三国歩き0914

9月14日はゆっくり寝て、街をぶらつこうと思っていたのですが、3時頃に目が覚めてしまいます。

とりあえず風呂に向かい、未明の漆黒の空の下で露天風呂を楽しみます。

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ホテルの部屋は、海に面していて、サンセットには最適でしたが日の出には縁がありません。

風呂上がりの水を飲み干し、無理矢理目をつむってもう一寝入り.。普段なら寝れないけど、身体は正直で、ウツラウツラと。

起きて6時過ぎ、朝食は7時からなので、起きがけの風呂につかり、ロビーで新聞読みながら、食事を待ちました。

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2014.09.14 龍翔館 見上げながら歩いてて転んでしまいました・・・

街を歩くのに、丘の上にあるホテルに荷物を預けてしまうと、取りに来るのが面倒そう。三国駅に行けば、コインロッカーがあるだろうと。

ホテルに訊くと、あまり情報はないようで、小さい駅だから、十分なロッカーが無いかもしれないですと、ちょっと不安なことを・・・

とりあえず、ホテルの真ん前というか、お隣というか、すぐ近くにある「みくに龍翔館」に行きたかったので、駅までの送迎バスをお断りして、リュックを背負って、ボストンを肩から提げて歩き出します。

龍翔館展望(海側)
龍翔館展望(海側)

龍翔館は博物館になっていて、三国の歴史、文学の街にふさわしい展示がありました。

受付で荷物を預りましょうと言っていただき、ボストンを預かっていただきますが、展望台で広角を使いたかったので、レンズの入ったリュックはしょったままで中に入ります。

龍翔館の特徴あるドーム状の屋根の建物は「龍翔小学校」の外観を模して復元し、昭和56年(1981年)11月に開館しました。(みくに龍翔館

山側展望
山側展望

龍翔小学校は明治12年(1879年)三国突堤を設計したオランダ人技師ジョージ・アルノルド・エッセルによってデザインされ、木造五階建八角形というユニークな形状をしていました。

龍翔館の展示に、「だまし絵」で有名なオランダの画家(版画家)マウリッツ・エッシャーがエッセルの後妻の子供であること、それを縁として、石森章太郎の提唱で、「トリックアート展」が三国で開催された、その入賞作品を展示しているとの説明がありました。

エッセルの息子のエッシャーってなんか変な感じ・・・

エッシャー、ベンローズの階段Wikipedia
エッシャー、ベンローズの階段Wikipedia

最近の表記で言えばエッセルはエッシャーとなるのでしょうが、突堤の名前などに、エッセルとして名前が残っているため、お父さんはエッセル、子供はエッシャーと分けて表記しているようです。

エッセルはデルフト工科大学に学び土木技師となり、明治6年(1873)30歳のときに、日本政府のお雇い外国人として来日。

淀川水系の調査、鳥取県千代川、東京都江戸川、千葉県利根川、新潟県信濃川、山形県最上川、赤川などで改修工事の指導、設計に当たります。

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一方、三国湊では、九頭竜川の上流から運ばれる土砂が河口に堆積して船舶が入港できない状態となり、政府に陳情が上がっていました。

明治9年(1876)5月に三国湊に派遣されたエッセルは、九頭竜川を綿密に調査し、河口を狭めることで、日本海へ排出する水流の勢いを増し、土砂を沈降させずに排出する計画を立てます。

計画は九頭竜川河口、銚子口において、右岸(下の写真の下側の突堤)にオランダ独特の水利技術である粗朶沈床工法(そだちんしょうこうほう)を用いた弧形の突堤と、左岸(下の写真の上側の岸)のT字水制を築き、川幅を狭くするものでした。

福井建設技術協会
エッセル堤の俯瞰写真 福井建設技術協会

粗朶沈床は、明治初期にオランダ人技師、エッセルやデ・レイケらに日本に伝えられ河川および海岸の洗掘防止の工事法の一つとして広められ、日本の伝統的工法と称されるまでになったということです。

クヌギやナラ、カエデ、サクラ、ツバキ、カシなどの若枝(粗朶)を用い、それらを束ねて格子状に組み、中に石を入れ沈めて土台とする方法が粗朶沈床の構造。

河口部の柔らかい砂地盤での不等沈下や河川の流れのあるところや海岸で底部が洗われて掘られてしまうことを避けるのに適しており、設置後は隙間に砂が入り込んで安定度が増すというものです。

みくに龍翔館
みくに龍翔館

関東地域や関西地域の大河川に採用されるとともに、信濃川・阿賀野川下流など北陸の河川でも広範囲にわたり使われています。

さらに、粗朶沈床は生態系を豊かにする効果もあり、粗朶によって支えられた水底は、多種多様な生物が生息できる空間にもなっています。

エッセルは工事の完成を待たずに明治11年(1878)に帰国しますが、同年、エッセルとともに来日していたオランダ人技師デ・レイケの監督指導により、三国湊の工事が着工され、、明治15年(1882)に完成をみました。

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三国港突堤(エッセル堤)は、上記の粗朶沈床を始めとしたオランダ土木技術を日本の海域に初めて具現させ、現在もなお機能を続けており、三角港(熊本県)、野蒜港(宮城県)と並ぶ「明治三大築港」と称されております。

上の話に出てくる「T字水制」というのは色々探したけど、どこにも出ていませんでした。

水制というのは堤防の意味なのですが、Wikipediaの「ケレップ水制」に川と直角に複数の水制を築いて川幅を狭める工法をいうらしいと解りました。

国土交通省中部地方整備局 水制
国土交通省中部地方整備局 水制

その例として下記の淀川の写真がでていて、T字に見えるではないかと・・・

すなわち、川の流れに直角に突き出した水制につなげて、川の流れと平行の水制を追加して、T字の様に見えるということなのではないかと思います。

え〜と、みくに龍翔館のホームページでついひっかかって、エッセルの突堤のことを書いてしまいました。

Wikipedia ケレップ水制
Wikipedia ケレップ水制

みくに龍翔館の公式サイトの他に、Wikipediaと下記のサイトを参照させて頂きました。

福井建設技術協会
北陸粗朶業振興組合
国土交通省中部地方整備局

でも、考えると、その肝心な突堤は展望台からぼんやり眺めただけで、きちんとした写真もなく、ましてや突堤に行ってみるという発想すらなく帰ってきてしまっていました。

まだまだ三国に脚を運ぶ必要がありそうです。

そのエッセルが三国に滞在した当時、三国湊は空前の繁栄期にあり、港民はシンボルとなる小学校建設を計画していました。

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文明開化の風潮の中で、港民はエッセルに新しい小学校のデザインを依頼して、明治12年(1979)川沿いの高台経が岡に完成したのが、木造五層八角形という日本人には想像もつかないユニークなデザインの龍翔小学校でした。

名付け親は旧福井藩主松平春嶽で、当時の日本では5階建ての木造建築は珍しかったのだそうです。

龍翔小学校は、35年間風雪に耐え、倒壊寸前の大正3年(1914)に取り壊され、昭和の代になり、冒頭に記載したように、その形状を模した形で龍翔館が建設されました。

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三国は九頭竜川の他、足羽川、日野川の流れ込む、重要な港として、朝倉家、柴田勝家、福井藩に保護され、発展しました。

北前船による物資輸送の拠点となり、物資と富が集積し、多くの豪商が生まれて、関西の文化が流れ込みます。

豪商の趣味として俳諧が盛んに行われるようになります。前回、旧岸名家を見学した時に2階に俳諧が行われた部屋が再現展示されていたことが記憶に残ります。

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街の発展と同時に栄えた遊郭から、俳諧に優れた遊女哥川の出現、近代になり森田銀行令嬢の愛子が俳句で名をなす環境が醸成されていたのだと思います。

森田愛子は実践女子校に進学したが、結核を患い、鎌倉で病気療養中に高浜虚子の弟子、伊藤柏翆に出会います。

愛子は伊藤柏翆に師事、高浜虚子も愛子を可愛がり、後に、愛子をモデルとした小説も上梓します。(「虹」)
editimg_4478愛子は伊藤柏翆とともに三国に戻り、師に見守られながら、過ごしますが29歳の若さで逝去します。

凡人の勘ぐりになりますが、どうも虚子と柏翆と愛子の人間関係が読めないところがあります。「虹」という小説を読めば少し解るのかもしれませんが・・・

柏翆は純粋に師として愛子の三国での生き様を支えていたのであり、愛子を慈しむ虚子は、柏翆に愛子のバックアップを期待していたということなのでしょうか?

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柏翆は愛子亡き後も、福井にとどまり、福井の句界に貢献していきます。

愛子のことを調べると、自ずと、やはり29歳で逝去した小浜の歌人、山川登美子を思い出します。

三国は父が福井県知事であったという高見順の生地であるということですが、生誕後すぐに福井を離れているようです。

最も深く三国に関わりをもった文人とは、5年間、三国に滞在したという三好達治なのでしょう。

三好達治といえば、高校の時(だったと思うのですが)下記の詩を授業で知り、未だに印象が残っています。

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『雪』 三好達治

「太郎をねむらせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。

二郎をねむらせ、二郎の屋根に雪ふりつむ。」

あこがれの女性、萩原朔太郎の妹、アイ(愛子)を得るために、前妻と離婚してまで、三国で一緒になりながら、凄惨な結婚生活に終わった三好達治・・・

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『雪』は、その凄絶な三国の生活とは、なかなか折り合わない詩情を醸しだしているような気がします。

龍翔館で大分長くなってしまいました。続くです。

くまじい
阿佐ヶ谷生まれの73歳

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