして、クラブバスで勝田へ送ってもらい、新宿京王プラザホテルに向います。

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京王プラザホテル、 レセプションホール

自分の行く末について説明と同意を得るための臨時家族会議を開催・・・ということで集まってもらったものでした。

まあ自分たちの結婚記念日の7月2日を過ぎていたので、アニバーサリのつもりもありましたが・・・

くまじい
阿佐ヶ谷生まれの73歳

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