書きかけで、放置していましたが、昨年の11月にDIC川村美術館まで往復歩いた時の話です。
福井から戻った年か、1年経った時か思い出せないのですが、川村美術館近くの浄土宗金剛院西福寺で33年に一度の祭り「大十夜」(※巻末参照)があるとの新聞情報を得て、カメラ担いで出掛けました。(坂戸・金剛山西福寺)
全くの浦島太郎で近隣の地理不案内、おまけにどんなお祭りか様子もわからず、車で動きがとれなくなるのも嫌だなと歩いて行くことにしました。
当時、いまのようにGoogle Fitを使用しておらず、歩数もかかった時間もさだかではありません。
2時間近くかかったのではないでしょうか。たどり着いた時にはヘロヘロでしたが、西福寺から川村美術館駐車場に隣接する広場までのお練り行列を見ることが出来ました。
それから本来のお祭りが始まるのですが、動きのないお祭りのようで、疲労もあり、川村美術館への興味の方も強くなりで、最後まで確認せずに美術館に入館してしまいました。
帰りはとても歩く気にならず、無料送迎バスで佐倉まで送ってもらいました。
今日(2020年11月21日)は天気も良いし、久しぶりに川村美術館まで歩いて又バスで送って貰おうと。美術館は今、予約制になっているということで、朝、ネットでチケットを予約してから出発します。
そう言えば、川村美術館、酒井抱一など保有していた日本画を全て売却してしまいました。
「美術手帖(2017年11月6日)」の記事に下記の記載がありました。(一部加筆しています)
「DIC川村記念美術館は1990年設立。印刷インキや有機顔料などを手がけるDICが、その関連会社とともに収集した美術品を公開するために、千葉県佐倉市の総合研究所敷地内に開館した。
建物のデザインは、憲政記念館などを手がけた戦後モダニズムの代表的建築家・海老原一郎。
ツインタワーを特徴とする外観と、収蔵作品の精神性や大きさに見合う展示室、来館者が快適に鑑賞できるよう配慮した採光計画など、内部空間の繊細なバランスを最優先して設計されており、マーク・ロスコの「シーグラム壁画」シリーズを展示する「ロスコ・ルーム」で知られている。
今回、同館は大熊雅美館長名義で、「日本画作品の公開終了と展示室の改修について」と題した文書を発表。(※巻末に示しました)
同館内にある日本画作品の展示を2017年12月3日で終了させ、国内の美術館・博物館、個人を対象に、譲渡(売却)を進めることを明らかにした。
同館はこの展示終了について「新たな収集方針の策定」によるものと説明している。同館が所蔵している日本画作品は鏑木清方や橋本関雪など約20で、同社によると、基本的には全点を売却する予定だという。
なお、重要文化財に指定されている長谷川等伯《烏鷺図屏風》については文化庁に所定の届け出を行い、譲渡が完了しているとのこと。(等伯は川村コレクションの第1号ということらしい・・)
日本画展示室は改修工事を行い、新たな展示室として2018年春に公開されるという。」
おそらく美術館の一番の売りは上記にでてくるロスコールームなのだと思います
「ロスコルームとはマーク・ロスコ( Mark Rothko1903年9月25日 – 1970年2月25日、ロシア系ユダヤ人のアメリカの抽象表現主義画家)の「シーグラム壁画」と呼ばれるシリーズのうちの7点を飾るために造られた部屋。
1958年春、50代半ばのロスコはマンハッタンにできるシーグラム・ビル内のレストラン「フォー・シーズンズ」のために、作品制作の依頼を受けた。
最高級の料理と優れた現代アートをともに提供するというコンセプトのもと、ロスコも作家のひとりに選ばれたのだが、ロスコは他人の作品と同じ部屋に作品が並ぶことを嫌い、自分の絵だけでひとつの空間を創り上げることを要求、レストランの一室の装飾を任された。
ロスコはおよそ一年半を費やし、新境地を開いた30点の〈シーグラム壁画〉を完成させるが、作品がレストランに飾られることはありませんでした。
一足早くオープンした店を訪れたロスコがその雰囲気に幻滅し、契約を破棄してしまったからです。
行き場をなくした絵画群は、1970年にロンドンのテイト・ギャラリー(現テイト・モダン)にうち9点が寄贈、1990年には7点がDIC川村記念美術館に収蔵されることとなった。
以降、このふたつの美術館ではそれぞれの〈シーグラム壁画〉のために一部屋を設け、常時公開しています。
そのほか、アメリカ、ワシントンDCのフィリップス・コレクションにあるロスコ・ルーム、ヒューストンのロスコ・チャペルを含め、ロスコの作品のみで出来上がった空間は、世界で4カ所となっています。」
ロスコールームに座ってしばらく時間を過ごすのも好きなのですが、自分にはその上階にある、トゥオンブリー・ルームが一番のお気に入りです。
サイ・トゥオンブリー(Cy Twombly、1928年4月25日 – 2011年7月5日)は、アメリカ、バージニア州出身の画家、彫刻家で、彼の絵画と彫刻を展示する部屋。
・・なのですが、実はトゥオンブリーの作品、と言うよりは、採光を意識した大きな窓を両端に有するオーバル型の部屋がお気に入りなのです。
日本画が消えてからは初めての訪問だとおもうのですが、いざ日本画の部屋が無くなってみて、確かに、今までなんとなく、とってつけたような感じがもあったなと、今の状態もありなのだなというところでした。
日本画の間の奥にあった茶室が浮いてしまったかとも思いましたが・・・お抹茶とお菓子で一息つきました。
開催中の「ふたつのまどか」展は、自分には難し過ぎてくて全く分かりませんでした。現代美術にはなかなか入り込めない自分の限界なのです。
庭園は赤白のマンリョウ、ツワブキ、モミジ、10月ザクラなどが綺麗でした。また、リンドウが一面に咲き誇っていたのには感激しました。
しばらく、庭園の写真を撮り周り、いささか疲れて、帰りのバスをお願いしようとしたら、予約で満杯とのこと。結局帰りも歩く羽目になりました。
庭園散策も含め、29,000歩、17.5km、全5時間、うち早歩き3時間でした。
家に着く頃には陽が落ちて、半袖ではさすがに寒くなり、上を羽織りました。長い長い一日になりました。
※1大十夜(浄土宗金剛山願生院西福寺開山忌法要)
「640余年前、西福寺を開基した良栄上人は、称名念仏により衆生を教化しようと、日夜勤めておりましたが、衆生の縁薄く、その実をあげることが出来ないでいた。
上人は深く嘆き悲しみ、いかにすれば所期の目的を達成することができるよう、鹿島明神へ37日間断食参籠して祈願いたしました。
満願の日「鐘鼓を鳴らし、踊り念佛すべし」との託宣を得た上人は早速帰山し、託宣のごとく踊躍念仏を広めました。
その効あって近隣40か村の善男善女が念仏講を結び、毎月15日に踊躍念仏をしたと伝えられています。
爾来、開山良栄上人の鴻恩に報い、かつは称名念仏の正業を永世に伝承するために33年毎に開山忌大法要を厳修し、今日に至っています。
大十夜の当日は、以下の流れで行事が進められます。
1.西福寺境内での開山忌法要と念仏踊りの奉納。
2.西福寺から十夜山へのお練り行列:開山上人像を乗せた輿を中心にして随喜の僧侶、お稚児さん、万灯、笛・鉦鼓・念仏踊り衆がお練りをします。宗派の別無く村全体が参加します。
3.十夜山での開山忌法要と念仏踊りの奉納。
4.餅投げ等の余興。
「念仏踊」は、「坂戸の念仏」として、千葉県並びに佐倉市から、指定無形民俗文化財に指定されています。」
まあお練り行列が本来の念仏踊に該当するものだと思うので、的は外していたなかったのでしょう。
※2日本画作品の公開終了と展示室の改修について
【2017年11月2日】DIC川村記念美術館は「抽象表現主義とそれに続く世代の作品」をコレクションの中心と捉え、それをさらに充実させる新たな収集方針を策定いたしました。
この方針に従って、2016年9月にサイ・トゥオンブリーの彫刻《無題》を購入しており、今後も近現代美術の潮流に根ざしたコレクションと展覧会を軸に引き続き活動してまいります。
このたび、新たな収集方針の策定に伴って、当館において収蔵しておりました日本画作品の展示を2017年12月3日(日)をもって終了し、国内の美術館・博物館および個人を対象に、譲渡を進めることといたしました。
なお、重要文化財に指定されている長谷川等伯《烏鷺図屏風》につきましては、文化庁に所定の届け出を行い、譲渡が完了しております。個別の譲渡先については公表を控えさせていただきます。
日本画展示室はガラスケース等を撤去するため改修工事を行い、より多くのコレクションをご覧いただくための展示室として2018年春に公開する予定です。茶席は引き続き営業いたします。
改修工事中は休館となりご不便をおかけしますが、ご理解いただきますようお願いいたします。
長年にわたり日本画の展示をご鑑賞いただいた来館者の皆様に心より感謝申し上げます。
DIC川村記念美術館 館長 大熊 雅美