阿夫利神社のお参りを終えて、2時頃に病院に到着しますが、先生のご都合で手術は夕方になりそうとのこと。
病室で待っていると娘の知り合いの方が激励に訪問してくれたり、事務的な連絡に来たりと結構人の出入りがあります。
短期間なので贅沢すると、個室に入っているので、その都度、すわ、お迎えか、と緊張するのですが・・・結局お迎えは6時になろうとする時間でした・・・
明確な記憶がなく、あいまいですが・・・手術は1時間程で終了します。
奥さんと下の娘と3人で先生のお話を聞きます。
手術は50分で終了して、結果は良好であること、検体の検査結果は暫くかかるが、良好な結果がでれば問題ないことなどを伝えられます。
切除した腫瘍を見せられますが 、切除と言うより少しずつ剥ぎ落としていった、と言うのが正確な様に小さな粒粒の集まりになっていました。
自分の全く理解できない臓器のことゆえ、話を聞いても明確なイメージは判らないのですが、ともかく今まで疑問だったこと、不安だったことをこの際、極力、確認します。
切除して、全て解決と言う訳でなく、これからのケアが大事で、娘の苦労がまだ続くことに痛みを覚えました。
先生のお話をお聞きして、部屋に戻ると暫くして、娘が帰ってきます。
自分の時よりは意識がはっきりしていて、全身麻酔の程度が大分違うのかと思いました。それでも、当然、いつもの元気は無くて、冗談でも突っ込み難い状況です。
しばらく、娘の必要なものの買い物したりと病室にいましたが、「大丈夫だからもういいよ」との娘の声に促されて、病院を後にします。
奥さんと次女と3人で伊勢原の飲み屋でささやかな乾杯。席の近くの貼り紙に「五代」の文字を目の端でみていて、ビールの乾杯の後の2杯目を「これの水割り」ときちんと確認しないで注文してしまいます。
なんと「五代」の梅酒でした。
甘ったるい、水割りを止むなく乾すという失態を・・・次女、「お父さんが梅酒頼むなんて、珍しいなと思った。」って・・・
自分だけが気が付かなかったということみたい。
翌日は午前中に娘の顔を見て、お客さんのところに打ち合わせを兼ねてご挨拶に向います。
新宿で地下鉄新宿線に乗り換えて、小川町で下車。上にでるとプラタナスの黄色が鮮やかでした。
本社から来た人間とお客さんの本社で待ち合わせ。二人で打ち合わせとご挨拶。
正直言うとお客さんが、自ら動こうとしない面があって、なかなか話が進まなかったのですが、ようやく、少しだけ動き始めてきて、近々に具体的な打ち合わせをと言うことで、終わります。
打ち合わせ終了後、本社の知り合いの他のお客さんを求めて、ご挨拶をして廻ります。
終了後にもう一つのお客さんへのご挨拶に田町に向います。
田町駅から5分程度のところにできた真新しいビル。
約束は5時ですが、3時半ごろに着いてしまったので、ビル前にある喫茶店で久しぶりに二人で積もる話をして、時間をつぶします。
4時半に近くなると外が薄暗くなってきて、喫茶店がバーに切り替わるらしくて、夜の準備のせいか、照明が暗くなります。
それ以上粘る気力もなく、ビルに入って、会社の受付階までのぼり、時間まで待たしてもらいます。
外を見ると、東京タワーと六本木ヒルズが夕暮れに映えていました。
5時になり、ようやくお客さんお二人とお会いできます。話もそこそこに、4人で人形町へ向い、懐かしの粕漬けの「魚久」の懐石料理で盛り上がりました。
昔、人形町に時々打ち合わせに行くことがあったのですが、会社の人に教えられて、よく粕漬けをお土産にしていました。宴会をするのは初めてです。
その夜は千葉の自宅へ帰ります。
翌日、7日は市役所に出向いて、期日前投票。自分の投票した人は落選してしまいました。
それにしても、民主党という党の実態はどこにあったんだろう・・・選挙時期を誤ったなどという、とんちんかんな総括していること自体が信じられない・・・
民主党を造り上げた重鎮があっという間に離反し、弱体化。残った議員たちが結束することなく、勝手なことを言い合う。
見せかけだけの仕分で点数稼ぎ、沖縄基地、震災、原子力発電所、外交問題・・・
と難問の連鎖に対して、無力どころか余分なこと言う、余計なことするなど、失政を重ねて、日本の行く末を不安に落とし込んでしまった。
だいたいが、政治主導と言うよりは、官僚にそっぽを向かれた揚句に、最後は官僚の言いなりとしか思えない政策の羅列になって・・・
そして振り返ると、だれが「民主党」なの?と自分は困惑しました。
結局は選挙目当ての野合の党でしかなかった・・・
長い間、岩手の王様に首相をやって欲しいと願ってきた自分は、裸の王様の末路を目の当たりに見て、いい歳して政治不信に・・・・???
つい・・興奮してしまいました。2大政党の幻想に一時的に期待した自分への怒りがあります。
選挙を終え、伊勢原に向います。