三越本店ツア

9月13日(金)は昨年度の市民大学の「クラス会」で三越本店のガイドツアとグリル満点星でのランチでした。

市民大学では、学生総数80人を10人程度ずつに班別けし、各班単位で、食事会や飲み会を開催し、友好を温める、と言う形を薦めているようです。

三越の脇の通りは桜の名所らしい。

各班には市の委託を受け、班の活動を助ける運営委員が配置されて、班の運営がスムーズに行くように助言をしていきます。

市民大学に付随して、ゲートボール、パークゴルフ、グランドゴルフ、グルメの会、芸術鑑賞会などのサークル活動もあって、さらに仲間作りの輪を広げるように、環境造りがされています。

お昼前に大行列の天ぷら屋さん、なんと天丼980円の安さに惹かれてということらしい

いずれも、高齢者達が、家に引きこもり、孤独な日々を過ごさぬように、自分ながらの生きがいを見つけること、同好の仲間を見つけて楽しい生活ができるようにとの思惑なのだと思います。

自分としては、そう長くはないこれからの人生の中で、 新たな刺激を求めて、なにかないかとあがいているところで、市民大学入学の目的も友達づくりというよりは勉強をしたい気持ちが先にたっています。

言い方悪いけど、市の意向は仲間を作らせて、寄り添って慰め合わせるという感じで、少々腰が引けるところなのですが、クラス会の世話役を頼まれて断れず、引き受けてしまったのです。

と、まあ偉そうに言う自分がどんなことをしているかというと、今のところ、自分が拾いきれていなかった部分の穴埋めを必死にしているところで、 新しいことにチャレンジできていないことも確かですが。

例えば、東京生まれでありながら、あまりにも東京を知らない・・・きっと、東京に住んでいれば当然知っている常識的なことから欠落している気がするのて、ひたすら東京近辺を歩きたい。

そう言ってしまうと学生時代を過ごした仙台も、十数年を過ごした敦賀も、一時期頻繁に訪れて、車を乗り回したカリフォルニア州もユカヤ、サンフランシスコも、現在住んでいる千葉も四街道も知り尽くしところ迄はいかないなどと、まあキリが無くなってしまいますが・・・

50歳代後半になって、敦賀の単身赴任時の慰みにカメラを買ったことが自分の時間の潰し方に大きく影響を与えたと思います。

カメラを鉛筆代わりに小浜、大野、京都に遊びに行き、その日その日のホルダーを作って、日記代わりに写真をまとめることを始めました。

地下鉄三越駅前の10本の柱は三越寄贈。自由に広告を出せるのだそうです。

ブログを始めたのもどうも写真だけでは技術が伴わないので、文章で補足して行こうと考えたことがあります。

敦賀から京都は特急で1時間、金沢が1時間半、福井県内に小浜、福井、大野、勝山など魅力にあふれる街があり、結構歩き回った気がします。

対象は主として、神社仏閣、史跡、桜、紅葉などですが、徐々に生来のお祭り好きが頭をもたげてきて、四季折々のお祭りを探し求めるようになります。

野坂岳に登るようになり、登山道に咲く花に惹かれ、360°展望の山頂で、オニギリを食べる週末を何回繰り返したことでしょうか。

『熈代勝覧』(きだいしょうらん) 説明板

野坂岳は冬の山の美しさを教えてくれた山でもありました。午前中に二の岳、三の岳、山頂にたどり着いた時の、樹々の枝に張り付いた樹氷というのか霧氷というのか、その美しさは忘れることができません。

歳経るとともに、段々と体力が削られてきて、登頂に手間取るため、昼過ぎて、たどり着くと樹氷がバサバサと落ちてしまった後、ということが多くなり、登山意欲も薄れていったというところでしょうか。

というところで三越ツアです。

以前、「目利きの東京建築散歩で、日本橋界隈を歩き、三越本店の大理石パネルにアンモナイトの化石があることを知りました。

敦賀時代、県立恐竜博物館主催の福井市街の中の化石を探すツアに参加したことを思い出します。

越後屋番傘一番

お父さんやお母さんに連れられた子共達が大勢を占めるツアで、ジジイ一人参加は他に一人いるだけで毛恥ずかしかったけど、幾つかのビルの壁や、床にある化石を探索して、ちょっと興奮してしまいました。

ビルの内装に用いられる大理石パネルはイタリア、ポルトガル、スペインなど欧州各国産で、その中にアンモナイト、サンゴ、2枚貝などの化石がスライスされた形に含まれていることが多いようです。

三越本店地下免震装置脇 ケガキ装置

重文高島屋日本橋店と、同じく重文に指定されている三越本店も、アンモナイト、ベレムナイトなどの化石が確認され、化石観察で著名な場所のようです。

「東京建築散歩」のときには、店内を詳しく歩く暇はなかったので、もう少しきちんと見たいなと思いましたが、受付で土曜日限定の店内ツアーがあることを知り、何時か来てみようと思っていました。

隈研吾さんの手による天井

しばらくしてから、電話で確認したところ、8人以上程度の人数がまとまれば、土曜日に限定しなくてもツアを設定できると、教えていただき、市民大学のクラス会には面白いかと、金曜日開催のイベントを企画しました。

6月中に予約をしたのですが、あまりにも早過ぎた予約だったため、三越側がすっかり失念したようで、直前に確認の電話を入れると、ダブルブッキングされているという残念な結果がありました。

あちらが6人ということなので、一緒に廻ることで良しとしたのですが、老舗のお店らしからぬ、失点で、いささかしらけましたが、まあ大した問題ではないなと・・・

結局、こちらは8人の予定がお一人に直前に不幸があり、7人、あちらが、6人の予定がお一人減って5人で合計12人で、ワイヤレスガイドを使用のツアでしたので、まあ適切な人数であったのかと思います。

ツアーはライオン口の正面受付前に集合してブリーフィング後、ワイヤレスガイドを着用し、ツアー開始。

地下から外に出て、三越が寄贈した地下鉄三越駅前の10本の柱のお話。

地下道壁面に飾られた 『熈代勝覧』(きだいしょうらん)の説明。 熈代勝覧は横1232cmの長大な絵巻で、日本橋通に連なる問屋街とそれを行き交う人物が克明に描かれている。

三越の基になった「越後屋」や、日本橋、日本橋の袂にあった、魚市場などが見えますし、色々な商売の人間が描かれていて面白い。

ガイドさんがなにか手荷物を持っていただのですがそのなかから、番傘が登場して、皆手にして重さをたしかめさせていただきました。

番傘には越後屋の名前と番号が記載されています。1,500本の番傘が用意されていて、顧客に貸し出しされたということでした。

外回りの説明が終わり、中に入って、 免震構造のダンパーと揺れを記録するケガキ装置の説明。 ケガキ装置は最大40cm程の軌跡を描けるそうですが、311の時の揺れ幅は5cm程度に収まったということでした。

一階に登り、昭和35年(1960)完成の天女像の説明。三越の客に対する基本理念「まごころ」を表現する像として「まごころ像」ともいわれ、日本橋三越本店の象徴。

佐藤玄々作。京都妙心寺内のアトリエで、多くの弟子とともに「構想・下絵・原形・試作」という数々の工程を経ながら、完成までには約10年の歳月を要した。

石巻産の市松模様タイル

アンモナイト化石の確認後、パイプオルガンの演奏を聴きます。

昭和5年(1930)、米国マイテー・ウェルリッツァー社製で、主に無声映画や演劇の伴奏などに使用された『シアターオルガン』という種類に属し、ポピュラーからクラシックまで幅広いジャンルの音楽を弾くことが出来るのを特徴としている。

1930年当時の金額で350,000米ドル、今の貨幣価値に換算すると約2億円ということで、金、土、日曜日の10時、正午、15時の三回演奏があるとのこと。

パイプオルガンのある吹き抜けの部分の床は市松模様のタイルとなっていて、宮城県石巻産であること、一階の天井は隈研吾さんの手によるリニューアルされたことなどのお話もありました。

この後、もし良ければ呉服展があるからご紹介したい、とのガイドさんのお申し出があり、自分は正直言うと、もっともっと化石の詳細、建物の歴史に関わる部分ななどを聞きたかったのですが、なんせたった1人の男性で、大勢に逆らえず、従います。

渋々行った呉服展でしたが200万円、300万円を超える和服、帯が並ぶ威容には圧倒されました。

皆あきることなく見ていて、ランチの予約をしていた13時を若干過ぎて、冷や汗が流れますが、若干の遅れでグリル満点星に入店できて、ホッとしました。

ランチ後、安針塚、日本橋魚市場跡、東海道基点などを確認し、日本橋で解散。皆さんは新日本橋から帰りましたが、自分は東京駅まで歩き、来年一月開館のアーティゾン(旧ブリジストン)美術館外観を見て帰りました。

次回は日の出から水上バスで浅草に移動し、西浅草「どぜう飯田屋」でランチを計画中です。

くまじい
阿佐ヶ谷生まれの73歳

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