洞雲寺

洞雲寺
洞雲寺

翌2日は雨の朝となりました。一気に気持ちが萎えます。

お城まで散歩して、帰ってきてから出発と思っていましたが、宿を引き払い洞雲寺に。

途中、七間通りで車を止め、朝市でルッコラ、摘まみ菜、越のルビー、名前を覚えられなかった赤い葉っぱなどサラダ用素材を入手。

一緒懸命おばさんが皮を剥いていたサトイモも、つい・・・

正式の朝市は3月からで、今日はお祭り期間の臨時営業なのだそうです。
「3月にまた来てね〜」って。

旅館で洞雲寺への行き方を訊いていました。

六軒通りを赤根川に突き当たるまで走って、左に曲がり、でてきた橋を渡ると・・・清滝神社でした。

「洞雲寺はお隣」とのことで、一本渡る橋が早かったようです。

辿り着いた境内はどなたもおられません。

勝手に本堂に上がるとチャイムがなり、ご住職ご夫妻が出てこられます。お茶とお茶菓子をいただいた上、丁寧に説明をいただきます。

曹洞宗大龍山洞雲寺、総持寺の元勅禅師が1455年開山。開基は朝倉家に倒された斯波家家臣、二宮左近。

朝倉家の世になり朝倉家の帰依を受け、移転を繰り返したが、現在地に落ち着いた。

世は過ぎ、朝倉義景は疋田城、金ヶ崎で壊滅的な敗戦を喫し、大勢は決します。

義景は一乗谷での決選を避け、1573年(天正元年)大野洞雲寺に本陣を構えます。というよりは落ち延びたという方が正確なのでしょう。

先ほど渡った赤根川の川向うが従妹の大野郡司、朝倉景鏡の領地で、

洞雲寺のあるこちら側が朝倉本家の領地だったのだそうです。

既に、信長に寝返っていた景鏡は川向うの賢松寺を宿舎として招き、義景を討ちます。

義景は世の流れに逆らったというよりは乗れなかったというイメージがあります。なんか人間臭くて興味を魅かれます。くて興味を魅かれます。

くまじい
阿佐ヶ谷生まれの73歳

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