北陸巡礼

6月16日~19日に輪島、金沢へ行きました。大きな目的の1つに、総持寺祖院をお詣りしたいということがありました。

大野の山中にある、宝慶寺を知り、遡って、永平寺の歴史をたどり、永平寺、宝慶寺と大く関わる総持寺祖院を知りました。

総持寺祖院参道 2016年6月16日

道元禅師の教えを伝える3ヶ寺が関連し合いながらの歴史が面白く、いつか、祖院をお詣りしてみたいと考えていました。

祖院へは電車でのアクセスが難しく、行きそびれていましたが、どうせなら輪島の観光込みで車で行こうと。

また、祖院を経ての輪島への行き帰りの中で、五木寛之「百寺巡礼」北陸編にあった妙成寺、阿岸本誓寺をお詣りしたいと言うこともありました。

以前にも書いたのですが、小浜の明通寺を初めてお詣りした時でした。

総持寺祖院

「来週、五木寛之が、当寺と神宮寺を取材しにくるんですよ。」と言われ、「百寺巡礼」という番組があることを知ると同時に、明通寺が、全国規模で百寺にリストアップされるお寺だったんだと・・・

「文化果つる」敦賀にいて、当時、番組製作をしているテレビ朝日系列を鑑賞できる環境になく、放送を確認することはありませんでした。

番組の内容を本にまとめたものがあることを知り、その数ヶ月後に発刊された「百寺巡礼」第2集北陸編を購入。

総持寺祖院

五木の文章をまとめた本と、観光案内のような形の写真集が発行されており、共に購入しました。

その後に奈良編、滋賀編なども合わせてゲット、入手するだけで満足してしまう悪い癖で、「つんどく」になっているきらいがありますが・・・

北陸編で、五木は10ヶ寺を訪れています。

総持寺祖院

そのうち、高岡の瑞龍寺、小松の那谷寺、福井の永平寺、吉崎御坊、明通寺、神宮寺、今回の能登、阿岸本誓寺、妙成寺を加えて、8ヶ寺をお詣りしたことになりました。

まあ、吉崎御坊をお寺という言い方をしていいものかわかりませんし、なによりも、自分としては総持寺祖院が抜けていることに、意外な思いもあります

残るは石川県大乗寺、富山県瑞泉寺の2ヶ寺ですが、機会があればお詣りしてみたいとは思います・・・

総持寺祖院経堂

ついでに、第4集「滋賀、東海編」では、滋賀県(6ヶ寺)の他に、岐阜県(3ヶ寺)、三重県(1ヶ寺)のお寺が掲載されています。

岐阜、三重にはまったく足が伸びていません。滋賀県に関しては、6ヶ寺のうち三井寺、石山寺、西明寺、百済寺および延暦寺の5ヶ寺をお詣りしています。

延暦寺参詣は大分昔になります。家族と琵琶湖周辺の関連会社保養所に遊びに行った時と、お客さんとの硝子工場見学に合わせて、接待ドライブで拝観したと言う具合。

総持寺祖院

自分にとって、敦賀に来て、信心への関心が強くなってきた、いわば物心つく?前であり、再度お詣りしたいとは考えています。

実は、自分にとっては、本に影響されると言う意味では「百寺巡礼」よりは、司馬遼太郎の「街道を行く」が、大きいかもしれません。

冒頭の宝慶寺を知ったのは「街道をゆく 越前の諸道編」でしたし、昨年、延暦寺にお詣りしようとして、たどり着かなかったのも、「叡山の諸道編」を読んでの、山麓の日吉大社周辺のお詣りで時間がなくなってしまったということもありました。

総持寺祖院祖堂

「街道をゆく」で記述されている白山神社(平泉寺)が「百寺巡礼」では触れられていないのもちょっと不満でしたが・・・

往時は叡山にも比肩する勢力を誇った寺であったことを思うと、なぜにという気もしますが、現存するのは神社なのだから、と、言われれば、まあそうかと。

それにしても、個人的には白山神社の発掘と復元エリアの進捗具合が愉しみです。

総持寺祖院復原中の仏殿

訪れた総持寺祖院は大工事中でした。

平成19年7月の新潟県中越沖地震は発電所の被害もあり、仕事に関連して覚えているのですが、同年の3月に能登半島大地震があったというのは記憶にありませんでした。

輪島市で震度6強、倒れた燈籠で亡くなった方が一人居られる他、重軽傷240人、家屋の全、半壊1300戸、一部損壊25,000戸の被害があったのだそうです。

原子力発電所のある志賀町は震度6弱だったとのことですが、問題はなかったようです。

総持寺祖院

総持寺ではいくつかの伽藍が損壊し、しばらくそのままであったようですが、ようやく解体して更地にしてからの大がかりな復原工事が始まっているとのことです。

輪島からの帰りに、海岸沿いの天領黒島地区に寄ったのですが、地区の高台にある若宮神社でも、同じく能登大地震で損害を受けた階段の工事をしていました。

工事の人に、申し訳ありません、お詣りさせてくださいと、断り、脇を登っていきました。どこからきたの?福井県からです。福井か~、この階段の石は笏谷石なんだよ。って、教えられて・・・ちょっと感激。

この後に行った角海家でもふんだんに笏谷石が使われていました。

黒島で盛んだった、北前船は北海道から瀬戸内を抜けて、大阪まで物資を運ぶのが主ルートであったとのことですが、敦賀あるいは三国から笏谷石を黒島に運ぶ舟もあったということなのでしょうか。

話がそれました・・・往時に大伽藍を誇った総持寺でしたが、現在はお寺自体の規模はそう大きくありませんし、訪れる人も少ないようです。

総持寺祖院仏殿の仏様(一時避難中)

と、思っていたのですが、総持寺の参道を歩いていて、県立「門前」高校があって、ちょっとびっくり、総持寺の歴史を少し、感じます。

さらに、後で気がつくのですが、総持寺を中心とした「門前町」は車を運転してて、行けども、行けども、抜けられないお釈迦様の手の様な広さで、って大げさか、それでも往時の勢いは、いかほどであったのかと改めて感じられました。

総持寺祖院

真宗王国の海に近い僻地に、曹洞宗の大本山がある・・・今回の参拝で目的達成でなく、逆に勉強意欲をそそる結果となりました。

暗くなりかけてきて、ホテルに向かいます。

くまじい
阿佐ヶ谷生まれの73歳

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