ポーラ美術館「美へのまなざし第Ⅰ期」

箱根に着いた14日(月)、遅い昼飯を食べて、ポーラ美術館に向う途中で雨が降り始めました。

ポーラ美術館は『コレクター 鈴木常司 「美へのまなざし」 第Ⅰ期 ピカソとポーラ美術館の絵画』(7月14日〜10月2日)を開催していました。

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ブリジストン美術館の「あなたに見せたい絵があります。」 展で石橋正二郎のコレクションについて知りました。

また、「国立西洋美術館」で松方幸次郎の”松方コレクション”について知り、日本の西洋美術の収集が、個人の努力にかなりな部分をおっていることを感じました。

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ブリジストン美術館、国立西洋美術館と同様に、ポーラ美術館もポーラ創業家2代目の鈴木常司の40数年の努力により9500点という豊富なコレクションを誇ります。

そのコレクションを3期に分けて紹介する展覧会で、今回は、その第Ⅰ期に当たりピカソ、続く第2期はモネ、第3期は杉山寧がテーマになるとのことです。

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「鈴木常司(1930−2000年)は昭和5年7月6日生まれ。昭和29年、創業者である父鈴木忍の急死により,留学先のアメリカから帰国、24歳でポーラ化成工業とポーラ化粧品本舗の社長となる。

セールスレディーによる高級化粧品の訪問販売「ポーラ商法」で業績をのばした。平成8年会長。平成12年11月15日死去。70歳。静岡県出身。立大卒。」(コトバンク)

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鈴木常司の芸術に対する情熱は個人的な資質だけではなく、ポーラという会社が「美」、「文化」に対する創業者でなければならないという気負いを持って、ポーラのトップに立った時から芸術のコレクションを始めたと言うことの様です。

絵画を蒐集するということは、「財力に任せて美術をかき集める」という、経済大国のエゴという若干負の面からの見方もあるのかもしれません。

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でも、こう言う展覧会の機会で、これらの人々の個々の芸術に対する情熱、と行動力を知ると、素直に感動してしまいます。

展示されている、絵画の素晴らしさと共に、そのコレクションの集合体の裏付けとしての、個々の人の意志と歴史を感じさせてくれて、面白いと思います。

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また、彼らはそのコレクションを独占することなく、公開してくれることにより日本における芸術に触れる感動を与え、日本から巣立っていく芸術の芽を多く育てていったのだと思います。

自分は大英博物館や、ルーブルにおけるエジプトの遺産の展示については不快な気持ちがあって、素直に鑑賞する気持ちが起きません。

これらエジプトの遺産は、世界を席巻した列強時代の戦利品であって、展示されている遺産の素晴らしさを感ずる以前に、英仏が自分達の「栄光ある」侵略の歴史を誇っているようで、神経が信じられない気がするのです。

アンリ・マティス リュート 1943年
アンリ・マティス リュート 1943年

先日、タクシーに乗ったら、常宮の「朝鮮の鐘」に、今、返還の声が起きていて、観光客を連れて行ったら鑑賞を断られた、という話を聞きました。
秀吉の老いの頑迷による展望なき朝鮮出兵・・・その勢いに乗って、収奪した「朝鮮の鐘」を国宝として祭ることに対しては、自分にはあまり納得できることではないなという思いがあります。

自分の御贔屓の大谷吉継が献上したものだとしても、です・・・

ゴッホ ヴィゲラ運河にかかるグレーズ橋 1888年
ゴッホ ヴィゲラ運河にかかるグレーズ橋 1888年

「返還せよ」と言う声が「鐘」に対する価値をどのように認めての要求なのかは判りません。現大統領の最後のあがきの仮想敵国日本の流れの一環なのか・・・と言う気もします。

それとは別に、貴重な韓国の国家遺産を返還せよ、と言うことであれば、こだわらずに返却すればいいのではと思います。

セザンヌ プロヴァンスの風景 1879-82年
セザンヌ プロヴァンスの風景 1879-82年

話がそれました。第Ⅰ期のピカソとのかかわりについてポーラ美術館の説明をお借りします。

鈴木常司は当たるを幸いという場当たり的な蒐集ではなく時代変遷をたどることができるような体系的なコレクションを心がけたということのようです。

ドガ 休息する二人の踊り子 1900-05年
ドガ 休息する二人の踊り子 1900-05年

「鈴木が収集したピカソのコレクションは、貴重な初期の作品から晩年の作品までを概観できます。

スペイン生まれのまだ駆け出しの画家ピカソが、バルセロナ、マドリード、パリを行き来していた頃に紙挟みに入れて持ち歩いていたパステル画「坐る女」(1900年)から、終の住処となった南仏のノートル=ダム=ド=ヴィの別荘で制作した油彩画の大作「すいかを食べる男と山羊」(1967年)まで、絵画作品は19点を数えます。

ピサロ  エラニーの花咲く木、朝 1886年
ピサロ エラニーの花咲く木、朝 1886年

ピカソは生涯をかけて、めまぐるしくスタイルを変え続けた画家ですが、鈴木は「青の時代」の傑作《海辺の母子像》をはじめ、ピカソの変遷を丹念に追ったコレクターです。

開館10周年記念展となる本展の第I期では、彼がこだわって収集を続けたピカソに焦点をあてて特集展示し、鈴木常司のピカソへの想いを辿ります。 」

佐伯祐三 アンドレ ドリュード シャトー 1925年
佐伯祐三 アンドレ ドリュード シャトー 1925年

ポーラ美術館のリピータとなって来たので、好きな絵の再開に喜び、見たことのない絵に興奮し、楽しいひと時を過ごしました。

いつもと同じようにガラス工芸品にたどり着く頃にには疲れ果ててフラフラになってきます。

マネ ベンチにて1879年
マネ ベンチにて1879年

ショップでは絵葉書が以前購入したものとダブらないように、思い出しながら慎重に選択しました。ポーラ美術館の絵葉書も大分集まってきました。

くまじい
阿佐ヶ谷生まれの73歳

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