デトロイト美術館展、斎藤清、福原美穂

せっかく12月14日の京都まで整理が進んだのに、ちょと戻ります。携帯の写真を別ホルダーにランダムに保存してあって、整理から抜けていました。

12月11日(日)ビルボード東京での福原美穂さんのライブに行きました。

You Tubeで”Regrets Of Love”に遭遇、いいなと、CDをアマゾンして、通勤の途中で繰り返し、繰り返し聴いていたことを思い出します。

彼女が15歳の時、札幌の街頭でマライア・キャリーを歌ってるビデオや、ロサンゼルスの教会で「アメイジング・グレイス」を歌い、黒人のおばちゃんが涙を流していたビデオも感動的でした。

上野恩賜公園

音楽に関して今年は、グレン・フライとのお別れに始まり、ガイ・クラークが居なくなり、レオン・ラッセルなど大好きな人達が逝っちゃった一年でした。

この後、クリスマスにジョージ・マイケルまで逝ってしまうわけだけど…

おまけに、サンディー・デニーがとっくに30数年前に居ない人だったこと、自分の老の頑張りの目標の一人だったJ.J.ケールも亡くなっていたことに気がついたのも今年で、哀しみ倍増の年でした。

ライブに関しては、4月にディランが目の前で歌っているという、信じられないドリームがあり…目の前と言うには大分遠いところでしたが。

美術館のディエゴ・リベラの壁画「デトロイトの工業」のコピー(下図の右側の北面壁の部分)

今年後半に入ってから、だんだんと寂しくなり、期待を膨らませていたメロディー・ガルドーは眠そうで、不機嫌そうで、乗らないままアンコールも無視だったし、ロン・カーターはなんか、自分の知らない遠くの世界に行ってしまった感じで、ついて行けなかったし。

ちょっと落ち込んでいたのですが…

今年最後のライブ、福原美穂さんはその鬱憤を晴らしてくれる熱唱で、その喜びもあったのでしょうか、3回も泣いてしまいました。

日曜日でも仕事があり、夜しか出てこられない奥さんとはビルボード東京のあるミッドタウンで落ち合うことにします。

ということになると、どこか寄り道を、と。初めて行く、上野の森美術館で開催されていた「デトロイト美術館展」へ向かいました。

正直言うと上野の森美術館も、デトロイト美術館も、行ったことないどころか、この展覧会で初めて知る、という浅学の徒ではありますが、何歳になってもお勉強です、と居直って。

ピカソ アルルカンの頭部 1905

デトロイト美術館は1886年開館、フォードを始めとした自動車産業の有力者に支えられて、発展していき、ゴッホ、マティスの作品をアメリカで初めて購入した美術館として知られている。

自動車産業に支えられた美術館の象徴的な作品が、フォードの工場をモデルとして、2面の壁に描かれたディエゴ・リベラのフレスコ画、「デトロイトの工業」ということなのでしょう。(上に示した写真)

Henri Matisse Poppies 1919

壁画を持ってくる訳にはいかないので、その一部の写真パネルが上野の森美術館の入り口に貼ってあり、これで一部なのだから、実物は壮大なスケールになります。

1960年以降、アメリカの自動車産業の衰退、2013年にデトロイト市が破綻し、ミシガン州の運営による再建が進む中で、デトロイト美術館のコレクションも大分危なかったらしい。

クロード・モネ”グラジオラス” 1876 複製

デトロイト市はなんとか乗り越え、再建のシナリオが出来上がり、2014年に復活宣言して、再建の道を歩んでいるようです。

【参照】に2013年の「デトロイト破綻」に関しての記事添付させていただきました。

10月桜(ジュウガツザクラ) 上野恩賜公園

この展覧会は月曜日、火曜日限定で写真を撮影可なのだそうです。

他の美術館の作品を借りて、展覧会をする場合には、権利上の問題が発生するので難しいのだと思います。双方の美術館が了解すればこういう形も可能、ということなのでしょうか。

西洋美術館、国立博物館で、限定的ではあるけれど、常設品であれば撮影可能なところもあります。

ヒカリエ斎藤清展

当然、何を観たかという備忘録程度のプライベートな利用が前提な訳で、写真の出来はあまりこだわるべきではないかもしれない。

自分のように、腕のなさをカメラに頼る輩は、後で観て、やはり綺麗な方がいいなと、美術館に一眼レフを持ち込むのですが、あまり好ましくはないな、と思っては居て、考え直していこうと思っています。(今日はスマホです。)

斎藤清 会津の冬(104)三島町 大登(1)1993

今日は館内の写真は禁じられているのですが、エントランスホールに複製が数点、飾られており、撮影自由ということで、みな、順番に写真を撮っていました。

ショップでピカソの「アルルカン」とマティスの「ポピー」のプリントを購入します。

上野寛永寺清水観音堂にお詣り、御朱印をいただきます。江戸三十三観音のリストをいただきました。清水観音堂は三十三観音のうち6番目に当たるのだそうです。

斎藤清 かすみ 慈愛 1991

まだまだ、時間はありそうなので、渋谷に向かいます。目的はfacebookで知った、斎藤清の展覧会の行われているヒカリエです。

小さなスペースでの小さな展覧会でしたが、心和む雰囲気に満たされていて、大いに寛ぎました。

斎藤清さんを知った時には、雪の白さのイメージでした。展覧会に来てみて、ヨーロッパを歩いた時の絵が、図柄も色使いも好ましくて、これまたいいなと。

いつか会津に行くことになりそうな予感…というか、きっと、行ってしまいそうです。

早めに着いたミッドタウンはクリスマスのイヴェントで盛り上がっていて、外ではイルミネーションが綺麗でした。

ビルボード東京 福原美穂ライブ

福原美穂のライブは弟さんとのコラボありで、暖かみの伝わってくる、優しいものでした。

5人の姉妹、弟が揃っているということで、2階席に居る妹さん達を見上げる福原美穂の笑みの溢れた柔らかいまなざしが印象的で、母親になり、なにかスケールが大きくなったような気がしました。

【参照】

デトロイト財政破綻(コトバンク)
(大迫秀樹  フリー編集者 / 2013年)

2013年7月、「モーター・シティ」として知られる米国デトロイト市が連邦破産法9条の適用を申請し、事実上の財政破綻(はたん)となった事象。

負債総額は180億ドルを超え、米国自治体の破綻としては過去最大。年内をめどに、市は裁判所に再建計画を示す方針で、年金を含めた職員の待遇の見直しや、市が所有する土地・空港、美術品(デトロイト美術館の収集品等)などの資産の洗い出しが進められている。

ミシガン州南東部に位置するデトロイト市は、近郊の炭田・鉄山と五大湖の水運に恵まれ、早くから鉄鋼業・機械工業が発達した。

1903年にヘンリー・フォードがフォード・モーター社を設立すると、GM、クライスラーも進出。

これら「ビッグ3」が本社を構えるデトロイト市は、戦中戦後にかけて米国のみならず世界の自動車産業を牽引してきた。

しかし60年代になると、デトロイト中心部の工場は郊外や他州に移転し、多くの雇用が失われた。

更にエネルギー問題や環境問題への関心が高まるなか、70年にマスキー法(自動車の排ガス規制法)が制定されると、「ビッグ3」の大型車は人気を失い、80年代には燃費の良い日本の小型車に圧倒されるようになった。

またグローバル化の進展で、デトロイト近郊に残っていた工場も、コストの安い中南米や中国に移転。税収減に歯止めがかからず、デトロイト市は深刻な財政難に陥った。

2009年には、サブプライムローン問題に端を発した金融危機が苦境にあえぐ自動車業界を直撃し、4月にクライスラー、6月にGMが経営破綻した(その後、両社とも米政府の支援等により再生)。

こうして、自動車関連産業に依存していたデトロイト市の製造業の職は、1950年の約29万6千から、2011年には約2万7千まで減少した。

最大約185万人あった人口も、12年には約70万人までに大幅減。税収の落ち込みとともに公務員も減ったため、公共サービスの低下も著しく、街灯の4割が消え、公園の7割が閉鎖されたままという(13年財政破綻時)。

また警察官の人員削減で犯罪率も上昇し、デトロイト市は「全米で最も危険な都市」といわれるまでになった。

くまじい
阿佐ヶ谷生まれの73歳

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