学生時代、研究室に、切れ味鋭く驚異的な記憶力の持ち主の博士課程の方がいました。
教授に請われて他の研究室から移って来られた方で、シニカルな、きつい冗談で何時もからかわれていました。
6人居た同級の学生の中で自分が2年浪人で一番年寄りで、一番勉強しない学生で、アカデミックなところからかけ離れていましたから、トンでもない奴が居るなと呆れておられたと思います。
それでも不出来な弟分として接していただいていました。と信じています。
後に、研究室を引き継がれて教授になられ、功績を挙げられましたが、年月過ぎ、このたび定年で退官されることになり、その記念パーティが 神田錦町にある学士会館で開催されることになりました。
パーティは土曜日で、翌日はゴルフに縁のない教授はさておき、有志でゴルフをしようというもので、パーティ当日、敦賀から出向きました。
新幹線でちょっと飲んでしまったため、身体重く、慣れないスーツで汗かきながら神保町に向かいます。
神保町に到着、地下鉄を降り、迷路の様な通路を歩いて、ようやく学士会館に出ます。
40年前にここで兄の結婚式があったこと、20年前に自分の担当教官だった教授が叙勲された記念パーティがあったことなどが蘇ります。
20年に一度の訪問って、すごくない?・・・とか考えながら・・・
学士会館にたどり着くと「野球発生の地」の像があります。
ここは元開成学校(=旧第1高等学校=東大)の在ったところでそこに教師として来日していたウィルソン氏が学生に野球を教えたのが日本に野球を持ち込んだ最初ということのようです。
大学発祥の地、東大の発祥の地などの碑もあります。
明治10年に開成学校と医学校が合流して、東京大学が誕生したとのことです。
東京大学はその後、帝国大学と名前を変えますが、京都帝国大学ができると東京帝国大学と改称します。
京都の後に、東北、九州、北海道、大阪、名古屋および京城、台北と帝国大学が誕生します。
学士会館の学士会というのはその旧帝大9大学の出身者が会員を構成する会ということのようです。
この他に、同志社大学の創始者、新島襄生誕地の石碑もありましたが、パーティに遅れそうで焦っていた時に気が付いたため、写真を撮っている余裕がありませんでした。
学士会館に着いた時はまだ余裕で、少し回りをぶらついてみようと思いました。
向いに渡ると共立女子大があります。さらにお堀の方に歩いて直ぐのところに、東京外語大発祥の地の碑が・・・
その先に一橋大学の同窓会組織の如水会館があり、一橋大学開校の地とのことです。
ということで、学校自体は共立女子大しか見当たりませんが、一ツ橋界隈は多くの大学が生まれた文教地域になっているようです。
そう言えば地下鉄の案内に東京電機大学の文字もありました。
如水会館から道を渡ったところに一ツ橋があり、渡ると竹橋にでます。
左手に丸紅、右手にビルの円筒状の部分が目立つ毎日新聞を見ながら内濠にたどり着きます。
内濠の道路はアイポッドないしはその手のイヤホンを耳にして、片手に水のボトルを握ったほぼ同じ様なファッションの人達が大勢ジョギングをしています。
内濠にかかる平川橋の袂に「東御苑」の説明板が立っています。
東御苑は皇居の内濠の中の東半分に相当する、江戸城の本丸、二の丸、三の丸の跡を整備し、1968年より公開するようになったということです。
パーティの時間が迫ってきたのであまりのんびり見て廻ることは出来ませんがともかく中に入りました。
平川橋を渡ると平川門があり、くぐって行くと発券所があります。
と言っても入場は無料で整理券をもらい、出場の時に返却するという入場者の把握に利用する形です。
廻りを日本有数のビジネス地帯が囲んでいるので東御苑の樹々越しに見えるビル街が面白いスカイラインを形成しています。
敷地が広大で、とても全部を回りきることはできません。
本丸公園の方に上がるのは諦めます。壮大な石垣が印象的です。
平日は周辺に勤める人達の散歩道になっているのかもしれません。
うらやましい限りです。
美しい竹林があり、その前にオミナエシが咲いていました。
桜の樹らしいもの見えるので、出るときに守衛さんにお聞きしたところ、本丸の付近が桜の季節は美しいとのことでした。
時間ぎりぎりになったので、慌てて学士会館に戻ります。
人数はそこそこ集まってきていますが、まだまだ始まる気配がありません。
受付でもらった最新のスケジュールはメールで案内が来ていた予定表より、30分ずれていました。もう少し東御苑でのんびりできたなと心残りでした。
前に、一日乗り放題のチケットで地下鉄大江戸線沿線のぶらり旅をして面白かった記憶もあり、折に触れ東京徘徊もトライしていきたいと思いました。