東寺0124

東日本大震災・・・自分が学生時代を過ごした仙台が大きな被害を受けた様です。関東も被害を受け、自分の娘も昨夜は帰れずに内幸町の会社にお泊まりだったとのこと・・

石油コンビナート、原子力発電所等、社会を支えるシステムの災害克服への努力を上まわる力が襲うことの恐ろしさ、空しさを感じてしまいますが、それでもなお、人智でシステムを維持、発展させることへの挑戦は捨てることはできない・・・難しい時を迎えることになる・・・という気がします。

福島第一原発の行方・・・どうなるのでしょうか・・・

そんな大変な中で、相変わらず過去の整理です。

今回は1月24日の大阪へ出張時に明るいうちに東寺を拝観した記事です。

東寺の明王像
東寺の明王像 :如来、菩薩、天部などの各写真集があり、迷って、明王編を購入しました

今、新規の装置の研究を出張先の会社にお願いしています。

結構苦労していて、前回出張のときは、若干の進捗は見えましたが、まだまだ先が長く、結果が見えてこない雰囲気で、やや不安の帰りでした。

今回は少し、いい結果がでて、でも装置の不具合が発見されて、改良点の確認をして出発します。

東寺
東寺

明日25日は兄のお別れ会なので、実家に帰りますが、時間が早いので、東寺によってから新幹線に乗ることに・・・

南大門から金堂
南大門から金堂

前に来た時は夜だったので、中に入れませんでした。門が幾つかあり、どこから入るのが正しいのかわかりませんが、前回印象に残っていた南大門から入ることにします。

南大門
南大門

南大門をくぐると目の前に金堂が聳えます。東寺の本堂であり、もっとも早く建立され、薬師如来を本尊として、日光、月光菩薩の脇侍が祀られています。

現在の姿は焼失後、関ヶ原の合戦後に再建されたものなのだそうです。

金堂
金堂

前以下にWikipedia、東寺公式サイトおよび東寺弘法市サイト等から引用した東寺の説明を記します。にも書いたことがあると思いますが、東寺のホームページはいつ見ても迫力があってすばらしいなと思います。今アクセスすると桜(と思うのですが・・・)の花吹雪が舞います。

金堂
金堂

8世紀末、平安京の正門にあたる羅城門の東西に「東寺」と「西寺」(さいじ)という2つの寺院の建立が計画されます。

東寺公式サイトおよび東寺弘法市サイト
東寺公式サイトおよび東寺弘法市サイト

これら2つの寺院は、それぞれ平安京の左京と右京を守る王城鎮護の寺、さらには東国と西国とを守る国家鎮護の寺という意味合いを持った官立寺院となります。

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南北朝時代の東寺の記録書『東宝記』によれば、東寺は平安京遷都後まもない796年、藤原伊勢人という人物が造寺長官となって建立したと言われています。(明確な記録ではないらしい・・・)

金堂4
金堂4

823年、平安京を興した桓武天皇の後を継いだ嵯峨天皇は唐で密教を学んできた真言宗の宗祖である弘法大師空海に東寺を託します。

これにより東寺は国家鎮護の寺院であるとともに、真言密教の根本道場である寺院になります。

金堂4
金堂4

東寺を託された空海は現在の御影堂の場所に居を構え、自分の構想に従った東寺の造営を行います。

空海は寺域の中心に講堂を新しく建立し、その講堂内部の中心に大日如来を祀り、大日如来を中心とした仏像群および、講堂を中心とした他の伽藍群の配置を持って、曼荼羅の世界を具現化します。

平安後期に一時的に衰退しますが、鎌倉時代に、後白河法皇の皇女である宣陽門院が空海に深く帰依し、莫大な寄進をして東寺を再び盛り上げます。

灌頂院
灌頂院

空海に毎朝6時に食事を捧げる「生身供(しょうじんく)」や毎月21日の空海の命日に供養を行う「御影供(みえく)」等の儀式を創始したのはこの宣陽門院なのだそうです。

これらの儀式は現在でも連綿と続けられています。

小子坊
小子坊

1486年の火災で主要堂塔のほとんどを失いますが、講堂が5年後に、その後、金堂・五重塔などが再建、南大門の再建は江戸時代を待つことになります。

講堂
講堂

現在、創建当時の建物自体は残っていませんが、南大門・金堂・講堂・食堂(じきどう)が南から北へ一直線に整然と並ぶ伽藍配置、各建物の規模は平安時代創建持と変わっていません。

講堂
講堂

体曼陀羅が祀られた講堂は、女人高野室生寺の仏像群をしのぐ規模の立体曼陀羅が描かれているとのことで是非拝観したいと思っていました。

講堂 立体曼陀羅 東寺リーフレット
講堂 立体曼陀羅 東寺リーフレット

立体曼陀羅の配置は下図の通りです。

講堂立体曼陀羅配置図 <東寺リーフレット>
講堂立体曼陀羅配置図
<東寺リーフレット>

曼陀羅は菩薩、如来、明王のグループに分かれており、その周りを多聞天、持国天、広目天、増長天の四天王と梵天、帝釈天の天部が護ります。

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講堂 帝釈天 東寺 リーフレット

中央の大日如来を始めとした如来5体(五智如来)、および菩薩の中心である金剛波羅蜜多菩薩は火事で焼失し、再建されたお姿になります。

その他の不動明王をはじめとした平安時代の創建時のお姿を残している仏像は、全て国宝に指定されています。

不動明王 大日如来の化身 東寺の明王像よ
不動明王 大日如来の化身 東寺の明王像よ

再建された大日如来の金色に輝くお姿を見ていると創設時の他の仏像群も同じ様に金箔が貼られていたのだろうと思います。

これらの金色の仏像群がどんなに輝いていたのか・・・ちょっと、わくわくしてきます。

講堂 大日如来像 東寺リーフレット
講堂 大日如来像 東寺リーフレット

空海はこの講堂の完成4年前に没し、立体曼陀羅を自分の目で確かめることはできなかったのだそうです。

講堂
講堂

現世から旅立つ空海の胸の内には、既に講堂の中に仏像群が姿を現し、 燦然と輝く曼陀羅の世界が完成していたのでしょう。

何種類かあった、東寺の写真集の中から明王像の写真集を選定したのは以下に並ぶ4体の明王に魅かれたためです。

講堂内の国宝の多さに圧倒されますが、脚元がコンクリート様の石の床になっていて仏像群が冷たさをこらえているような感じがしました。

講堂は創建時の土台に再建したということなので、空海の構想通りということなのでしょうか?

また、三十三間堂の時と同じで、立ち尽くして拝観するので、なんとなく落ち着かない気がします。じっくり御前に座り込み、仰いでいたいと思います。

どうも室生寺の体験が沁みついているのかも知れません。

と言つつ、立ったままの拝観であっても、三十三間堂もこの講堂も圧倒的な仏像の存在感に捉えられて動けない状態になります。

下の写真の金剛夜叉明王は遠目に見ると、お爺さんが眼を細めた優しいお顔のように見えます。

よく見ると、金剛夜叉は額の眼を含めて5眼を有するどちらかと言うと怖いお顔をしています。上下の眼と眼の間の細い谷間が細めた眼に見えるのです。上下の眼のどちらかを隠して見ると顔つきが変わります。

京都の南の空の象徴みたいな東寺の五重塔・・・約55m、木造建築物としては日本一の高さになるのだそうです。

空海が講堂の後に手掛けた建造物ですが焼失を繰り返し、現在の五重塔は1644年に再建された4代目にあたります。

一階の内部は公開されていて、拝観することが可能です。

説明のアルバイトさん・・・本日最後のお務めのようでした。説明が終わったら入れ替わりで帰っていきました。彼女だけでなく、そろそろ拝観時間の終わりが近づいていました。

生身供が行われる御影堂はシンプルなフォルムですっきりしていて好きな建物です。御本尊は不動明王ですが公開されていないようです。

御影堂を出て、裏の方に抜けると洛南中学、高校があり、生徒がぞろぞろと下校するのにあいました。

そろそろ時間・・・京都駅まで歩き、駅ビルにあるビアホールで30分一本勝負でビール2杯を飲み、新幹線に向かいました。

翌日のお別れ会で兄が高野山の競書大会に参加して特賞をいただいていたことを知りました。前日に東寺にお参りしたことは何か空海で結ばれる縁があったのでしょうか。

ちょっとこじつけですが・・・

くまじい
阿佐ヶ谷生まれの73歳

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