「La Llorona」そして「Frida」

「La Llorona ラ・ジョローナ(泣き女)」はメキシコのオアハーカ地方が原点で、北アメリカの南部から南アメリカ各地まで広い範囲に広がる伝承歌謡として、歌い継がれている様です。(本稿アップの後に見つけた動画を追加しました。2018.11.10)

『「La Llorona(泣き女)」はまるで死神のような血染めの白衣の姿で、夜中に、水辺で恐ろしい声で泣く「泣き女」に歌いかける歌。

la llorona (“version andina”)

この歌には種々の歌詞がありますが、ほとんど伝説とは無関係な恋歌にも聞こえるような歌詞になっています。』※1

上の動画はMusica Andina(日本語でフォルクローレの意かと)としか記述がなく、演奏者は判りませんし、インストゥルメントで唄はありませんが、この哀感のある素朴なメロディが心に沁み込みます。

前に聴いたことあるメロディの様な気もしますが、定かではありません。

La20Llorona
La Llorona  Amazon.co.jp

色々なアーティストの曲を聴いているうちに、そんな気になってしまったのかもしれない。日本人の琴線に触れるメロディとも言えるのもしれません。

「泣き女」の話を調べましたが、なかなかまとまった記述がなく、英語版のWikipedia に記述および関連のサイトの紹介がありました。※2,3

″La Llorona″はスペイン語の「泣き女」の意味で、基本的にはコンキスタドール(征服者)時代から、南西アメリカのヒスパニック(スペイン語圏出身者:ここではスペインと現地人の混血の意味が強いかと)の間に広がる伝承話である。

正確なオリジナルについては不明とのこと。

Angela Aguilar – La Llorona

伝承により様々なバリエーションがあるが、共通しているのは「河で死んだ子を悲しんで、自分も死に、川辺を泣きながら彷徨う亡霊。」と言うところの様です。

下記のストーリーに対し、「泣き女」が遊び好きで、子供への関心が薄く、死なせてしまう、あるいは彼女が子供を殺してしまう別バージョンの話もあり、追記に載せました。

『昔、小さい村の農家にマリアという驚くほど美しい娘がいた。マリアは、よく気の付く女性で、彼女に好意を寄せる男達が多かったが、その中でも熱心にプレゼント攻勢を貫いた富豪の男と結婚をした。

Susana Harp – La Llorona

しかしながら、マリアが二人の息子を生むと夫の態度は変わり、女遊びに狂い始め、家に帰らなくなります。

マリアに関心を失なった夫は、家を捨てて、故郷に戻り、富豪の娘と結婚してしまいます。

夫がマリアの元に帰る時もありましたが、目的は二人の息子に会うことでした。マリアは失意から荒れ始め、その怒りは二人の息子に向っていきます。

ある日の夕方、マリアが二人の子供とサンタフェ川沿いの道を散歩していると、夫が馬車でやってきます。

“LA LLORONA” – ALBA

隣には上品な現在の妻が座っていました。

夫は二人の息子に話かけますが、マリアは無視して、そのまま振り返りもせずに立ち去ります。

マリアは去りゆく夫の馬車を睨みつけながら、激しく怒りがこみ上げて来ます。息子たちに向き直ると、彼らの手を掴み、川に放り込んでしまいます。

二人の子供の姿が川面から消えてからマリアは我に帰ります。慌てて息子たちの姿を探し求めますが、間に合いませんでした。

Dueto Dos Rosas – La Llorona

マリアは悲嘆にくれて、泣き叫びながら走り周りました。

その後も、白いガウンをまとい、日夜泣き明かし、川の脇を歩き廻りました。

マリアは、食べ物を口にせず、痩せ衰えて、まるで歩く骸骨のようになり、白いガウンもすり切れて行き、川の土手で息を引き取ります。

マリアが死んでから暫くして、夜になると白いガウンを着たマリアの魂がサンタフェ川の土手を泣き叫びながら彷徨う姿が見られるようになります。

人々は、彼女を恐れ、マリアではなく「泣き女」と呼ぶようになり、子供たちに夜、外出すると「泣き女」に掴まれて川に投げられて殺されてしまうよ、と戒めるようになりました。』

La Llorona – Dakota Romero

マリアが自分の息子たちだけでなく、無差別に、子供を殺しまくった、いや子供に限らず、大勢を殺したという説もあるようです。

マリアの夫はスペインの人間で、マリアを捨てて自国に帰って、結婚したという話もありました。

またマリア自らが殺したのではなく、混血を嫌う部族の風習でマリアの意図に沿わずに子供を殺してしまった、という話もありました。

ヒスパニックの中で伝承してきた話ということから、上流階級=征服者たち(スペイン人)という図式でみたほうが、マリアの悲劇を理解しやすいのかも知れません。

Lila DownsLa -Llorona 

「泣き女」はすっと通り過ぎて、「Frida」にたどりつこうと思ったのですが、つい面白くなって深入りしてしまいました。上のLia Downsの動画のタイトルに「Frida」とあります。

また動画のタイトルバックにMOMAで知ったメキシコの女流画家Frida Kahloの絵が使用されています。(※動画差し替えたため、Fridaに縁のない動画となってしまいました。以前の動画での話です。)

“La Llorona”はFridaお気に入りの曲の一つであり、2001年に製作され、2003年に日本でも公開された「Frida」と言う伝記映画の挿入歌に使用されたのだそうです。

Fridaの話、続きます・・・


※1「峰万里恵さんコンサート案内」※2Wikipedia”La llorona”
※3“La Llorona – Weeping Woman of the Southwest” GHOSTLY LEGENDS & MYSTERIES

ラ・ジョローナ(泣き女 La llorona)  訳詞
メキシコ、オアハーカ州伝承曲 Folklore oaxaqueño
「峰万里恵さんコンサート案内」

みんながわたしを、黒い男と呼ぶ、ジョローナ
黒いけれど愛情深い男
ぼくは緑のチレ(とうがらし)のよう、辛いけれど味があるよ

あぁ、あわれなわたし、空の青色をまとったジョローナよ
たとえ命を落としても、わたしはあなたを愛することをやめない

あなたが教会から出てくるのを、ジョローナ
わたしは通りすがりに目にした
美しいウィピール(先住民のブラウス)をまとった姿に
わたしはあなたを処女マリア様だと思ってしまった

あぁ、あわれなわたし、ゆりの野のジョローナよ
恋のことを知らないものは、命を捧げる殉教のこともわからない

わたしが愛しているのに、ジョローナ
あなたはもっと愛することを求める
もうあなたに命をあげてしまったのに、これ以上、何がほしいのか?

あぁ、あわれなわたし、ジョローナよ、
わたしを川のほとりへ連れて行っておくれ
わたしをあなたのショールで包んでおくれ
わたしは寒さで死にそうだから

ラ・ジョローナ(泣き女 La llorona)・・・もう一つの話
『昔、小さい村の農家にマリアという驚くほど美しい娘がいた。マリアの美しさに近隣の若者たちはマリアに夢中になり、マリアとの付き合いを願った。

マリアは夜な夜な、白いドレスを着て、「ファンダンゴ」(:スペイン系の舞曲転じてバカ騒ぎのパーティ)に出かけていた。マリアには二人の息子がいたが、子供は置きっぱなしであった。

ある日、二人の子供が河で溺れて、死体となって発見された。人々は彼女が子供を放置したからだと非難する人もいたし、彼女が子供を殺したに違いない、と言う人もいた。

くまじい
阿佐ヶ谷生まれの73歳

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