びわ湖長浜ツーデーマーチ

5月13日(日)、いい天気です。びわ湖長浜ツーデーマーチの2日目、下表のGコース「浅井三姉妹ふるさとめぐり20km」を歩きに行きます。

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集合地の「河毛駅」にも興味を惹かれました。こんな時にしか降りることないのではと・・・

土曜日にBコースの彦根城から長浜城を歩きたい気持ちもありましたが、天気予報があまり良くなかったこと、2日も20kmはちょっときついかというところで2日目に絞りました。

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野坂の頭がみえていませんが、南に行くほど晴れるはず・・・

歩いている時に2日間参加された方とお話しましたが、土曜日の天気もよかったようで、ちょっと読みを誤ったかもしれません。

河毛に向かう途中、余呉で10数人程度降りて行きます。皆歩く格好をしています。

びわ湖長浜ツーデーマーチ


コース 受付/スタート
場所 スタート
5

12 日
中山道宿場めぐり 40km     <健脚向> 豊公園 8:00
中山道の宿場まち醒井・柏原宿をめぐる周回コース
国宝彦根城 20km       <一般向>
県立彦根
総合運動場
9:30
国宝彦根城から長浜城までをたどる片道コース
琵琶湖満喫遊覧船 20km ※限定200人 <一般向> 豊公園 9:30
長浜港から遊覧船に乗り彦根港まで琵琶湖遊覧を楽し
み、その後長浜まで歩く平坦な片道コース
近江・母の郷 15km       <一般向> 豊公園 10:00
「功名が辻」で脚光を浴びた山内一豊の妻千代のふるさと
をめぐる平坦な周回コース
びわ湖南回り 10km       <家族向> 豊公園 10:30
琵琶湖を眺めながら歩く平坦な周回コース
5

13
湖北古刹と清流のみち 40km    <健脚向>
余呉湖
観光館
8:00
湖北の丹生渓谷と古刹をめぐる片道コース※一部登坂
浅井三姉妹ふるさとめぐり 20km <一般向>
JR
河毛駅
9:30
浅井三姉妹「茶々・初・江」の生まれたふるさとを
あるく平坦な片道コース
北国街道 15km          <一般向> 豊公園 10:00
北国街道をたどり琵琶湖岸を歩く平坦な周回コース
びわ湖北回り 10km       <家族向> 豊公園 10:00

この辺から山登りする人がいるんだな・・・とぼんやり考えていましたが、大会の案内を見て、Fコースの40㎞組の人たちだったことに思い至ります。

8時半前に河毛に到着。まだ受付もできていませんでした。受付の準備をしている人にお願して、早めに登録させてもらいます。

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駅前でお迎えする、浅井長政とお市の方像の周りで待機する参加者

下の写真はゴールの豊公園にあった集計表です。

2日間延べで4205人うち中学生以下274人、2日目単独で1978人、Gコースは624人で自分と同じ本日だけの参加が114人という結果でした。

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開会式を待って河毛駅前の広場でたむろする人たちがだんだん増えて行きます。

係りの若い人に「おい、小谷山は向こうの奥に見える山だよな」と訊いている人がいます。

「違いますよ、すぐ手前に見える山が小谷山ですよ。」

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ついでに、「くま」も便乗して、色々訊いてしまいました。

「右手方向に見えるのが織田信長の主力が陣取った虎姫山、左手に見えるより小谷城に近い位置にある低い丘に明智光秀が配置され、孤立して苦戦したんです。

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このことがきっかけで光秀の恨みが育って行き、信長を討つまでに至ったとも言われています。」

いよいよ開会式が始まります。

MCの紹介であいさつに立った人は長浜のウォーキング関係の偉い人だと思います。

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「後ろに見える小谷山を起点としたこのコースは昨年から設定され・・・」って、さっき、どれが小谷山や?と尋ねていたオジサンです。きっと挨拶で紹介するために、事前に確認していたのだと思います。

可愛いいオジサンって、思わずニヤニヤ・・・

歩き出すと虎姫山(虎御前山)の登山口があります。

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滋賀県観光情報によると、虎姫山は標高約230m。古くは長尾(ながお)山と呼ばれていた。

戦国時代、織田信長が小谷城の浅井長政を攻めた折、最前線として虎御前城を築き、柴田勝家の陣が置かれた。砦は小谷城落城の後、すぐに壊されています。」

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郡上の尾崎神社、毎年9月16日に灯明祭というのがあり、浅井長政の時代から行われているのだそうです。

なんとなく雰囲気を感じて、寄り道したい気持ちがあったけど、ウォーキング軍団の動きは早く、誰も居なくなります。
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勝手の判らない初参加者はつられてパス。先を急ぎます。ってちょっと余裕がない感じで、あまり面白くありません。

郡上、大谷市場跡と標示がありました。周りは史跡の面影もなく、水田が広がっています。

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小谷山

この地域は戦乱の時期を過ごして、戦火に煽られ、兵馬に踏みにじられ、さらに近年では開発の波に呑まれて、城下町としての史跡をとどめることが難しかったのかと。

一乗谷の史跡はきっと世間の移ろいから隔絶した形で保存されて行った貴重な例なのだろうと、ぼんやりと、朝倉邸跡を思い浮かべていました。

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小谷城は目の前の小谷山(495m)にあるものと思い込んでいたのですが、実際にはこの写真には写っていない、右側の尾根にそって形成されていた山城だったのだそうです。

正面に見える小谷山には小谷城の支城の大獄城があったということです。(大獄がもともとの小谷城であったと言う説もあるらしい)

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小谷城は陥落後に、構成していた部材を秀吉の長浜城構築に移築利用され、名残りをとどめておらず、歴史を追いにくいようになっているようです。

以前、小谷城を登ろうと思い、来たことがあったのですが、人が誰もおらず、道も怪しい気がして、結局伊吹山に行った記憶があります。

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虎姫の街中で見た、街路標示ですが、「HANEIKAI」の意味がわかりません。

昨年の大河ドラマで観光客の数が増えて来ている今日この頃の様子からはちょっと信じられない雰囲気でした。

小谷山は再度登りに来ようと思いますので、資料館も小谷寺も併せてパスして先に進みます。

それでも、ウォーキング軍団主流は怒涛の勢いで進軍していき、写真に捉われている自分は圧倒的な殿を務めることになります。

遠くの田んぼにいるサギ?をレンズを換えて撮ったりしてるんだから、時間が流れていきます。

麦畑が広がっています。今頃は赤く染まって麦秋を迎えている、あるいは既に収穫を終えたじきなのでしょうか?

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その向い側に浄土真宗五村別院がありました。

表に「花祭り」???の手書き看板が立っています。

今頃「花祭り」・・・五村別院って響きがいいなと、今まで寄り道を避けてひたすら歩いてきたのですが、ちょっとお参りさせていただくことに・・・

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五村別院は正式には真宗大谷派本願寺別院。
本願寺12世教如に深く帰依した湖北の門徒衆が豊臣秀吉に隠居を強要された教如を迎えて開創した。

教如は本願寺11世顕如の長男として1558年に生まれた。顕如が信長と争った石山戦争は朝廷の介入により1580年に和睦し、顕如は和歌山に移ります。

教如は徹底抗戦を主張して、本願寺に籠城しますが、抗しきれず、本願寺を去ります。顕如の死後、教如は12世を継ぎますが、秀吉の意向により隠居させられ、弟准如が後継者となります。

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教如はここ別院に迎えられますが、関ヶ原の戦に勝利した、家康に京都六条烏丸に地を与えられ、東本願寺を建立します。

教如の激しい性格と、それでも結局、時の権力者に屈し、利用され、翻弄される宗教という思いがします。

別院の本堂におられた住職さんにお訊きすると、この地方では、毎年5月、旧暦でお花祭りをお祝いするのだそうです。

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重要文化財の本堂まで上がるウォーカーは居ない様で、住職さん、ご親切に色々教えていただきました。

大守神社・・・仁賢天皇の御代5年(454年?)3月に越前国角鹿笥飯宮(つぬがけひのみや=敦賀気比神宮?)より分霊を遷宮して奉斎し大守大明神或は大炊森大明神と称し、社領地5町7反歩を有していた。
「滋賀県神社庁」

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大守神社

素通りします・・・お弁当支給場所で大勢が休憩をしています。

と言っても自分はお弁当を申し込まずに途中のコンビニで、オニギリを買ってあります。腹も減らないし、もう少し歩こうとトイレだけ借りて先に進みます。

実はここで道路案内を勘違いしていてお弁当支給場所があと7.7km地点とあと3.5km地点と2か所あったのですが、お弁当に関係なかったため、よく確認しておらず、あと3.5kmまで来たと思いこんでいました。

a120513182次のお弁当支給場所の近くまできて、豊公園まで後4kmの標識を見て、「えっ!」と・・・一気につかれが出て、足取りが重くなってしまいました。

第2のお弁当支給場所はびわ湖に臨んだ南浜にありました。広大なびわ湖を見ながら、ようやくオニギリを取り出して昼食休憩です。

気持ちが落ち込んで、疲れがでてきて、脚もパンパンですが、後少し頑張ろうと・・・

かなりスピードが落ち込んできた「くま」を40km(しかも2日間!)の人が足取り軽く抜いて行きます。

自分を野坂につれて行ってくれた「師匠」が三方のツーデーマーチで40kmを2日間歩いていたのを思い出します。

「師匠」はその勢いを駆って小浜から京都の鯖街道80kmを歩いていました。こちらは20km一日でフラフラです。体力の差は限りなく大きい。

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うれしい標示が・・・残り3km地点から1km単位で標示がでてきました。途中の道路にももう少しこう言う標示があると頑張りやすいような気がします。

とうとう長浜城が見えてきて、小谷城から長浜城まで歩いたという、嬉しい完歩で自分としては大満足でした。

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歩き終わって疲れた腰をかばいながら、よちよち長浜駅に向かう「くま」に、知らないオバサンが心配そうに「脚を痛めたんですか?気を付けてくださいね。」とやさしい言葉をかけてくれました。

総体として、ひたすら歩くだけ、の感じがしたことは確かで、自分には被写体になるものが多い場所で10km〜15kmをのんびり歩くのが合っている様な気がしました。

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まあもう少し歩くのになれれば距離は20kmでもOKなのかもしれません。

いずれにしろ、来年、彦根〜長浜20kmに挑戦して様子を見てみようと・・・

くまじい
阿佐ヶ谷生まれの73歳

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