以前、「わかさはいかい」でファドについて記事を書いた時のトップに貼り付けたのが下の動画のクリスティーナ・ブランコでした。
今でも大好きな動画です。
ギターラと対話しながら、ドラマチックに自分の世界を作り上げて行く彼女の歌のスタイルに、曲が進むにつれて、どんどん引き込まれて行きます。
ギターラの音が好きということも大きいかもしれません。
CDだけではなく、演奏を生で見てみたい歌手の一人です。
双方の動画ともに黒いドレスを纏っていますがが彼女の歌に不可欠の設定なのでしょう。
アマリア・ロドリゲスの歌に感ずる、宿命の暗い哀愁というのがクリスティーナにはあまり感じられない気がします。
なんだろう・・・
彼女のバイオグラフィには元々はJAZZとポルトガル音楽を演奏していたが、祖父がくれたアマリアのCDを聴いてファドを歌うようになったとあります。
そういう意味では、最近の歌い手達がおそらく、皆、そうであるように生まれつきのファドでなく、現代っ子が演歌を勉強することにより、演歌歌手になった・・・そんな感じで 彼女の歌に現代的な風味をもたらすのでしょう。
アマリア・ロドリゲスはファドそのものという意味で別格の存在のような気がします。
と言ってそれほどファドに突っ込んでいるわけでもないので、えらそうに言えるところではないです。
自分がファドを初めて知ったのがアマリアなので、ファドをその窓から見てしまうというところが大きいのだと思います・・・
アマリアとビリー・ホリディ、美空ひばりに共通する魅力を感じます。
各々がファド、ジャズ、ブルースそのものという感じです。
美空ひばりは「演歌」、「艶歌」というよりは、ブルース、ソウルというか、いや「ひばり」なのです・・・って何いってるんだか・・・
ふと寄り道して、You Tubeで「みだれ髪」を聴いて涙してしまいました。
「春は二重(ふたえ)に巻い〜た、お〜び〜」で涙があふれてしまうのです。
CristinaBranco.com/
Wikipedia(英語版)/Cristina_Branco
Se não chovesse tanto, meu amor
Se a noite não tivesse vindo assim
Se o céu não estivesse desta cor
E houvesse menos gente ao pé de mim
E houvesse menos gente ao pé de mim
Se eu pudesse dizer o que não digo
Se não sentisse falta do que dei
Se não quisesse agora estar contigo
Se não quisesse agora estar contigo
Não fosse eu não saber onde é que moras
Não fosse a minha casa estar diferente
Se não fosse já serem estas horas
Não fosse a minha casa estar diferente
Se não fosse já serem estas horas
Se esta noite parece não ter fim
E que estou muito feliz aqui sozinha
Não fosse tu não estares ao pé de mim
E que estou muito feliz aqui sozinha
Não fosse tu não estares ao pé de mim