新薬師寺へ向かう途中、不空院がありますが、閉門されていて、拝観がかないませんでした。
公式サイトを確認すると、要予約の記載がありました。今日は、正倉院に続き、2度目の空振りになります。
枠組みだけ決まっていて、詳細についてはノープランの歩きなので、こんなこともあるさと。
事前申し込みがないと入れませんよと言われたにもかかわらず、ダメ元で訪れた、苔寺の門前に記載された、往復葉書での事前申し込み必要の説明を虚しく読んで引き返したことを思い出します。
それでも、桂離宮に関しては、数ヶ月前にネットで宮内庁ホームページあるいは京都御所の事務所に申し込むことをしていて、夏、秋、冬と3回行きました。
今まで、桂離宮に対する詳細な記事をあげていないのは、気に入った写真が撮れていないということが大きいかもしれません。
憧れの強さに比例して説明聞くだけで、立ち止まらないでください状態の参観に対する失望で、記事にする気持ちが起きない、というところもあるような気がします。
自分が一番関心のある、書院の中に入れないで、障子のしまった書院の外見だけの参観ということで、意欲がそがれている面もあります。
とはいえ、まだ春期の参観がないこと、自分の気に入った写真を撮りたいので、しつこく参観を続けるか、とは考えています。
どうでもいいけど、外人はパスポート見せれば予約なしで入れるっておかしくないだろうかと、ちょっと、八つ当たりを・・・
世界の人達に日本文化に接して欲しいと言う気持ちはありながら、なのですが・・・自由の女神だって、マチュピチュだって、外人だからって、優遇されることはないだろうって、いじけるくまさんです。
それはさておき、新薬師寺のお堂に入って、薬師如来像をグルッと囲んだ十二神将の迫力の圧倒されます。
新薬師寺は東大寺の大仏造立を進めていた聖武天皇が体調を崩されたため、七体の薬師像を造立し、聖武天皇の平癒を祈ったのがことの初め。
その後、光明皇后が、新薬師寺を建立され、七体の薬師像とそれぞれの脇侍観音と、十二神将が入られる大きな金堂を造立された。
平安時代の金堂の火災で、当時の金堂自体と仏像を焼失してしまい、現存しているお堂は他の目的の堂で造立されたもので、薬師如来は平安期の作、であるということです。
十二神将は天平時代の作ではあるものの、新薬師寺オリジナルのものではなく、出処は明確ではないらしい。
日本最古の十二神将であることは確かで、一般的に、バサラと呼ばれている像がバザラ、メキラがメイキラなど、新薬師寺独自の呼称になっているようです。
自分の生まれ年の子年の守り神である毘羯羅(ビギャラ、ビカラ)大将の前に立ち尽くし、拝みます。
全体を横から仰ぎ見る位置に椅子が用意してあるので、どっかと腰かけて、しばし休憩を・・・
昨日の法隆寺といい、今日の三月堂、新薬師寺の仏像群には興奮しまくりだったなと、反芻。
この後、最後の興福寺でさらに興奮の高波が押し寄せることになります。