養浩館のライトアップに行ってみたいと思っていましたが、何時行われるものなのか、色々調べましたがわかりません。
福井の方に訊いてもご存じの方がいませんでした。
3月の何日だったか覚えていないのですが、福井県民新聞の記事で、今週の土日の16日、17日に養浩館のライトアップがあると・・・
新聞購読を始めた効能があったというところです。
どこかの大新聞の様に、大学入試には役に立たないかもしれないけど、こういう地方情報を前面にうちだした新聞に感謝です。
それにしても、あの大新聞の広告を見るたびに「受験生を出しにするな」って、突っ込んでしまいます。自宅では何十年と変わらぬ購読紙なので、あまり言えないのですが・・・
3月の始めに小浜お水送り、翌週が京都東山花灯路と、結局毎週末、出歩くことになってしまいますが、夕方に福井にいく程度なら、まあ楽だろうと。
夜遅くなってもいいように、土曜日の16日に向かうことにします。
心配性のくまさん、駐車場が心配なので、電車で行こうと、決めます。
まあ、終わってからのちょっと一杯を期待する気持ちが大きいことも確かです。
5時頃について、ぶらぶらしてれば、暗くなるだろうという目論見でしたが、なんのことはない・・・
部屋でぼんやりしているうちに気がつくと、目的の電車に間に合う時刻を逃してしまいます。
終わってからのお楽しみは諦めて、車で行くことにします。頭のなかは駐車場が一杯だったらどうしうよう、どうしようって・・・
どこかで、なんとかなるさと、居直りつつ、余分な心配が目一杯飛び交う小さい男なのです。
養浩館のすぐそばの曲がり角に到着すると、交通整理が出ています。なんと、すぐそばのビルの前の路上に停めていいと・・・
余りのあっけなさに、いささか呆然としつつ、日頃の行いのお陰だと、カメラと三脚の準備をします。
交通整理のおじさんに、「いつやるのか判らないので、苦労しましたよ」と愚痴ります。
おじさん、平然と、「毎年,3月第3週の土日にやるんだよ。まあこの付近の地元の行事って感じであんまり宣伝してないのも確かだね。」って・・・
「でも、ちょっと前に、新聞に載るんだよ。」仰せの通りで、自分はそれ見てきました。
まあ、これで、毎年、定期的に開催されていることがわかったので、来年は端から計画に入れておこう。
大体が、何時まで経っても、ライトアップ撮影の勉強中で、偉そうにいえるもんではない・・・って、ブログで整理しながら何時でも言い訳しています。
きちんと勉強しないし、相変わらずのマニュアル無視なので、上達する方がおかしい。
プロの写真家の方が同行して、写真のイロハを教えてくれつつ、紅葉や夜景を一緒に撮影を楽しめる合宿みたいな催しがあるようです。
一度勇気を出して、そういう催しに参加してみたいとは思っています。
そんなことも知らないの?ということになりそうで、怖いので、もう少し基礎知識を仕込んで挑戦してみたいと思っています。
養浩館は7月の始め、消化不良のミケランジェロ展の後に、奥さんとともに訪れましたし、折に触れて楽しませていただいています。
また幕末には洋式銃の製造所が設けられるなどの歴史もあるようです。
廃藩置県後も御泉水屋敷は松平家の所有とされ、松平春嶽により「養浩館」と名付けられて迎賓館として用いられたのだそうです。
建物は戦災で焼失しますが、昭和57年に国史跡として指定されてから、復元整備が進められ、平成5年に現在の施設が完成しました。
下記を参照させていただきました。
名勝養浩館庭園(旧御泉水屋敷):福井市歴史博物館。
養浩館の施設案内:福井県公式サイト
御泉水屋敷に導かれている水は現在では地下水が利用されているのですが、江戸時代は芝原用水の水が利用されていたのだそうです。
芝原用水は福井藩の藩祖である結城秀康が、北ノ庄城を築城するにあたって、家老である本多富正に命じ、九頭竜川から導水し、整備した用水である。
武士や住民の飲料水にあてたほか、城濠の水や灌漑用として用いられた。
芝原用水については下記を参照させていただきました。
「みて、きて、福井の川と道」国土交通省近畿地方整備局福井河川国道事務所
ふくい歴史百景「養浩館」
「敦賀短大のクリスマスコンサート」で知った二胡の小林寛明さんとハープの演奏もあり、地元のお祭りどころか、力の入った催しのような気がして楽しめました。
月を一緒に入れてみました。その2
何枚同じような写真を撮っても、なかなか、あきらめきれず・・・
写真を撮り続けていましたが、終了の9時が近づいてきて、満足できる写真はないままかもしれないなと、懸念しつつ、店仕舞いを始めました。
・・・ようやく、3月の整理が終わりました。喉元の刺がとれたようで、ペルーの整理を再開できます。