6月は週末になると天候が悪くて、出かけられないことが多く、ブログ記事の滞貨消化が進みました。
週末に出かけられないので、日々散発的に撮った写真ばかりで、ネタ切れ気味・・・暫くお休みするかと、考えつつ、「水無月」の言葉が浮かびました。
お恥ずかしいことですが、今まで「水無月」の意味を深く考えたことがありませんでした。それも字の意味を考えないで、漠然と梅雨時で水に関連する月という捉え方をしていました。
改めて考えて見ると「みずのないつき」ですから 、字からの意味は第一感では梅雨明けか?
・・・でも、どうも色気がない・・・旧暦、新暦の違いはあれ、6月のなんとはなしの「みずみずしさ」を損なう気がする。
それに、旧暦の時代に梅雨の概念があったのだろうか・・・
水無月を検索するとWikipediaでは下記の通りでした。
「旧暦(太陰太陽暦)の6月は現在の6月下旬から8月上旬に当たる。
水無月の由来には諸説ある。列挙すると・・・
①
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文字通り、梅雨が明けて水が涸れてなくなる月であると解釈されることが多い。 |
②
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田植が終わって田んぼに水を張る必要のある月「水張月(みづはりづき)」「水月(みなづき)」である。 |
③ |
田植という大仕事を仕終えた月「皆仕尽(みなしつき)」である。 |
④ |
水無月の「無」は「の」という意味の連体助詞「な」であり「水の月」である。 |
⑤
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新暦6月に対しても異称として使用され、梅雨時であることから「梅雨で天の水がなくなる月」「田植で水が必要になる月」といった解釈も行われるようになった。」 |
『語源由来辞典』では、「水無月は陰暦で6月のことを指す。」は良いのですが、冒頭から「水の無い月と書くが、水が無いわけではない。」と断定されています。
字の意味はWikipediaの④に相当し、意味としては②に相当するということです。
梅雨に対しても、もし、6月で梅雨明けをうたうなら、梅雨の時期である「皐月」が梅雨に無関係なのはおかしいだろうということで・・・
なるほどと・・・
と言うことで、自分の好みとしては「語源由来辞典」の解釈の「みずのつき」と、Wikipedia の⑤の新暦に対する解釈がぴったりくる気がします。
それじゃあ「神無月」はどうなんだろう。
10月は八百万の神が出雲大社に集まり、全国から神が居なくなるので「神無月」・・・
出雲では逆に「神有月」と呼ぶ、という記憶がありました・・・
おなじくWikipediaでは下記のように記載されています。
日本では、旧暦10月(10月下旬~2月下旬)を神無月(かんなづき、かみなしづき)と呼び、現在では新暦10月の別名としても用いる。
「神無月」の語源として以下のような説があるが、いずれにしても「神無」は宛字としている。
① |
醸成月(かみなんづき) | 新穀で新酒を醸す月 |
② |
神嘗月(かんなめづき) | 新嘗(にいなめ)の準備をする月 |
③ |
神な月(かみなづき) | 「神の月」の意 |
④ |
雷無月(かみなしづき) | 雷のない月 |
一般には、出雲の出雲大社に全国の神様が集まって一年の事を話し合うため、出雲以外には神様が居なくなる月の意味と言われており、出雲では神在(有)月という 。」
「語源由来辞典」では「水無月」が「水の月」であるように③の「神の月」であり、「神を祭る月」である。と言う解釈で、俗説として出雲に神々が集まる説を紹介しています。
字に関しての解釈は、「水無月」と「神無月」に共通するものとして、俗説に関わりなく、「無(な)」は「の」の意味の助詞であるということが納得できるような気がします。
そして明日から7月、「文月」になります。これまた解釈は色々あるみたいです・・・