クスコ

ナスカから帰り、少し、夜遅くなりましたが、市内の中華料理屋さんでディナーをというところまで記事にしました。

って、さすがに放置が過ぎましたが。

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ナスカの翌日、4月29日はいよいよ最大の山場、マチュピチュに向かいます。

クスコ経由でバスと列車を乗り継いで、マチュピチュ村に到着、マチュピチュ村で2泊してマチュピチュにお目にかかり、またクスコに戻る予定です。

クスコまではロスアンゼルスからリマまで利用したLAN航空で約1時間半のフライトになります。

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クスコの空港に着くと、いかにも雲の上に出たという感じで青い空が広がり、陽射しがきつく照り付けます。青の濃さが低地とは異なる感じがしました。

リマの街の中で、景色の色合いが見慣れたものと異なる感じがすることを書きましたが、空港の周囲も、この抜けるような青空に合わせたかのように、原色系の看板が多いようです。

空港ビルの上に銃を持った兵士が警戒していて、ちょっとびっくり。


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バスに乗り、クスコの市内観光に向かいます。

リマでお世話になったカルメンさんに代わって、クスコ、マチュピチュの間の新しいガイドさんがついてくれます。お名前を失念してしまいました。

ガイドさんは日本人の女性で、学生時代にペルーの歴史にあこがれて、こちらに留学の経験をお持ちの方でした。

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手前の黒い石組がインカ時代の石組で緻密な構造に驚きます

卒業されて、一旦、日本に帰ったのだけど、結局生活の場をペルーに求めて、戻られたのだそうです。

外国人がペルーの歴史を生業とすることは難しかったのでしょうか、歴史そのものはあきらめたけど、周辺に居てインカに接していられる職業を選んだということなのだと思います。

でも、ペルーの歴史に嵌るというのはわかる気がします。

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空港から直接向かったのはコリカンチャ=サント・ドミンゴ教会です。

バスから降りると少々歩くのに息苦しくて、ゆっくり歩きます。

歩みが遅い上に、写真を撮るのに時間をとりますので、追いつくと説明が終わっていて、ほとんど聞くことができませんでした。

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よく理解しないままでしたので、帰ってから記憶をたどりながらお勉強です。

といっても、なかなかネットでヒットすることがなく、All About(http://allabout.co.jp/ )の中の旅行、世界遺産の中に、クスコの紹介(http://allabout.co.jp/gm/gc/44745/)がありました。

Wikipedia英語版にもコリカンチャ(http://en.wikipedia.org/wiki/Qorikancha)についての説明がでていました。

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Wikipedia英語版の参照欄に、コリカンチャ(http://www.qosqo.com/qorikan.shtml)を説明するクスコの案内サイトが紹介されています。( http://www.qosqo.com/

クスコの紹介が詳細に載っていて面白い。

オリジナルはスペイン語と思いますが、自分のアクセスしたのは英語版で、いろいろ楽しめそうです。(現在のところ、コリカンチャの記事しか確認していません。)

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まあ、ブログを書こうと思わないと日頃、仕事以外では全く英語を読むことはないので、いい訓練と思い、なるべく解釈するようにしています。

それでも、「日清カップカレーライス」の市川隼人※じゃないけれど、「めんどくさい」ので、端折った読み方になってしまって、もしかして肝心な部分が抜けてて誤解していないか

・・・という一抹の不安は常時つきまといます。

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※2ヶ月に1回はカレーを造っている「くま」は、あまりカレー造りに面倒くささを感じないのですが、CMの「めんどくさい」シチュエーションは共感できるものがあり、思わず、笑ってしまいます。

とまた、すぐ脱線する・・・

クスコの紹介サイトに記述されているコリカンチャの説明の一部をお借りします。

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「クスコの太陽の神殿は1438年にすでに頂点に達していたインカ帝国の組織、建築技術、宗教の統合を試みたものであったのではと考えられている。

それはおそらく、「世界のへそ」すなわち、スペイン侵攻前のアンデス文化の宇宙観に基づく世界の中心ということであったのだろう。

オリジナルの神殿は初代インカ帝国皇帝マンコ・カパックが建設したものであるが、1438年以降に9世パチャクテックがこのインカ最大の宗教建築物を拡大、増強および、近代的にに改築したのである。」

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コリ・カンチャはオリジナルには創立の当時はインティ・カンチャ(太陽の家)と呼ばれる太陽および太陽神を祀る、太陽の神殿であった。

「太陽の神殿」はインカ帝国の首都クスコのなかでも、最も重要な建造物として、上記に示す技術の粋を集められた姿となり、コリ・カンチャと呼ばれるようになります。

改築後のコリカンチャのコリは「黄金の」を示しており、かっては壁、床はすべて金の板で覆われた神殿であったが、最後の皇帝の「身代金」として、全て剥離されて供出されたのだそうです。

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コリカンチャからプラザ・デ・アルマスに向かいます

スペインは町の主要な建物を破壊して、自分たちの施設を建設します。

コリカンチャにはサント・ドミンゴ教会を建立。

サント・ドミンゴの後に向かった、プラザ・デ・アルマスに面して、建立されていた創造神ビラコチャの神殿跡にカテドラルを、第11世皇帝ワイナ・カパックの宮殿のあったところにラ・コンパーニャ・デ・ヘスス教会を建設します。

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息苦しいけど、歩き回ってみたい魅力のある街です

クスコの建築物は先に述べたように、当時、技術水準の最高峰に到達していた建築手法により、緻密な石組の建造物を構築していたため、その精巧な土台はそのまま利用して、上モノだけをスペイン風に改築したのだそうです。

確かに、インカ時代の石組みは隙間なく石同士が組みあがっており、目地材の必要性は全くない感じです。

と、また脱線ですが、自分の仕事で、耐火材の目地管理の大切さを実感していました。

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クスコには多くの教会があります。寄ってみたいのですが・・・

アメリカ人の手では目地材が多くなりますが、日本の技術屋の厳しい管理と日本人の手で目地を追い込み、最近の目地は、インカの建築技術のように「カミソリの刃」も入らない程になっています。

現存する、インカの緻密な石組とスペインの建てたサント・ドミンゴ教会の壁の目地の目立つ石組みと比較すると、違いは歴然としています。

インカの石組の石の形状を見ると、上面と底面はあくまでも平行で平滑な平面で構築されているようです。

ラ・コンパーニャ・デ・ヘスス教会
ラ・コンパーニャ・デ・ヘスス教会

しかしながら、並べられている石の、隣接し合う側面については、機械的な画一化された部品として製造されたものではなく、現場合わせしたように、自在な角度を構成しているような気がします。

クスコ紹介のサイトには石の接する面が磨き上げられていることの他に、壁の構造が石の大きさを変えて、厚みを調整して安定な構造としている。

さらには平面的にはH型のクランプあるいはクリップでタイアップされ、地震に強い構造となっていることなどが記されています。

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パチャテック像

正直いうと、スペイン時代の建物の石組みは技術的にはかけ離れたものであることには違いないのですが、人間臭くて、暖かい気持ちにさせてくれて嫌いではないのですが・・・

ただ、このインカの巧みな加工技術というのか建築技術の進化に思いを馳せると様々な想像に掻き立てられます。

歴史ロマンあふれるというところでしょうか・・・

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カテドラル

技術のきっかけはもしかして、傑出した天才の思いつきだったのかもしれない・・・

でもクスコの主要な構造物に敷衍されるためには、技術に汎用性が要求される必要があるでしょう。

繰り返し、建造物を手がける中で、経験が技術に磨きをかけ、多くの熟練工を育てていった結晶として、コリカンチャがあったということでしょうか。

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コリカンチャの後にプラザ・デ・アルマスに向かい、しばしの休憩となります。

雲のない青空から照り付ける陽射しがまぶしい大きな広場に、カテドラルとラ・コンパーニャ・デ・ヘスス教会が並び立つ様は壮観でした。

自分としてはカテドラルとヘスス教会に入ってみたかったけど、そういう時間はありませんでした。

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まだまだ先が長いのですが、続くです。

下記のサイトと、いくつかのブログを参考にさせていただきました。

All About(http://allabout.co.jp/ )
Wikipedia(http://en.wikipedia.org/wiki/Qorikancha
Qusqo, Inka’s Sacred Capital( http://www.qosqo.com/

くまじい
阿佐ヶ谷生まれの73歳

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