昨年11月23日の続きです。水道橋のお蕎麦やさんで、遅めの時間のランチして、お酉様に向かいます。
鷲神社へのアクセスは浅草、入谷、三ノ輪の3方からの道がありますが、以前、浅草からと三ノ輪からと双方を経験しています。
浅草から行った時のことは忘れているので、三ノ輪駅から、お詣りしたときのことですが、神社に近づくと、大行列が出来ていて、かなりな時間待ちで、お詣りすることになりました。
お詣り後に浅草まで歩いて飲み屋を探しましたが、どこも大混雑で、何軒か廻ってようやく入れました。
入谷からが一番の近道みたいだし、今年は、入谷からアクセスしてみようと・・・道は正解で、まもなく国際通りに出て、道を挟んだ向かい側に鷲神社の大鳥居と提灯が見えました。
ところが、横断歩道の渡り口に警察官と応援の民間警備員達が居て、横断歩道は帰る人専用の一方通行で、こちらから渡ってはいけないのだと停められます。
通りの向こうを見ると、神社の参道前で、浅草方向と三ノ輪方向から大行列がぶつかる形になっていて、後から来た人間は、どちらかの最後尾まで行く必要があるようでした。
見た目では、浅草側と三ノ輪側の行列の凄さは判らず、どちらに行くべきか、判断に迷いましたが、結局、前回来た三ノ輪側に歩きだします。
交差点2つ、3つ越えた辺りで、横断を許されましたが、列は更に続き、最後尾は三ノ輪の交差点に近い方まで歩きます。折り返す分を考えたら、三ノ輪の方が近かったかな・・・
浅草の鷲神社のサイトでお勉強させていただきます。
『社伝によると天照大御神が天之岩戸にお隠れになり、天宇受売命(あめのうずめのみこと)が、岩戸の前で舞われた折、弦(げん)という楽器を司った神様がおられた。
天手力男命(あめのたぢからおのみこと)が天之岩戸をお開きになった時、その弦の先に鷲がとまったので、神様達は世を明るくする瑞象を現した鳥だとお喜びになった。
以後、この神様は鷲の一字を入れて鷲大明神、天日鷲命(あめのひわしのみこと)と称される様になりました。
天日鷲命は、諸国の土地を開き、開運、、殖産、商賣繁昌に御神徳の高い神様としてこの地にお祀りされました。
後に日本武尊が東夷征討の際、社に立ち寄られ戦勝を祈願し、志を遂げての帰途、社前の松に武具の「熊手」をかけて勝ち戦を祝い、お礼参りをされました。
その日が十一月酉の日であったので、この日を鷲神社例祭日と定めたのが酉の祭、「酉の市」です。この故事により日本武尊が併せ祭られ、御祭神の一柱となりました。
以前は、酉の祭(とりのまち)と呼ばれていましたが、祭に市が立ったため、次第に市の文字があてられてきました。』
鷲神社のお隣の長国寺のサイトの説明では、全く異なるストーリーになります。
文永2年(1265年)、日蓮聖人が国家平安を祈っていたところ、明星が動き出し、聖人の前に鷲妙見大菩薩が現れた。それは11月酉の日であった。その後、酉の日を以て酉の市が開催されるようになった。
鷲妙見大菩薩は七曜の冠を戴き、宝剣をかざして鷲の背に立つ姿から「鷲大明神」、「おとりさま」と呼ばれ、開運招福の守り本尊とされている。
酉の市開催日には鷲妙見大菩薩のご開帳があり、さらに午前2時から9時までの間に、特別祈願があるのだそうです。
長国寺の話は今回、この文章を書こうと思って知りました。神社のお詣りで疲れ果て、神社の熊手を買って、大きな熊手の屋台を眺めつつ、長国寺をパスしてしまいました。
いつか、「おとりさま」にお詣りしたいと思います。
2時頃のランチで腹が空くかと思っていましたが、杞憂に終わり、腹を空かして5時開店の吉原、土手の伊勢屋さんに開店寸前にたどり着きます。15人位の待ち人がいました。
20分程待って、ようやく開店になりますが、我々の前の二人の地元のオバさんのところで、列を切られてしまい、さらに30分程待たされることになりました。これ幸いと美味しいところの情報をオバさんから入手します。
相席でも良いかと、聞かれればそれはもちろん結構ですと、ようやく座れて、天丼の注文と熱燗を1本。前に座ったご夫婦のご主人、既に3本目を行ってて、大分ご機嫌。
地元の方みたいで、「浅草界隈じゃ、ここの天丼が一番よ、あそこの天丼なんて比じゃねえよ」と某有名店をけなします。
自分の祖母のお気に入りの天ぷら屋さんだったその有名店、自分も、最近行っていないな・・・
「まあ、おれは食ったことないけどな。」って、ちょっとずっこけます。「ここも先代までは良かったよ。最近ちょっと落ちたな」と。
自分が以前、ここに来たのが、20年前くらいで、まあ先代だったんだろう。美味しかった記憶があります。う~ん、これ以上は・・・言葉を濁しておこう・・・・
なにはともあれ、こうやって雰囲気の良い店で地元の人と話しをするのもいいもんです。