5月2日に小田原まで新幹線で行き、車で拾ってもらい箱根まで行きました。小田原は5月3日に北条五代祭があり、行列が出るとのことでした。
毎年、柴田勝家をいろいろな役者が演ずる福井の「越前時代行列」のようなものだと思います。ネットで見つけた写真ですが早雲を演ずるのは小田原市長さんだそうです。
その類には興味がないので、今まで経験がないのですが一度だけ、佐柿の「国吉城祭り」でおっちゃんが信長や秀吉を演ずる素朴な武者行列を見たことがあります。
近所のおっちゃん達が恥ずかしそうに歩いているのであれは結構面白かったですが・・

北条五代とは北条早雲、氏綱、氏康、氏政、氏直の5人になります。氏康が戦国時代の謙信、信玄、信長の時代に名前がよく出てきます。
初代の早雲は伊勢姓であったが、氏綱が小田原城を核に勢力を広げて後、全く縁のない鎌倉時代の北条氏にちなんで北条姓を名乗ったということです。
関係ありませんが、今、高橋克彦著の「時宗」を読みかけているところです。

2日後の5月4日に箱根湯本から元箱根の旧東海道を歩きましたが、その時訪問した湯本の早雲寺に五代の墓がありました。
早雲寺は氏綱が臨済宗京都大徳寺の僧侶を招請し開基したお寺で、北条家を倒した秀吉により焼き払われましたが、その後北条家の係累により再興され、五代の墓を祀ったとされています。
古さは感じませんが、庭や鐘楼など雰囲気を持ったお寺です。
小田原城は室町時代、足利氏の重臣大森氏が築いた山城が始まりで、早雲に攻め落とされ、子の氏綱により居城として整備されました。
箱根の山、早川、酒匂川、相模湾の自然を利用した巨大な城となったということです。
天守閣が作られたのは徳川時代の大久保氏の時ということですから北条氏の時代は巨大とはいえ、山城として強化されていったということなのだと思います。
「あらかん」の象のウメ子さんが城址公園の一角にいました。昭和25年から居るとのこと。気の遠くなる程長い間一人で愛想を振りまいてきました。
5月4日はあまり天気はよくありませんでした。雨はなんとか持ちそうな感じでしたが、湿気が多く、蒸し暑い日でした。
湯本まで行き、観光案内所で道を確認、東海道(箱根街道)を歩き始めました。

湯本の街から橋を対岸に渡ると緩やかな道と山道の二手に分かれますが、山道を選んで、ちょっと汗をかいて冒頭の早雲寺をお詣りします。
早雲寺の周辺は地元のお祭りでした。山車の上に可愛いお太鼓さんが・・
早雲寺から町の中を少し歩くと箱根街道入口の一里塚碑があります。
ところどころに歴史の説明をする立て看板が整備されています。途中昼食を摂った畑宿にも一里塚の碑がありました。
街道のところどころに残る石畳には構造を説明するこんな2枚の説明図がありました。江戸時代の土木技術にハットオフです。
江戸時代の石畳を残すところです。
古い石畳の残っているとことはそう多くはありませんし、車の通りの多い道をあるく処もありますが、人の歩くところはしっかり確保されていて、安全に歩けるようになっています。
山の中に箱根観音福寿院があります。
中国から渡来した観音様を祀った曹洞宗のお寺です。曹洞宗と言えば永平寺、鶴見総持寺を思い出しますが、ここはまるっきり中国のお寺でした。
元箱根に着こうという時に、見覚えのある特徴あるタンクトップ姿の中年ハイカーとすれ違いました。湯本の観光案内所で同じく旧東海道の道を尋ねていた人です。
また湯本まで戻るとのこと。本当にいろんな人がいます・・・
疲れ果てた「あらかん」はたどり着いた元箱根のフェリー発着場の水辺でしばらく芦ノ湖を眺めながて座り込んでいました。