12月2日(日)、山種美術館「皇室ゆかりの美術-宮殿を彩った日本の画家-」展にコラボした企画のコンサート、「~光~箏とチェンバロの調べ」に奥さんと向かいます。
コンサートは山種美術家から歩いて5分程度の距離にある國學院大學メディアセンター常磐松ホール。
14時開演なので、恵比寿で昼飯食べ、山種美術館を鑑賞してから國學院に向かおうと。
恵比寿駅前はどちらかというと西側の広場が中心という感じです。
東側は恵比寿ガーデン方面に向かう南側はおしゃれな店が多いのですが、山種美術館に向かう道は歩き出すと、喧噪が急激に遠のく感じで、店がまばらになります。
この通り、地図でみると西側は駒沢通りと記載がありますが・・・最近おしゃれに美術館通りとう名称があるらしい。
山種から始まって、表参道の岡本太郎記念館、根津美術館、六本木の国立新美術館、ミッドタウンのサントリー美術館、ヒルズの森美術館、さらには少し遡って、恵比寿ガーデンプレイスに東京都写真美術館があり、これも含めて7つの美術館を結ぶ道ということだそうです。
ついでに目黒の庭園美術館も入れれば良いのに・・
昨年もやはり、同じ山種の企画のコンサートに来ましたが、駅近くのサンマルクカフェで済ませたので、今年は少し違うところにしようと、歩きますが、見つからないままで寂しくなり、もう一度戻るかと。
そういえば中華があったから、あそこでいいかと、さっき団体が入って行ったから混んでるかもしれないね、などと話しつつ、よく確認しないで店に入ります。
実は中華料理屋さんが2店、軒を接していて、看板を確認していた店とは別の隣の店に入ってしまったみたい。カウンターだけの小さなお店で、先ほどの団体さんはきっとお隣のお見せなのでしょう、影も見えません。
まあ、いいかとメニューを見て、驚きます。麺類3,650円とか、それ以上の数字がずらっと並んでいます。
カウンターに座って、メニューを見た途端に、出ていく勇気もなく、奥さん、かろうじて1,950円のネギ蕎麦を見つけて注文。
自分は角煮飯950円と一番安いメニューを見つけたのですが、小さいご飯茶碗だけど大丈夫ですかと。
諦めて、やはりもう一つの低額メニュー1,950円の鳥蕎麦にします。他に二組のお客さんがいましたが、常連さんみたいで悠然としておられます。東京にはこういう世界があるんだと、冷や汗が背中を伝います。
マスターの趣味らしいけど、カウンターに製麺機が7、8台並んでいました。全て仕様がちがうのだと。
現役らしく、よく手入れされています。興味を示すと、紙を入れて試し切りをさせてくれましたが、恐ろしいほどの切れ味でした。
出てきた鶏蕎麦の麺は極細麺で、歯ごたえのある美味しい麺でした。面白いものも見られたし、まあよかったかと。
山種美術館は「皇室ゆかりの美術-宮殿を彩った日本画-」展。
新皇居宮殿は1968年に完成、そうそうたる芸術家達が室内装飾に携わったのだそうです。ちなみに天皇陛下のご住居は御所、公務をこなす場が宮殿なのだと。
新宮殿に接した山種美術館創立者、山崎種二は感銘を受け、その素晴らしさを世間にも伝えたいと願い、宮殿装飾を手がけた日本画家たち、山口蓬春、橋本明治、東山魁夷等に、宮殿装飾と同趣向の作品制作を依頼したのだそうです。
山崎種二の日本美術に対する情熱と顔の広さのなせる依頼だったと思うのですが、依頼を受けた画家たちに戸惑いがなかったのだろうかと、変なところが気になりました。
杉戸絵を描いた橋本明治と山口蓬春は同一のテーマを材質を杉戸から紙に代える形で対応し、東山魁夷は宮殿に描いた静かな海に対して、波濤散る荒海を描くことにより、テーマは変えることなく対応した、ということのようです。
もう6年も前のことになりますか、長く憧れていた、鑑真和上にお会いしに唐招提寺をお参りしました。
通常、お会いできるのは和上のご命日である6月6日を挟んだ3日間だけですが、確かこの年、和上像の御身代わり像(レプリカ)が完成した年で、特別に1週間のご開帳があったのではとおぼろげながら記憶しています。
ご開帳の時には和上のおられる唐招提寺御影堂自体の拝観も可能になるのですが、御影堂の障壁画の全てを任された東山魁夷画伯の力作に感銘をおぼえたことを思い出します。
以来、唐招提寺の開山堂にお参りすれば、ご命日とか関わりなく、御身代わり像の和上には、いつでもお会いすることができるのですが、御影堂の障壁画を拝観するためにはやはり、特別開帳の期間に参拝する必要があります。
今回、唐招提寺を思い出したのは、海が一つのテーマになっていたというなということです。
鑑真和上は、その名を惜しんだ玄宗帝の出国ならじ、の命に逆らいつつ、渡航の努力を続け、失敗を重ねながらも、六度目の努力で、ようやく日本にたどり着かれたが、日本の土を踏んだ和上は視力を奪われていたのだと。
唐招提寺開山堂の下に、松尾芭蕉の句碑「若葉して御目の雫拭はばや」が建っています。芭蕉が和上を慈しむ心情が伝わり、思わず、うるうるしてしまいました。
東山魁夷は、たどり着いた日本の姿をご覧になることのできなかった和上のために、日本の山野、海をお見せしたいと、障壁画の題材を選択したのだそうで、淡い海に白波が伝播して行く様子が印象に残ったのです。
本展の図版集に写真がでているのですが(上記波の間の写真は「じゃらん」サイトの写真をお借りしました)、宮殿の「波の間」は色合いは異なるようですが、穏やかな波が描かれているようで、唐招提寺の穏やかさに通ずるところがあるような気がします。
山種美術館はいち早く、一枚の絵だけを撮影可能の展覧会を始めていましたが、今回は下村観山の「老松白藤」屏風絵が選択されていました。松の大木に白い藤の房が下がった絵で、幻想的な絵でした。
コンサートは昨年はフルートと箏との組み合わせでしたが、今年はなんと珍しい、チェンバロと箏の組み合わせでで、箏は昨年と同じ大谷真為さん、チェンバロは平野智美さん。
大谷さんのお琴も素晴らしいものなのだそうですが、なんといってもチェンバロが注目の的でした。
チェンバロをあまり間近に見る機会がありませんが、酒井抱一の絵をイメージしたという秋草と月が描かれた、優雅な姿に、皆さん興奮、興奮というところでした。
チェンバロは音量がないので、なかなか大きな会場での演奏は難しいのかもしれません。ソロ、お琴との組み合わせ、三味線との組み合わせがありましたが、三味線とのコラボが一番音的にはあっているような気がしました。
ただし、最後のアンコールで演奏された「さくら」はお琴とチェンバロの繊細な音同士が紡ぎ合った、可憐で素晴らしい演奏だったと思いました。
三味線とチェンバロの曲、河東節「七草」は八世河東の曲に、酒井抱一が詞をつけたものなのだそうで、抱一の多才な遊び人の側面が見えて面白いなと。
コンサートを終了、國學院から渋谷まで歩き、「青の洞窟」を見て、敦賀のウタさんに教えていただいた「燦々」で食事して帰ろう、代々木公園に向かいます。
途中、金王八幡宮にお参りして、「斉藤清トールマン・コレクション展」がそろそろ始まりそうかなと、ヒカリエを覗きましたが、どうも2日か3日後に開催のようで、空振りに終わりました。
東急東横線のホーム跡に、巨大なビルが2棟建っていて驚きます。
自分たちの本籍地である、代々木公園前の渋谷区役所は全面的に建て替え中で敷地内に新しいビルが建設されているところでした。仮事務所が近所にできているみたい。
「青の洞窟」はまあこんなものかと、いうところで、イルミネーションに色々期待して行ってみるけど、どれもそれ程、という感じがします。
きっと自分の写真技術のせいで綺麗な写真が撮れたことがないので、面白くないという面もあるのですが・・トンネルをざっと往復して、「燦々」にむかいました。
燦々はBUNKAMURAでのディランのコンサートと、展覧会を見に来たときに訪れています。
最初に訪れたときは、予約なしで行きましたが、ちょうど貸し切りとなっていて、入店を断られ、近くの焼き鳥屋で食事しました。次回は予約電話をして伺い、食事ができました。
腹が減りきっていったせいか、料理は旨かったのですが、量的にもう少し欲しいなという感じがありました。
70歳超えて、腹具合もおとなしくなってきたのか、炙りシメサバ、カルビの香草添え、大粒の銀杏、クリームチーズの西京漬けなど、旨い料理を堪能しました。
九頭竜、早瀬浦の2合で終わりましたが、最初の九頭竜の旨みが印象に残りました。