7月2日は「くま夫婦」の結婚記念日。結婚が1977年なので34回目になりますか。

昨年、娘の結婚披露パーティで司会に振られて答えられず、汗だらけになったことを思い出します。
挙句に、助けを借りて、冗談交じりに「33回忌です。」と言ってしまって、親戚の長老にたしなめられ、恥の上塗りを・・・
昔は、「くま」家の記念日は、一年に一回の行事として、普段、お高くていけないお店で、お食事をするのを恒例としていました。
出張が多くなり、単身赴任にもなり、例年きちんとという具合にはいかなくなりましたが、替わりに海外旅行に行ったり、昨年のように娘の結婚式に合わせた旅行になったりと言うことでなんとなく記念日を意識した行事は細々と続けられています。
今年は久しぶりにお食事にしようと。
ジャズをやっている友達の演奏を聴きに行ったり、ニューヨークで「SMOKE」、「Blue Note」を制覇して、ジャズづいた奥さんからの提案で丸の内の「Cotton Club」でのディナーに決まりました。
昼間は国立新美術館で「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」の鑑賞です。
昨日は自分は敦賀で「たなばたコンサート」、今日の午前中は奥さんは仕事があるということなので、朝、敦賀を出て、東京駅で会うことにします。
ワシントンナショナルギャラリーについての、Wikipediaの記述です。
「ナショナルギャラリーは1937年、銀行家アンドリュー・メロンが、美術館設立のための基金と、自身の美術コレクションを連邦政府に寄贈したことに始まる。

1941年に大理石造の美術館が完成し、1978年には現代美術展示のための新館が完成している。
メロンは、イギリス大使としてロンドンに滞在中、ロンドンのナショナル・ギャラリーを訪れて、母国アメリカにも同様の国立美術館をつくりたいとの夢を実現させたものである。」

ワシントン・ナショナル・ギャラリーは、建物、コレクション、基金、すべてが一般市民による国への寄贈で成り立っている世界でも例を見ない国立美術館ということです。
素人考えですが、多くの寄贈者からの寄贈で成り立つということは、色々な意思が錯綜し、ある方向性で貫徹するということはなく、ただし、それなりに面白い絵が並ぶ、ということがあるのかなと思います。
主催の日本テレビの同展のサイトでは「これを見ずに印象派は語れない」という惹句について下記の説明をしています。

「ワシントン・ナショナル・ギャラリーが所蔵する12万点の作品の中でも、特に質の高さと絶大な人気を誇るのが、その数およそ400点の印象派とポスト印象派の作品群です。

本展では、その中から日本初公開作品約50点を含む、全83点を紹介します。
クールベやコローらバルビゾン派や写実主義を導入部とし、印象派の先駆者といわれるブーダンやマネを経て、モネ、ルノワール、ピサロ、ドガ、カサットら印象派に至り、セザンヌ、ファン・ゴッホ、ゴーギャン、スーラなど、それぞれの表現によって印象派を乗り越えていったポスト印象派に続きます。

17年ぶりに来日するマネの《鉄道》、日本初公開のゴッホの《自画像》、セザンヌの《赤いチョッキの少年》、そして同じくセザンヌが父を描いた初期の名作《『レヴェヌマン』紙を読む父》など、いずれもワシントン・ナショナル・ギャラリーの「顔」、美術史において印象派、ポスト印象派を語る上で欠かせない名作の数々です。
まさに、「これを見ずに、印象派は語れない。」

最近、少しは智慧の付いてきた「くま」の印象は、惹句の割には印象派が少ないなという感じがしました。
マネの「鉄道」をポスターとして使っていることから、「印象派」そのものを語るということではなく、印象派が興り、ポスト印象派に引き継がれていく流れを見せることにより印象派の位置づけを認識する・・・そういう意味なのかなと、考えました。

なんらかのキャッチ・コピーは必要なのだと思います。この場合、若干だけ、ずれているような気がしました。生意気言ってすいません・・・
そういうことは別にして、この「鉄道」はいいなと思います。マネの風景の中への人物の置き方は独特なような気がします。
三菱一号館でのマネ展では「アルカションの室内」の奥さんの存在感が気になりました。

この絵も、タイトルや白い蒸気に関わらず、母娘(?)の、別の物語が並行して進んでいて、絵の中で二人が立体的に浮びあがり、なにかを訴えているような気がします。(またまた何を言ってるかわからない・・・)
マネを取り巻く女達、唯一の弟子と言われるエヴァ・ゴンザレス、ベルト・モリゾの絵もありました。

モリゾはマネ展のときに初めて知りました。マネに描かれた、意志が強く、激しく感情をむき出しにした雰囲気のモリゾ、今思うと、マネだから描けた彼女だったのかと思います。
彼女自身の絵もいいなと思いました。

今回いいなと思った、メアリー・カサット・・・アメリカ人でドガに師事して、印象派に参画し、モリゾとも親交があったのだそうです。
なんだか展覧会行く度に、自分の知らなかった好みの女流画家に出会っているような気がします。

師匠のドガが印象派というくくりの中では異質な感じがして、カサットもなんとなく異質な感じがします。
時を経るにつれ、印象派からは卒業して、日本画に影響を受けた独自の絵を描くようになります。

ずいぶん画風が変わった感じがしますが、また独特の味わいでいいなと思いました。
下の絵はカンバス風に作られた絵を奥さんが購入して帰り、我が家に飾られています。
自分の好きな絵が多い展覧会で、大満足でした。

上記、ルノアールの「踊り子」は、大判の絵が販売されていたので、額にいれて自分の部屋の壁に飾りました。
モネ、モネ、ゴッホ、ピカソ、ルノアール「すわるジョルジェット・シャルパンティエ嬢」に加えて6枚目の絵になります。

ルノアールは、ブリジストン美術館の「すわるジョルジェット・シャルパンティエ嬢」がいいなと思って、コピーを飾っていました。
華やかな令嬢達をまるで嫌味のように固太りの腕に、暖色系の服で染め上げるシニカルな奴・・・というような自分の思い込みの印象があって、今一、入り込めなかったのですが、こんなにいい女が続くと、宗旨替えです・・・