雨の天気予報をあっさり裏切って、いい天気でした。
味真野に桜見物にでかけます。
味真野小学校には次から次と車が押し寄せてきていましたが、
桜の周りを一周すると一丁上がりで、
さっさと帰っていくので込み合うということはありません。
しつこく残っているのは一眼レフを持ったオッちゃん達です。
自分も、せっかく来たのなら、太陽の陽の中で輝く様を見てみたいと、しばらく、雲の切れ間を待っていました。
小学校の後で味真野苑に向かい、遥かに遠い万葉の時代の歴史を知ります。
聖武天皇に仕えた狭野弟上娘子(さののおとがみのおとめ)と中臣宅守(なかとみのやかもり)との相聞歌のやり取り。
中臣宅守は平城の都から越前市・味真野に流され、都に残る狭野弟上娘子との間で思い思われる歌のやり取りをします。
二人の歌は万葉集に63首あり、彼女が詠んだ歌が、うち23首ということらしい。
流罪の原因は定かではないのだそうですが、狭野弟上娘子との仲を咎められたという説もあるのだそうです。
「大奥」の禁断の恋と言うことだったのでしょうか。
「君が行く 道の長手を 繰り畳ね 焼き滅ぼさむ 天の火もがも」
「味真野に 宿れる君が 帰り来む 時の迎へを いつとか待たむ」
下の歌が、春の息吹の中で、恋する女性の切なさが感じられるような気がします。すいません、意味は明確には理解できません。
「春の日の うら悲しきに 後れ居て 君に恋ひつつ 現(うつ)しけめやも」
また、万葉集を代表する歌人・大伴家持と越前の国に赴任した大伴池主との間で交わされた歌にも、越前を舞台にした歌が残されているとのこと。
これらにちなんで整備されたのが越前の里味真野苑なのだそうです。
継体天皇、紫式部など、南北朝時代、戦国時代に留まらない越前の歴史に、さらに興味が広がります。
味真野の桜はまとめて、「わかさぶるうす」に載せようと整理中です。
※味真野全体を歩き回った記事「味真野の桜」を参照下さい。