マチュピチュ

マチュピチュ遺跡を眼下に見て、茫然とします。

「すごい、すごい」とつぶやいていたけど、決められたセリフを繰り返すだけの演技をしてしたような気がします。

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このブログを始めて、室生寺の立体曼荼羅での宗教的な思い、同じく室生寺の五重塔の美しさとおそらく懐かしさ、などから、みっともなく、ウルウルしたことを何回書いたことでしょうか?

今回もクスコからの道筋でアンデスの白い峰を見てウルウルしていました。

今、マチュピチュの遺跡に立ち、涙もウルウルすらもありません。なにも考えられずに、ボーッとして、ただ、ただ、魅入っていたというのが近いと思います。

こんな経験は初めてのような気がします・・・

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4月30日、いよいよ今日はマチュピチュにお目にかかる日です。

たった2日しかいないのかとちょっと寂しいですが・・・

宿泊しているマチュピチュ村から遺跡まではシャトルバスで30分ほど登ります。

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マチュピチュ村は、つい最近、改名された村名で、最近まで、温泉を表す「アグエス・カリエンテス」という村名だったのだそうです。

ということで村には温泉があります。

最終日に欲張って入りに行き、集合時間に間に合わずに迷惑をかけることになったのですが・・・

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ホテルはエル・マピ。階段状の町並みの途中に設けられていました。

宿泊棟はホテルのメインビルディングの裏手の緩やかな階段の途中に1棟、2棟と櫛の歯のように設置されています。

メインビルディングも階段状の構造になっていて、ウェティングバー、レストランとだんだん登って行くのがガラス越しに見えます。

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綺麗なホテルですが、部屋は小さく、ベッドはちゃちで、高級ホテルという感じではありません。

と言って、この村で立派なホテルがあるのかという気もしますが。

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ホテルのネット環境は悪く、メール、ブログ更新もアウトです。

クスコでも苦労しましたが、かろうじて繋がる時があり、最後っ屁みたいなメールを返してそれっきりでした。

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記憶が定かでないのですが、携帯もほとんど通じなかったような気がします。

ツアコンダクターが、Wi-Fiを持たれていたのすが、一緒にいるときにしか使用できないうえ、上手く繋がらないようでした。

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以前、北海道の利尻で「地の涯ホテル」に泊まった時に、メールはおろか携帯も通じないことがあり、まあいいか、と居直って、のんびりすることにしました。

今回は日本は大型連休中だし、なにもあるわけないさと、あきらめがつきます。

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興奮して眠れないのではという、余分な心配をよそに、ぐっすり寝てしまって、朝早く目が覚めます。

天気は良さそうで、雲のない青い空が広がっています。よく見ると青空に月が浮かんでいました。

部屋の外にでて、月の写真を撮って戻って来ます。

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自分の気配を感じて、奥さんも起きてきます。

出発にはまだ時間があるので、朝ごはんを食べてから、集合時間まで街中を歩いてみようと。

実は・・・マチュピチュは2400mの高地で山の上に行くほど、寒くなるだろうと思っていました。

恥ずかしいけれど、以前家族とアウトレット行ったときに見つけた、Milletのヤッケをさあ、出番だとばかりにスーツケースに真っ先にいれていました。

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ということで、どちらかというと、暑がりに似合わぬ寒冷地仕様の着替えを揃えてきて、クスコの街でちょっと違うかなという感覚を持ち始めます。

もっと高度のあるクスコで全然寒くない・・・

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リマを発つときに、2泊分の荷物をリュックに小分けして、スーツケースは戻ってから宿泊するクスコのホテルに預け、マチュピチュに向かいました。

マチュピチュが終わったら、クスコにまた戻り、一泊して、9日組はイグアスの滝に向かう12日組と別れて帰国することになります。

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ということは、ツアのインストラクションで知らされていましたので、準備はしていたのですが、寒いのか、暑いのかは読めないところでした。

クスコでお訊きして、マチュピチュは亜熱帯で高度はあっても暖かいのだと。

リュックに入っていた長袖はまず使うことはなさそうです。

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昨日の夜に、ホテルの土産物屋でよさそうなTシャツを2枚買ってしまいます。

実は、家族でハワイ島に行った時に同じような経験をしています。

201304300125マウナケアの星空ツアーに向かう時に、高地で寒いに違いないと、長袖を着て、でかけました。

夕方の頂上は確かに寒く、ツアで貸与してくれる防寒コートが必要でしたが、マウナケアへの道筋の日中は「ハワイ」でした・・・

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ミニバスでツア参加者をあちこちのホテルでピックアップしていく間に、汗だくになり、途中のトイレ休憩のショッピングモールでTシャツを買う羽目になりました。

話題を戻して、マチュピチュです。

シャトルバスはホテルからしばらく走ると、S字状の道を折り返しながら、高度を上げていきます。

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このS字を横切って直登する道があります。

ボタン亭の祐輔君、この道を歩いて遺跡まで登ったのだそうです。帰ってからのワイン会のお知らせメールのやり取りで知りました。

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遺跡の入口に到着、遺跡内にはトイレがないので、入口にある有料トイレで済ませておくように、言われます。

入場のチケットを持っていれば、外にでても再入場できるので、途中で行きたくなったら、入口まで降りて来ればいいとのことです。

ちょっと心配だったけど、出発前とお昼の時だけで、なんとか持ちました。

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入口のゲートを過ぎて、一折れすると、もうそこに遺跡がちらりと見えてきました。

高度を上げげるに連れて、遺跡の全貌が見えてきます。

クスコの街中でもそうでしたが、絶好の撮影ポジションになるとガイドさんの撮影タイムになって、独り占めで光景を切り取ることが難しい・・・

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1週間くらい、滞在して、毎日毎日、登りに来る日を繰り返す・・・他に何も要らない・・・そんなことを考えてしまいます。

と言って、再度来ても、色々行きたくなることは確かだとは思います。

コンドルでなく、鷹が上空でホバリングしていました。気持ちよさそう
コンドルでなく、鷹が上空でホバリングしていました。気持ちよさそう

ペルー観光公式ホームページの説明をお借りします。

「マチュピチュはウルバンバ渓谷の山間、標高2,280mの頂上にあり、マチュは「老いた」、ピチュは「峰」を意味し、月の神殿のあるワイナピチュは「若い峰」という意味を示す。

スペイン人から逃れるために、あるいは復讐の作戦を練るために、インカの人々が作った秘密都市として建設された。」

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ガイドさんにお聞きした話では、最近では砦という説はあまりされないようです。

太陽を祀る神殿であった、王家の避暑地として開発された、段々畑にはクコなどの低地の作物を試験的に植えるなどの農業の実験が行われていた、などの説があるなどのお話をうかがいました。

遺跡の外側にずいぶん狭い段々畑があるなとガイドさんにお聞きすると、段々畑のような仕切りの中が全て、畑ということではなく、傾斜がきつい斜面の強度を高めるための構造であろうと言われているということでした。

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「マチュピチュの総面積は5平方km、その約半分の斜面には段々畑が広がり、西の市街区は神殿や宮殿、居住区などに分かれ、周囲は城壁で固められている。

16世紀半ば、インカの人々は高度な文明が栄えたマチュピチュを残し、さらに奥地へと消えて行きます。

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その後400年以上にわたって人の目に触れることなく、1911年にアメリカ人歴史学者ハイラム・ビンガムが訪れた時には、草に覆われた廃虚となっていました。」

文字がない世界で、文書が残っていないため、マチュピチュの歴史の多くはは未だに解明されていないとのことです。

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そういう解明されない部分がまた、マチュピチュの神秘性を高めて、さらにまた、興味を集めていくという面もあるのだと思います。

ビンガムは最初の発見者ではなく、すでに、ペルーの農場主が発見していて既知の場所であったというお話もガイドさんにお聞きしました。

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エール大学の南アメリカ史の教授であったビンガムが、遺跡に遭遇し、発掘を進め、マチュピチュの解明に大きな功績を遺したことは事実の様です。

ただし、ビンガムが世に出した報告書とその中に記載した仮説が、近年の研究では誤りとされていることが多く、長い間、マチュピチュの解明に悪い影響も与えていたという面もあるのだそうです。

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ガイドさんの説明では「3つの窓の神殿」もその一例で、勝手な解釈により、3つの窓に意味があるとして、命名したということのようでした。

マチュピチュの夢のような2日間の後に、再度クスコに戻って、訪問したカチャ・コンチャ博物館

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ここで受けた説明では、ビンガムがエール大学に持ち帰った資料をペルーに返却することになり、準備されたのがカチャ・コンチャということでした。

ビンガムが最初の発見者ではないこと、独創的(独善的?)発想で、後の研究を遅らせる悪影響もあったということでしたが、これにより、ビンガムの価値は貶められることなく、マチュピチュの発掘に大きく貢献した学者だったことには変わりないのだと思います。

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午前中にガイドツアを終了し、一旦、下に降りて、入口のところにあるホテルのレストランでフォルクローレを聴きながら、バイキングで食事をします。

午後は自由行動で自由に遺跡の中を歩けたのですが、奥さんと二人で、高いところにある草地に寝っ転がって、ボンヤリと世界遺産を見下ろして長い時間を過ごしました。

くまじい
阿佐ヶ谷生まれの73歳

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