「Fado」そして「La Llorona」

サイドカラムの「僕の音楽」に貼りつけている “A Máquina”を演奏しているAmor Electro はポルトガルのグループで、YouTubeでファド(Fado)の世界を彷徨っている時に出会って気に入ってしまいました。

Amor Electro – A Máquina

まあ演歌(Fado)にこだわらない、POP歌手という感じで、ファドとは呼べない部類かもしれません・・・

ファドは、ポルトガル、リスボンで生まれた民族歌謡。と言ってもその生まれは種々の説があり、明確ではないらしい。「Fado」は「運命」、または「宿命」を意味する言葉(Fate)なのだそうです。

ファドで基本的な楽器はクラシックギター(ヴィオラ)とギターラ(ポルトガルギター)・・・ギターラはスチールの12弦の楽器で、独特の情緒を醸し出します。

Tive um coraçao perdi-o ー Cristina Branco

日本語でファドを語っているサイト、「ファドの部屋」に記載されている説を一部編集して引用させていただきます。その他に「ポルトガル・ロマン」「ポルトガル公式観光ウェブサイト」、Wikipediaを参考にさせていただきました。

「大航海時代(15世紀〜17世紀)にポルトガル人達が植民地ブラジルへ連れて行ったアフリカ人奴隷達の踊り「Fado 」※が、植民地から収奪した金やその他の産物とともに、港町リスボア(リスボン)に逆輸入された。

※黒人奴隷の歌う「ルンドゥー」にそのルーツがあるとも言われるようです。

多様な人種と文化の混合する植民地ブラジルから渡ってきた踊り Fado は、当時、同様に南アメリカ大陸に広く進出していたスペイン支配下のアルゼンチンの「ファンダンゴ」にも影響され、きわめて官能的な踊りだった、とのことである。

Dulce Pontes-Canção do Mar

リスボアに逆輸入されたFado は、ポルトガルに連れてこられた黒人達や、混血達が多く集まり住んだ古い市街地アルファーマやモウラリアを中心に、ブームを巻き起こしていく。

リスボアの下町で歌い、踊られた Fado は、やがて舞台音楽や他階級文化の影響を受けるうちにアフリカ的な打楽器の伴奏が次第に失われ、歌の部分のみが強調されてくる。

19世紀に入ると植民地支配の栄光の時代は終わりを告げ、ブラジルやアフリカの植民地を次々と手放したポルトガルは暗い困窮した黄昏の時代に入る。

その暗い世相の中で Fado は、貧しい人々が集まる下町の石畳に響くように、裏町の安酒場や売春宿で歌われ続けた。

“Dulce Caravela” Katia Guerreiro ;Composed by Dulce Pontes

Fado の歌い手を Fadista (ファディスタ) と呼ぶが、 Fado が最下層の人々の歌であったため、 Fadista という言葉は元々は「やくざ、ならず者、売春婦」の含みを持っている。

その中にMaria Severa(マリア・セヴェラ:1820-1846)というジプシーの人気ファディスタが登場します。

セヴェラはもモウラリアの高級娼婦であったが、貴族の一人がセヴェラを愛し、セヴェラを堂々と、公の場に伴ったりしていました。彼女は26歳の若さで結核のため命を落としますが、後に伯爵はファドを貴族のサロンへと持ち込み、広めて行きます。

こうして、ファドは人々に知れ渡り、王室のサロンですら歌われるようになり、歌の内容も Saudade(郷愁)、Amor(愛)をテーマにした詩的な歌詞がメランコリなメロディーで作られるようになりました。

後年、有名なファディスタAmália Rodrigues(アマリア・ロドリゲス:1920.7.23-1999.10.6)が出現して Fado はその頂点を迎えます。

″暗いはしけ(Barco Negro)″ Amália Rodrigues

フランス映画「過去のある愛情」の挿入歌として歌われた彼女の「暗いはしけ(Barco Negro)」※が世界的に注目されて、小国ポルトガルの首都の片隅で生まれた民族歌謡が世界中に知られ多くの人々に愛好される時代を迎えたのである。」

※「暗いはしけ」はブラジルの曲で、正確にいうとFado ではないとのこと。

リスボアで生まれたファドはポルト等他の都市にも広がり、第3の都市、コインブラには学生によるファドが根付いているのだそうです。

自分のファドのイメージは、当然ながら、Amália の「暗いはしけ」に始まっています。

暮れゆく港に佇む娼婦、酒場女・・・というイメージで、あくまでも暗い、陰鬱な景色がまとわりついています。

一方、リスボンの街への自分の印象は、何処までも抜けるような青空、コバルトブルーの海が広がり、陽射しに輝く、まぶしいほどの建物の壁の白さ、オレンジ色の屋根瓦・・・

Lisboa-lisbon-_panorama.jpg

地中海の入り口ということで地中海とイメージが混濁しているかも知れないもので、いささかファドの雰囲気とは異なるものなのですが・・・

昼間は「輝く街」を身体一杯に感じ、夜は酒を飲みながら「宿命」を心の底に沈殿させる・・・

“Canção do Mar”を歌っている Dulce PontesはKatia Guerreiro の唄っている”Dulce Caravela”の作者でもあり、楽器もこなすファド界のシンガーソングライターという才能豊かな人のようです。

ポルトガル観光のサイトではDulceはリチャード・ギアの「真実の行方」に取り上げられたとの記述がありますが、詳細は判りませんでした。映画の中で彼女の曲が採り上げられたということなのでしょうか・・・

「真実の行方」はエドワード・ノートンの演技が光っていて、リチャード・ギアとのせめぎ合いが面白くて、記憶に残っている映画です。

Dulceが 唄っている「La Llorona ラ・ジョローナ(泣き女)」にたどり着いた途端に、違う世界に行ってしまいます。

Dulceは「A Chorona」というタイトルに置き換えて唄っているみたいです。

“La Llorona(A Chorona)”  Doluce  Pontes

「La Llorona ラ・ジョローナ(泣き女)」はメキシコのオアハカ地方の民謡で、ポルトガル語からスペイン語に飛ぶ訳ですが、YouTubeを見ているとメキシコの多くの男女の歌手をはじめとして色々な人が採り上げていることがわかります。

ここではちょっと変わってJoan Baezの動画を。

“La Llorona” Joan Baez

さらに探しているうちにまた違う展開にたどり着くのですが、続くです。

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