炎天下、余呉川沿いの44号線を磯野に向かって歩きます。稲穂がそろそろ大きくなってきています。
でも、見比べると田んぼによって出来具合が異なるようです。イネの種類の違いによるものなのでしょうか?
川向こうに磯野山城址の文字が見えてきます。ここから余呉川を離れて磯野に入ります。
磯野山城は、京極家、浅井家に仕えた磯野氏の居城で、賤が岳から南に連なる山並みにあり、賤が岳砦、山本山城、赤尾城などと並ぶ城になるそうです。
磯野氏はその後、佐和山城に移封され、浅井家の将として信長と対峙しました。
戦の中で浅井家に疎んじられたため、信長の軍門に下り、重用されるのですが、後に信長の怒りを買い、当主員昌は出奔、磯野家は没落したとのことです。「戦国大名探求」
磯野に入ると立派な門構えの磯野家があります。宗主の係累なのでしょうか・・・
お庭に紅白のサルスベリが・・・でも、ふと思ったけど、白のサルスベリ(百日紅)っておかしくないのかしら・・・
赤見山磯野寺は磯野の人達総出でおもてなしって感じで、お寺の説明から、お茶の用意から親しみのある雰囲気でくつろぎます。
西国霊場の土を石の下に埋めてあるので、ここでお祈りすると西国巡礼したことと同じになるという印石、柱の根元に植えられた蓮の花、元禄11年の製作の「日本最古の石灯籠」、等々の説明をしていただきながら、十一面観音にお参りします。
御本尊の十一面観音像のお顔は、素朴な田舎の童子が拗ねてふくれたような・・・愛すべきお顔をしておられます。
つい微笑んでしまうような・・・失礼な言い方かもしれませんが・・・
赤分寺(せきぶんじ)までの道をお訊きして歩き出します。気の遠くなるような陽射しの中、農道を歩く人は他にだれも居ません。遠くに伊吹山がゆらめいて見えます。
森を目指して歩けと言われていたその森がみえてきました。
赤分寺の左手前に見える木は樹齢75年のハナノキで全国でも珍しい木で特別記念物に指定されているのだそうです。葉の出る前の3月から4月にかけて赤い小さな花を咲かせるということです。
ご本尊は、今まで見てきた観音様に比較すると面長で綺麗な顔をされていて、系統が異なる感じがします。
優しいお顔ですが、怜悧な感じで、ちょっと突き放される感じがします。見上げる形になっていることと、変な話ですがお顔の前にある房の色が朱色とか赤色とかだと印象が異なったかもしれません。
赤分寺を後にして赤後寺(しゃくごじ)に到着。赤後寺の門前の家並みは歴史を感じさせる趣を見せています。
疎水、門構え、蔵の壁など昔からの赤後寺を中心とした町の営みにより磨かれてきているというところでしょうか。
高月の町を歩いて、高野神社の門前、雨森など好ましいところが幾つかありましたがこの赤後寺の門前の雰囲気もなかなかいい感じです。
赤後寺の御本尊は聖観音立像、千手観音立像の平安初期の2体で千手観音立像が100年程度古いのだそうです。
戦乱を越えて双方の観音様とも手を失われ、千手観音様の頭も装飾が一切無くなっています。
厄を転じて利となす「転利(ころり)観音」として全国にも知られている観音様なのだそうで、毎年7月10日のお祭りには大勢の人がお参りするとのことです。
正面からお参りしていると、端正なお顔の聖観音より、千手観音の素朴な人間味のあるお顔に味があるなと思いましたが、購入した写真は残念ながら千手観音が正面を見ておられず、少し斜に構えておられます。
と言っても双方の観音様とも良いお姿だなと思います。
赤後寺のおもてなしはスイカでした。
山の様に盛ってあります。お参りした後でごちそうになろうと思いましたが、出てきた時には4時になろうとしており、店仕舞いされていました。
おいしそうだった・・・
今日は終わりかな、と思い循環バスに乗りましたがましたが、諦めきれず、横山神社で下車。高月唯一の馬頭観音をお参りします。
わかさ地域の馬頭観音は坐像が多いようですがここはすくっと立たれている上、お顔が憤怒の表情なのだと思いますがなんとなく穏やかな印象がありました。
横山神社から光明寺まで行き、5時の最終バスに乗ろうと思い、歩き始めますが、お祭りの幟が片づけられ始めていて道が判らなくなります。
不安になり、歩いている人に光明寺への道を訊きます。
最近引っ越してきて、確かではないけど、あそこでは?と言って、お堂を指されて、向かいます。大師堂高月支部と書いてありました。
ようやく光明寺にたどり着いた時にはもう最終バスの時間ぎりぎりでした。
正妙寺であいさつを交わした後、あちこちでお目にかかった女性もおられて、再び挨拶を交わしますが、お話する暇もなくともかくお参りに・・・・
ご本尊の千手観音立像は室町時代の作ということです。
じっくりお参りする時間もなくすぐ最終バスが来てしまいます。慌てて写真を撮って飛び出します。ボランティアの方がバスを抑えていてくれてようやく間に合いました。
道を間違わなければ件の女性とお話する時間があったのに・・・女性とお友達になりたいというのもあると思いますが、仏像を求める女性の気持ちというものを聞いてみたいというところがありました。
何故、最近、自分が仏像を求めて歩いているのか?ということをちょっと考えたりしていて・・・
バスを降りて、疲れ果てて敦賀に帰り、お定まりの五縁で疲れを癒して帰りました。
2年かけて「ふるさとまつり」に参加させていただき、主だった観音、仏像をお参りし、また高月町の面白そうなところ知ることができたと思います。
来年も、残った観音様をお参りしたり、再度お会いしたい観音、仏像、および雨森など、再び歩いてみたいとところを再訪しようと考えています。・・・何時まで敦賀にいるのって・・・?