大分、旧聞になりますが、朝日の「誤報」に対する社長のお詫び会見のニュースがありました。
部分的に見ただけですが、「船場吉兆」の謝罪会見を思い出していました。あのしたたかな、というと褒めすぎのおばちゃん達の喜劇的会見です。
朝日のあまりにも稚拙で、知性を疑う会見を見ていて、父の代から購読しているあの、新聞の代表がこの程度なのか、とえらく失望し、怒りを覚えました。
吉田調書に限定した話になるのかもしれませんが、たとえば、「意図のある記事ねつ造ではなかったか?」の問いに即座に社長が否定していました。
でも、それは、これから行われるであろう、第三者委員会の検証に委ねる回答であって、「貴方が今否定できるはずがないだろう?」と、突っ込んでいました。
また、さらに、方向違いの「チェック機能が働かなかった」という説明がありましたが、それは2次的な問題点だろう。そもそもの、誤報がなぜ起きたかの本質的な説明ではないだろうという点も気になりました。
石破茂大臣が「なぜ、この誤報が起きたのか、記者の日本語能力が欠如していたのかどうかなど、明確に検証する必要がある」というような趣旨のことを言っておられました。
誰しも、朝日の記者たるもの、日本語の能力が欠如しているとは考えていないでしょうから、言下に、「意図を持って事実をねじ曲げたとしか言えないだろう」ということを指摘しているのだと思います。
石破さんの問いかけに朝日は明確に回答する必要があるはずです。
今後、子細が明らかになった時点で、社長退陣を考えていることを匂わせましたが、事態の重さに対しての危機意識の薄さを感じざるを得ません。
食品関係の事故があれば、安全対策が万全であると認められない限り、営業停止、ないしは、製造停止、工場操業停止の措置が取られるでしょう。
場合によっては会社解散のケースもある訳です。
我々の仕事では、不都合があると、原因究明、対策検討、今後の是正(改善)対策検討を進めながら、定常の工事は継続していける場合もあります。
しかしながら、問題点の本質が容易に明らかにならない場合、人災があった場合には作業をそのまま継続することはありえず、作業停止となるでしょう。
問題点の原因究明、あるいは対策の解明、人災の場合にはきちんとした是正対策ができない限り、工事を再開することはできないことになります。
食の安全、工事の安全は人命に関わることですから当然と言えば当然です。
それでは新聞は誤報があっても人命に関わらないから、そのまま新聞を発行することができるということでいいのだろうか?
問題の本質ではないかもしれないけど、自分たちが痛みを知るために、一時的に筆を折る、というような形で、自分達の認識の深さを示すと同時に世間に対しての謝罪を表明すべきなのではないか?
謝罪会見でとりあえず済ましてしまえることに、どこか、他人事で真摯に反省しているとは思えない感じがしました。
・・・最近、仕事のトラブルが続き、つい、ぶるーな気持ちで噛みついてしまいました。