目的のニューヨーク近代美術館(The Museum Of Modern Art, New York)にたどり着きます。
1939年創設のMOMAは7回の増改築を経て増殖を重ね、最後の増築は2004年の日本人建築家、谷口吉生によるものということです。高層ビルの中に、落ち着いた中庭が気持ちを緩やかにしてくれます
以前パリを歩いた時は、オルセー、ルーブル、オランジェリーの3つの美術館と、偶々通りかかりにあった、ピカソ美術館と4つの美術館を廻りました。
特にオルセーはほとんど一日を費やしてしまい、全体の3割程度が美術館巡りに費やされた感じでした。
まあ、それもいいのですが、今回は、昨夜のSMOKEと明日のBlue NoteとJAZZが2回、今夜は夜景ツア、明日の朝は日曜日でハーレムのゴスペルツア、国立自然博物館のチケットをプレゼントでもらってるし・・・と盛りだくさん。
今回は美術館は一つだけに絞ろうと思いました。
いつもの調子で、大した考えもなしに、ニューヨーク近代美術館(Museum Of Modern Art:MOMA)を選びます。
メトロポリタン美術館は大英博物館やルーブル美術館みたいな・・・国家、国家している匂いがする感じで、純粋に絵を楽しむのはMOMAかな?
っていう訳の判らない理由・・・
上記にゴッホの三点を載せましたが、ゴッホは1890年7月(1853年生まれ)に逝去しているので、三作ともその前年(サン・レミ時代?)に描かれたということになります。
ポーラ美術館のアンリ・ルソー展の時に調べた時、「眠れるジプシー」がMOMAにあることを知ったのですが、今目の前にあります・・・
なぜか、大昔に熱海に職場旅行に行った時の記憶にMOMAがあって・・・
改めて調べてみて、熱海に世界救世教のMOA(Mokichi Okada Museum)があって、MOMAの関連と思い込んで入館したという失笑の思い出でした。
MOMAで購入した日本語版作品ガイドの巻頭は館長の大論文で始まります。曰く・・・
『ニューヨーク近代美術館とはなんだろうか・・・・
同時代の美術‐「モダンアート」‐は過去の美術と同様に重要で不可欠であるという単純な命題を土台にしている。
当館では「モダン」と言う言葉は何を意味するのか多くの議論がなされてきた。
歴史の一時期を指すのか、あるいは思想、特定の価値体系を意味するのだろうか・・・
近現代の美術を定義しようとする試みにおいて・・・スタッフの知的な議論を繰り返すことによって当館はその役割を果たしてきた。
当館が育成に努めるアヴァンギャルドが求めるものと、一般の人の関心の間で舵取りをする過程で、モダン・アートの定義の議論は繰り返されてきたのである。
当館は1929年の創始者達、創設理事のアビー・オルドリッチ・ロックフェラーなどの努力でモダン・アートに関わる活動を始め、モダン・アートと深く関わる世界初の主要な美術館となった。
今日の当館の命題はこれらの過去に縛られることなく、かつその過去を土台にするということであろう。
近代美術館という概念そのものがリスクに立ち向かい、論争を引き受けることを辞さない機関を意味している・・・
定期的に自己変革し、新たな領域を判りやすく位置づける・・・このためには自己に厳しい評論家でなければならない・・・
創立者達は伝統の豊饒さを意識しており、彼らの先駆的な努力は部族美術、ナイーブ・アート(素朴派)、民族美術を含む広い範囲に向けられていたが、限られたスペースで制限されてきた面もあった・・・
設立当初はモダン・アートを展示するということで一貫した物語を形成するという確信があった。
しかしながら、モダン・アートやコンテンポラリー・アートは多様な時に矛盾すら見せる多彩な物語を潜在させており、考えを練り直す必要がでてきた・・・
モダン・アートを定義しようとする努力を継続しながら、一般の人々が、コンテンポラリー・アートとその直前の美術との関係を探ることのできる実験室であり続けなければいけない。』
長文の巻頭文ですが、自分たちが近代美術を定義し、変革を支え続ける、心意気と自信が感じられる面白い論文だと思いました。
MOMAの進化のためにはコレクションするだけでなく、所蔵品を手放すこともあり、制約を受けないために、無条件の寄贈しか受け付けないのだそうです。
また、ナチスドイツがヨーロッパの名作を集めながら、「退廃芸術」として数多くの名作を売却したことがMOMAにある名作のいくつかを入手できた経緯として紹介されていました。
上記のようなモダン・アートの記事を読んで、自分にはなお、その概念は明らかになりませんが、並んでいる作品を観ると、印象派後期からポスト印象派に始まり、コンテンポラリーまでと言うことになるのだと思います。
通常展示の他に、ピカソの「ギター」の大きな展示がありました。
大きな展示室はドアを開けて入ると照明が落とされており、多くの数のピカソのギターのコラージュ、絵画で埋められていました。
MOMAの中で、ここだけが撮影禁止になっています。気づかずに撮ろうとしていた人には係り員が素早く近づき注意していました。
展示されているギターのコラージュ、絵画の意味は自分にはどうしてもわからず、その良さも理解できませんでした。
ただ・・これだけの膨大な一つの意図を持った作品群を前にして、ピカソが何かを・・・MOMAの解説によると変革を求めて、前を向いて歩み続けていたのだろうことは判る気がしました。
MOMAには名作がいっぱいありましたが、ピカソこそがMOMAの方向性に絡み合い、代表する画家なんだな・・・と、また、ど素人が勝手なことを想起していました。
ともかくも・・・素晴らしい絵に囲まれて、幸せなひと時を過ごしました。
【註1】フリーダ・カーロ(1907‐1954年):メキシコの女流画家。
師匠の画家ディエゴ・リベラと結婚。ディエゴに裏切られ続けつつ、イサム・ノグチやトロツキーと恋に落ち、バイセクシュアルでもあったという。
幼少の頃、ポリオを患い、18歳の時に交通事故で大怪我をして、入院した際に、創作活動に目覚め、その後ディエゴに認められて世の中にでる。
病気と怪我の後遺症に悩まされながら、最後には右脚切断、翌年、肺塞栓症で47歳で短い生涯を閉じた。自身は共産主義者で、スターリンの肖像を飾っていた・・・
恥ずかしながら、今回、初めてこの壮絶な人生を送った作者を知りましなかかた。「髪を刈った自画像」はディエゴの不実で離婚した直後の作品なのだそうです。おそろし・・・
後日、”Adio Kerida”というLadino音楽が使用されていたフリーダ・カーロを描いた映画「フリーダ」にたどり着きます。