ニューヨーク、メトロポリタン美術館のショップで購入した一つだと思うのですが、エラ・フィッツジェラルドとルイ・アームストロングのCD。
おそらく、「ニューヨーク」を探して”Autumn in New York”が入っていたのが購入の動機だと思います。
車のなかで聴いている時に、この”Moonlight in Vermont”が心に残り、You Tubeで探しましたが、静止のジャケット写真が曲の最初から最後までという感じであまりピンと来ない。
気に入るものが無いなら自分で動画にしてみようかと余分なことを考えます。
どちらかというとスタンダードな曲なので、著作権についてあまり、厳しく言ってこないかもしれない。
当然著作権を侵害することになるわけだけど、You Tubeのルールでは曲をアップして、誰かが権利を保有している楽曲だと、第三者のコンテンツに一致したというアラームがきます。
ただし、自分がYou Tubeなどで知って、CDを購入した比較的ローカルなアーティストを使用して作成した、動画はどうもチェックの網に引っかからないようです。
Ayoe Angelicaの ” Never Drown “、Leah Orkowskiの” St. James Infirmary “やAlboradaの” Last Mohichan “、さらにペルーの空港で買った無名のバンドのフォルクローレの楽曲を使用した動画はアラームは全く来ていません。
ただし、アラームが来た場合でも、何もアクションを起こす必要はなく、当該動画の視聴は継続できるのですが、下記のいずれかの処置がとられることになる。
それに従うか、もし、異議があるならば申し立てが出来るとの記載があります。
アラームが出されただけでなく、権利者の主張する国に限定して、視聴がブロックされる場合があります。この場合も、該当エリア以外では継続して視聴することができます。
さらに、ワールドワイドで、使用を制限される、すなわち削除される、という3段階の対応がなされるということのようです。
要するに、勝手に使用しても、罰則が科せられたり、刑事罰を受けるようなことはならず、視聴の制限を受けるか、削除されるだけということになります。
金銭目的の意図的な著作権侵害は厳しく罰せられるべきですが、自分の様な用途であれば、許容してもらってもいいのでは・・・という思いもあります。
結果として、この「Moonlight in Vermont」は一部の国での視聴を制限されているとの報告を受けました。
どこの国というのは解りませんが、音源管理会社はイタリアの会社ということなので、イタリア、アメリカなどで視聴を制限されていることになっているのではと思います。
音源は上記の通りですが、月の灯りに相応しい写真が自分のファイルの中を探しましたが、適当なものがありませんでした。
ということで、写真もどこかからお借りする必要がありそうなのですが、こちらの著作権もまた、大変そうです。
以前から、美術展に行ったときには、購入した絵葉書をスキャンして、ブログに載せていました。
褒められたやり方ではないと思いつつ、感想を書くのに、作品が見えていないと雰囲気がでない、ブログの見栄えを良くしたいなどというところでした。
他の方の美術展のブログを拝見すると、作品そのものを載せているものは少ないような気がして、やはり、著作権について配慮されている方が多いのだろうと・・・
そう考えて、美術展の筆が進まなくなっている面はあります。
ただし、海外のほとんどの美術館は写真を自由に撮ることが出来ますので、個人的に使用させてもらうことは良いのかなとは思っています。
今年、ボストン、ニューヨークなど写真を撮らせていただいた美術館については、作品の写真を使わせていただこうと思ってはいるのですが・・・
それより、一体、何時頃、今年のニューヨークの記事にたどり着くのだろうか・・・
話がそれました。
ネットで月明かりの写真を探しているうちに、動画に使用させていただいた神戸観光壁紙写真集に行き当たります。
こちらはリンクを明示すれば使用を許可するということでしたので、動画の中に、リンク名を張り込んだのと、説明にリンク先を記載する形で、動画をアップしました。
とまあ、ということで、動画作製に至った訳です。
以下はElla Fitzgerald公式ホームページの拙訳です。
エラ・フィッツジェラルドは「歌のファーストレディー」と呼ばれ、半世紀以上の間、アメリカ合衆国で最も人気がある女性ジャズの歌手の一人でした。彼女は生涯で、13のグラミー賞を獲得、4000万枚のアルバムセールを果たしました。
彼女の声は柔軟でいつまでも若々しく、広い音域を正確にカバーしています。彼女は官能的なバラード、スィートジャズを奏で、オーケストラのあらゆる楽器の音色を模倣することができました。
エラはデューク・エリントン、カウント・ベーシー、ナット・キング・コールを始めとし、フランク・シナトラ、ディジー・ガレスビーやベニー・グッドマン等に至る、多くのジャズの偉人と共演しましたが、彼らジャズ巨匠達はエラと演奏することを楽しんでいたと言われています。
ホームページでは、ルイ・アームストロングとの共演により制作されたソングアルバムシリーズはできが良くなかったというような記載になっていて、評価が低いようです。
正直言うと、自分もデュエットでなく、ソロの歌を載せたいと思いました。
以前から持っていた、エラの廉価版CDに入っていた同曲を使おうと思ったのですが、ここにもルイ・アームストロングが居て、同じレコーディングのもので、あきらめたというところです。
エラ・フィッツジェラルド(Ella Jane Fitzgerald)は1917年4月25日、ヴァージニア州 ニューポート・ニューズ生まれ。
彼女が生まれた直後に両親が離婚、エラは母とニューヨーク市の北に隣接するニューヨーク州ヨンカーズに移住し、母を追ってきた継父と生活を始め、やがて生まれてきた妹との4人での生活を送っていた。
エラは活発な女の子で家族の生活を助けるために、賭博場でバイトをしながら、男の子に混じって、野球をしたり、ダンスに興じ、アポロシアターで色々な演技を楽しんだりしていた。
しかしながら、母が交通事故の後遺症で亡くなり、小母に引き取られるが、継父も後を追うように病気でなくなり、義理の妹とともに、小母の下で、暮らすようになります。
エラは新しい生活になじめずに、生活が乱れ、少年院送りになったりと不幸な時期を過ごす・・・とあるのですが、その不幸な時代からどのように立ち直って行くのか、というところの記載が見当たらないので経緯はよく分かりません。
彼女の才能が認められる話が続きます。
1934年、彼女の17歳の時に、アポロシアターのアマチュアナイトに出演、ダンスを披露する予定が秀逸なダンシング.グループの演技を見て、自信を喪失、急遽、演目を変え、披露した歌が喝采を浴びます。
サックス奏者のべーニー・カーターにこの演奏を認められ、彼のバックアップで世にでていくことになったということです。
“Moonlight in Vermont” Lyrics
Ella Fitzgerald & Loui Armstrong
Pennies in a stream Falling leaves, a sycamore
Moonlight in Vermont
Icy finger waves
Ski trails on a mountain side
Snowlight in Vermont
Telegraph cables, they sing down the highway
And travel each bend in the road
People who meet in this romantic setting
Are so hypnotized by the lovely
Evening summer breeze
Warbling of a meadowlark
Moonlight in Vermont
You and I and
Moonlight in Vermont
Moonlight in Vermont
Telegraph cables, they sing down the highway
And travel each bend in the road
People who meet in this romantic setting
Are so hypnotized by the lovely
Evening summer breeze
Warbling of a meadowlark
Moonlight in Vermont
You and I and
Moonlight in Vermont
Moonlight in Vermont