BUNKAMURA Museumでの「国芳、国貞」展で、下記の絵に惹かれ、ショップで「歌川国芳~奇と笑いの木版画」府中美術館編を購入しました。
国芳の描いた妖怪物などの、大胆な発想による構図、色使いに、はまってしまったというところでした。
今、ブルーレイデッキに貯まりきった録画を残すか、残さないかを選別しつつ、ディスクに落とす日々を続けています。
見ていないビデオの中身も確認しながら、BDのラベルをパソコンで作成して、などと、えらく時間がかかり・・・色んなことが滞留しています。
ドラマの中に、国芳の「東都三ッ股の図」(下図)がでてきて、「国芳がスカイツリーを予言した絵と言われていたんだけど・・・」という会話がありました。
改めて、購入した本で確認すると確かに絵の左の方に、その「スカイツリー」が立っています。
足下にある橋の大きさと比較すると、とてつもなく巨大な建設物に見えます。
ネットで確認すると、5~6年ほど前、スカイツリーがそろそろ姿を現しつつある頃から、国芳が予言者であった、あるいはタイムスリップした未来人である、などと、メディアで、大分騒がれたようで、今頃、というところみたいです。
ドラマでは、「井戸を掘る櫓だったということですよ。」で終わっていて、確かに、テンポラリーな櫓であれば記録には残っていないでしょうからありうるのかと。
三ッ股と言うのは、隅田川が佃島で分けられてY字になっているところを指すのだそうです。図の右手に見える大橋が永代橋、その先に帆柱が林立しているところが佃島、と言うことらしい。
左手の遠く見える橋は小名木川の萬年橋というのが定説のようですが、地図で確認すると、永代橋に近すぎる気がします。
今は埋め立てられてしまった、小さい水路にかかっていた橋、という記述もあり、その方が頷けそうです。
いずれにしろ、隅田川の西岸から南東方面の東京湾方向を見ていることになるので、スカイツリーとは反対というか120°くらい明後日の方向を見ているということのようです。
「スカイツリー」の隣にある低い塔は火の見櫓のようです。
江戸時代の火の見櫓は最大の櫓が約15mという事なので、両者が近くにあるとものとすれば、「スカイツリ-」は大体30mくらいの高さということなり、そう高いものではないということになるような気がします。
この図は船底を焼いて昇る煙と、天候が崩れそうな、あるいは雨上がりの晴れゆく過程のような雲との対比が主役、と思います。
その主役を引き立たせるために背景の広がりを感じさせようとする意図で、個々の構成物の遠近比がデフォルメされているのかと思います。
って、結局、異様な感じの「スカイツリー」の説明にはならないのですが・・・
それにしても、「スカイツリー」が頼りなげに、若干、傾いている様に見えるのが、とってつけたというか、後付けしたような感じがします。でも版画だから、後付けというのはあり得ない気もします。
ネットではさらに、上記の「東都御厩川岸之図」が話題になっていたようです。右の端を歩いている番傘に漢字で1861番との記載があります。
国芳(1979年~)の享年が1861年なので、自分の死期を予測していたのではないか、ということだったようです。
・・・やはり、国芳は、不思議な能力を持った奇人であったのだ・・・
ある日、完成しつつある、三ツ股図を眺めていると、左がやや寂しいように思え、ふと、心に浮かんできた2つの高い建物、それが、未来社会の新旧の電波塔であることは定かでないままに、概ね333mと634mの高さの櫓を追加した・・・
と、いうのはどうでしょうか?