Liege & Lief

フェアポート・コンヴェンションは苦悩する騎士達や妖精のような女王の話を唄った古い民謡に、ロックギターとリズムセクションを添えて、ブリティッシュ・フォーク・ロックの世界を切り開いた。これは彼ら以外にはなし得なかったことであった。

1969年12月にリリースされた「Liege & Lief」はパブなどの社交的な集まりの場に溢れかえった。

Matty Groves

「英国らしさ」が変わり行き、希薄になって行く中で、ロックンロールで気晴らしするように、でも、イギリス人であることを意識できる形の選択肢を与えた成果をもって、以降、ほぼ10年間、イギリスのフォークの世界の最高位を占めることになった。

デイヴィ・グラハムがフォークギターにインド音楽を織り込み、ペンタングルがジャズの世界から彼らのスタイルを編み出してきたような、「伝統」を「革新」する危うさに対し、 フェアポートコンヴェンションは、 多くのイギリスにおける歴史的素材を堅実に保護してきた。

Liege & Liege Jacket

・・・実はfacebookで「Rolling Stone誌」のこの記事を見つけ、難解だけど、フェアポート・コンヴェンションおよびアルバム「Liege & Lief」がイギリス社会に 与えた影響を面白い視点で描こうとしているなと、と訳し始めました。

なかなか進まずに、他のことに気を取られているうちに元記事を見失い、上記まで記したところでお手上げ状態になってしまいました。

Come All Ye (Early take)

オリジナルの作者の名前も記録しておらず、Rolling Stone誌で検索しても見つかりません。

記事の意図するところを全くないがしろにした行為で、大変失礼なことですが、その他の関連する記事を探して、一応話しをまとめることにしました 。

ということで、切り口が大分変わりますが、続きます。なお、本記事の写真は2001年に、奥さんとイギリス旅行をしたときのものを使用しています。

以前記事にしたことがあるのですが、2001年9月11日をリヴァプールで過ごし、ネットでアメリカでなにやら大事になっていることを知りました。

翌日のTIME紙には貿易センターから大きな黒い雲が上空に広がっていくマンハッタン島を対岸のニュージャージーから撮影した全紙大の写真が掲載されていました。

英国にアメリカの混乱が広がってきて、レンタカーを借りる予約をしていたリヴァプール空港も大変なことになったのですが・・・それはさておいて・・

Tam Lin

「Liege &Lief」はフェアポート・コンヴェンションの4枚目のアルバムであり、 サンディ・デニーをリードボーカルとしてフィーチャーした3枚目で最後のアルバムであった。

また、 デイブ・マタックス(ドラムス) 、デイブ・スワーブリック(ヴァイオリン、マンドリン)がフェアポートの正式メンバーとして加わった最初のアルバムでもあった。

スワーブリックは前作「Unhalfbricking」 のレコーディングに参加はしていたが正式なメンバーにはなっていなかった。

アルバム「Liege & Lief」のラインアップは二つの要素からなっている。

“Matty Groves”や”Tam Lin”のようなブリティッシュとケルティックの伝統的民謡のなかから取り上げられた曲群が一つの傾向である。

他方、”Come All Ye”や “Crazy Man Michael”のように 彼らのオリジナルでありながら、古謡スタイルで演奏される曲達がもう一つの傾向であり、傾向の異なる要素が混淆したアルバムとなっていることが特徴といえるだろう。

Farewell Farewell

「Liege & Lief」はアルバムのセールスとしてはイギリスのアルバムチャートで15週のあいだ、17位をキープした中庸のヒットアルバムであった。

その後、アルバムは 2006年のBBCラジオ2の聴取者達によるフォーク賞で、「今まででもっとも影響力のあるフォークアルバム」に選出されることになる。

否定的な見解もあったが、初の「ブリティッシュフォークロック」アルバムとクレディットされることが多かった。

ただし、数年前にバーズの初期の作品に対して、米英で定着したアメリカスタイルの「フォークロック」と言う言葉と混同されるべきではないだろう。

あきらかにポピュラーな「フォークロック」とは異なったジャンルでの商業的、技術的に独自のスタイルを確立したということができるだろ。

Green Grow the Laurels

サンディとオリジナルメンバーのベースのアシュレイ・ハッチングスはこのアルバムのリリース直前にグループを去るが、フェアポートはその後もブリティッシュフォークロックのイディオムをまとい続け、かつブリティッシュの古謡に大きく影響を受けるバンドとなった。

オリジナルメンバーであるサンディ・デニー、リチャード・トンプソン(リードギター、ヴォーカル)、サイモン・ニコル(リズムギター)とアシュレー・ハッチングス(エレクトリックベース)に新たに加わったデーブ・マタックス、デーブ・スワーブリックがメンバーであった。

アルバムタイトル「Liege & Lief」 は二つの「中世英語」の単語から、構成されている。各々、Liegeは「忠実な」、lief 「用意ができている」の意を表す言葉の組み合わせになる。

アルバムカバーはバンドのイメージのカメオが採り入れられた グレーと紫色の折り込みになっており、内側には曲名リストとクレディットが記されている。

Crazy Lady Blues

バンド結成後、スタジオレコーディングの前の数ヶ月間、イギリス国内およびデンマークで「Liege & Lief」の構成曲をひっさげて、公演を行った。またこの期間に、BBCのラジオ番組「Top Gear」への出演もこなしている。

アルバムの発売は1969年12月2日なのだが、11月にハッチングスとサンディ・デニーはバンドを退団している。

ハッチングスはトラディッショナルな路線を追求するために新しいバンド「Steeleye Span」を結成し、サンディーはより自分の特性を生かすオリジナル曲を重視した「Fortheringay」での新しい冒険に臨んだのだ。

フェアポートはハッチングスに代わり、デイブ・ペッグを補充しただけで、サンディー抜きで翌年、「Full House」のレコーディングが行われた。

「Liege & Lief」の中で果たしたサンディ・デニーの役割は自分には明確に語る事が出来ません。しかし、自分の中で、アルバムの中心にいるのはサンディの唄です。

1978年4月17日、彼女は階段から落下して倒れている姿を発見され、21日に逝去します。酒と薬物にむしばまれていたという面もあったらしい。

サンディの歌が好きなので、Fortheringayも彼女のソロアルバムもいいのだけれど、「Liege & Lief」の緊張感はやはり格別なものがあります。

くまじい
阿佐ヶ谷生まれの73歳

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