
二尊院から落柿舎に向かいます。
向井去来の別荘で、芭蕉は何回かここに訪れ、
1691年(元禄4年)、「嵯峨日記」を表したのだそうです。
「柿主や梢はちかきあらし山」
・・・柿の樹の背景に小倉山を借景した様子をあらわしているのでしょうか・・・
落柿舎にはかって、40本の柿の樹があり、柿を売る約束をしたところ、
台風により一晩のうちに全部が落ちてしまった・・・ということで、落柿舎なのだと。
現在の落柿舎は場所を移しており、柿の樹も数少ないようです。
邸内で句会が催されていました。
近くに小倉山があり、空海の持ち帰った小豆で小倉餡が造られた、
との立て看板が立っていました。