ツーデーウォーク2日目

2日目(6月8日)は8kmコースを選択したので、本来は出陣式はぐっと遅くなり、9時半からになります。

自分は途中の卯辰花菖蒲園まで、16kmコースを行くつもりなので、16kmの出発にあわせて8時半に駅の広場に集合します。

8kmにエントリーして、16kkmを歩いても、別にとやかく言われる訳でもない。チェックポイントさえ通れば、スタンプがもらえて、完歩証をもらうことができます。

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どこの大会でも参加者名をリストアップした立派な名簿が配布されます。

参加者の県別に名前が記載され、事前にエントリーしたコースが併記されます。まあ、16km歩いたとしても、記録上は8km完歩したことにしかならないと言うことになるわけです。

いままで、何回かウォーキングに参加して、コース選定が良好(?)な為、すべて完歩はしています。

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記録を争うものではなく、満足感は自分のなかのヤッタ〜だけなので、名簿への記載はどうでもいい・・・どうせ他人の記録なんか見る人もいないでしょうし。

毎年、秋に参加している白峰・手取川渓谷のウォーキングは完歩証をいただくだけでなく、ナメコ汁のおもてなしがいただける楽しみがあります。

長浜でもそうだったのですが、今回は、完歩すると完歩証のほかに、サントリーのオールフリーをもらえます。

って、ビールならともかく、キンキンに冷えたオールフリーって・・・何が悲しくて、汗を絞り出してきたあげくにビールもどきを飲む必要があるのか・・・

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と思いつつ、長浜では2日間とも、ありがたく缶を飲み干したのですが・・・今回、1日目は途中でいやになって、捨ててしまいました。

2日目は前日のことがあったので、「本物のビールを美味しく飲みたいので、パスします」とお断りし、昼食とともに生ビールをおいしくいただきました。

長浜は車で行っていたので、二日目でビールというわけには行きませんでした。今回は電車ですから、ゆっくり昼飯を食べて、いい気持ちで寝て帰りました。

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話がそれますが、敦賀→金沢は130kmで、往復で200kmを超えるので、ジパングの3割引適用範囲になります。

もっと距離の長いときに取っておこうなどとせこいことを考えて、今回使用しませんでしたが、老い先短いこれからの人生、なにが起こるかわからないので、どんどん使用していくべきだったかと。

南の方に下る場合は、以前書きましたが、京都は残念ながら片道90数キロで、往復でも200kmに足りません。

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大阪が137kmになるのでほぼ金沢に近い感じで3割引範囲になりますので、大阪、神戸くらいでもジパングを活用して行こうかと思っています。

大修理終了して一層色白くなったという白鷺城も行かねばならないし・・・

ビルボード大阪のバネッサ・ウィリアムスは手配が遅かったため、行きそびれました。

久しぶりにライブスケジュールを確認したら、”House of The Rising Sun”
で記事を書いた、トミー・エマニュエルが10月にくるようです。

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すさまじいギターテクを目の前で見てみたいなと思いますので重い腰をあげようか・・・
10月はプライベートの予定がいくつか入りそうなので、難しいかもしれないけど。

なにもなければ、公演は水曜日夜なので、木曜、金曜と休んで大阪、京都を歩いてくるか・・・

と、今は大阪ではなく金沢の話です。

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駅から出発するとしばらく大通り沿いに歩きますが、近江町市場の手前で左折して、浅野川にでます。

浅野川沿いにあるくと主計町茶屋町を通り過ぎます。

以前、店の中を案内していただいて感激した、ギャラリー鏡花もありました。(「金沢のお土産」)

もし開いていたら、懐かしさから、お寄りしてしまうところでしたが、まだ、開店には早い時間で、素直に通り過ぎます。

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周りを歩いている人が、「おれは上まであげてもらって、店の中見せてもらったんだ」と連れに話しをされていて、同じことしている人がいるんだと、思わず、にやりとします。

浅野川大橋を渡って、程なく右折すると東茶屋街になりまますが、コースはその角を通り過ぎて、だいぶ歩いてから右折します。

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曲がったところが、卯辰山麓寺院群にあたり、多くのお寺が並んでいました。総数約50ヶ寺とのことです。
福井で言えば大野に寺町がありますが、寺町ってどういう由来があるのだろう・・・

金沢だけでなく、日本の城下町の多くに、寺社の集中する地域が見られ、それぞれ、寺町と呼ばれているのだそうです。

一般的には寺社の集中立地は城下防衛を目的としており、設置場所としては、城郭の最も危険なところ、城郭付近の枢要な地域、城下の通路の要所、城下町の外縁に沿って並べ、防衛線とするなどの各々の形式があるのだそうです。

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織田信長は、金ケ崎を攻めるために麓の妙顕寺に本陣を設けました。

また、意味合いは異なるかもしれませんが、中国に出発する直前に本能寺に滞在し、最期を遂げるなど、寺社を拠点として利用することは行われていたことがわかります。

塀構えを備えた寺院がいざという時の前線基地として機能を果たしうるということなのかもしれません。

また、金沢の場合は一向一揆の影響で、真宗の寺院を一カ所に集めて、監視しやすいようにしたとうこともあるようです。

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金沢の寺院群の形成は慶長4年(1599年)利家の逝去に端を発します。すなわち、目の上のたんこぶ、利家逝去に伴う、家康の策謀の始動がきっかけということです。

2代目、利長は家康の勧めで、京都から金沢に戻りますが、謀反の兆しありとの讒言により窮します。利家の遺訓は利長に京にとどまることを命じていたのだそうですが・・・

恭順の意を示すために、母のまつ(芳春院)を人質としてさしだし、養嗣子、利常と秀忠のとお江さんの娘、珠姫(天徳院)との婚姻を結ぶ等の融和策をとります。

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表向きの融和策の一方、城下では外敵進入に備えた掘り割り、石垣からなる惣構(そうがまえ)の構築を進めて、防御の備えを固めて行きます。

この惣構の構築に伴い、寺院の土地の収用と合わせて寺院群の集約化が計られて行ったということがことの始まりのようです。

卯辰山には宇多須神社(卯辰八幡宮)が1599年に建立されたのを初めとして、寺院群が形成されてきます。

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卯辰山はまた、純軍事的な要素に加え、城の鬼門(丑寅:北東)にあたり、鬼門除けという意味で、宗門を配するという面もあったということです。

寺院群の構造上、外敵の侵入があったとしても、容易な侵攻を防ぐ意味で、集められた寺院群の間を行く道は、折れ曲がり、突き当たりありの、複雑な細い道路構造にしているのだそうです。

寺町の方は、近年に入っての区画整理がされたのか、区画がすっきりしてしている感がありました。卯辰山に比較して、寺町は後年の整備によるものでコンセプトも違った面があるかもしれません。

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卯辰山の方は土塀の古さの見た目もあいまって、構築された当時の迷路状の匂いが残っているように感じられました。

利長の時代に始まった惣構構築と寺院群の構築は慶長10年、利長が引退、3代目利常に替わり、利常の晩年(1658年)まで続けられます。

寺町台の近くに西茶屋があり、卯辰山寺院群の周辺に東茶屋があり、寺院群に密接して遊楽街が形成されています。

寺院群の形成理由はともあれ、集められた宗門の門前町として、訪れる門徒達の遊興の場として発展していったということのなのでしょう。卯辰山寺院群のことは今まで金沢に何回か来ていながら、知識無く、通り過ぎていました。

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面白そうなエリアで、ウォーキングをギブアップして、寺院群歩きに切り替えたい気持ちもでましたが、あまりにも唐突なので、少し勉強してからまた、来ようと、歩き続けます。

東茶屋街にくると、多くの一般観光客がいて、かなりの賑わいとなっていました。

東茶屋街で8kmコースは16km、24kmコースと別れて、卯辰山の麓を迂回して、兼六園に向かうコースになります。

16kmコースに沿って卯辰山を登ったところに菖蒲園があるということなので、そこまでは行ってみようと登りはじめます。

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以前、蓮如像のある東山蓮如堂をお詣りしました。今回もと、思っていましたが、どうも、コースの道は一筋違うようで、観音院に出ます。

観音院で御朱印をもらい、お訊きすると一山違う感じみたい。蓮如堂はあきらめて、菖蒲園に向かって歩きます。

菖蒲園がチェックポイントになっていて、休憩と同時に菖蒲園を楽しめるのかと思っていましたが、菖蒲園はトイレのみで、チェックポイントはまだ先らしい。

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頂上の神社まで歩きますが、チェックポイントまではまだ少しありそう。ここは16kmに向かうより、菖蒲園を選ぼうと道を戻ります。

戻る道すがら、アンカーの人たちが道路に設置したコース表示を回収しながら歩い来るのに出会います。

まさか戻る人間がいるとはと驚かれますが、もともと8km参加です、と言い訳しつつすれ違い、菖蒲園に戻ってしばらく時間を過ごしました。

子供達の参加する歩育コースというのもありました
子供達の参加する歩育コースというのもありました

8kmのコース表示が無くなっていないかと、心配しながら東茶屋街に戻りましたが、まだ係の人が残っていて、一安心。

おれが一緒に行ってあげようという係の人に、いろいろお話を伺いながら、残りコースを案内していただきました。

【寺町の参考図書】

「近代日本の寺町における持続と変容」 山田誠
「城下町金沢と寺院群」 玉川図書館 近世資料館
「金沢市の伝統的建造物保存地区」寺町(卯辰山麓・寺町台) 金沢市 都市政策局

くまじい
阿佐ヶ谷生まれの73歳

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