金沢城1128

11月28日(月)は金沢でクラプトンとウィンウッドのコンサート・・・どうせならと28日と29日はお休みをもらって久し振りの金沢を楽しむことにしました。

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こういうところでは運の悪さが出て、28日は金沢は厚い雲に覆われていて、太陽にお目にかかれず、街歩きの雰囲気も今一でした。

それでも、兼六園にたどり着き、山崎山の紅葉にいやされましたが、陽が射さない上に夕方になり、未練たらたらでコンサートに向いました。

コンサート翌日は、せめて午前中に街中を歩いて帰ろうと思っていましたが、ホテルの窓から朝日が射すのを見て、山崎山の紅葉を陽光の下で見たくて、バスで兼六園に向かいます。

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結局、二日間で兼六園周辺だけしか回らない結果になってしまいました。まずは28日です。

駅前から兼六園に向う道の途中でも街路樹の紅葉を狙いますが、あまりいい写真がありませんでした。

天気のせいにしますが、まあ天気に応じた写真を撮る技術がないということです・・・

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武蔵が辻の地下を抜けて近江町市場に抜けます。武蔵ヶ辻の近江町市場の入り口にある石柱。青草辻(青草町の辻ということでしょう)となっています。

武蔵ヶ辻は通称で住所表記上は青草辻と言うのだと思います。

街中で人間を撮るのは抵抗があります。もし、自分が歩いている時にいきなりカメラを向けられて写真を撮られるのを想定すると嫌な気持ちがすると思います。

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一言、写真を撮ることを断るべきではないか・・・翻って自分が写真を撮ろうとする時には、対象になる人に対して断るべきだろう・・・

山ですれ違う人の写真を撮る時にはなるべく「撮らせてもらいますよ。」と声をかけるようにしていますが、対象が多い時にはちょっと難しい・・・

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まあ、お客さんは無視して、店の人に断ればいいのだと思いますが、大した写真でもないのに断るのもなんか大げさな気もするし・・・

結局、街中で人にカメラを向けることをためらい、チャンスを逃し続けているのが実情です。下の写真は少し離れたところから無断で撮らせていただきました。

実はコンサート翌日の29日に加賀温泉駅の踏切で大事故があり、北陸線が不通、昼過ぎの電車で帰るつもりでしたが、夜になってしまいました。

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5時頃に電車が動きそうと言われてホームに行きましたが、まだ待たされて、結局電車に乗れたのは夜の7時半頃でした。

ホームでくたびれ果てて待っていると、列の先頭の人が座り込んでいる姿が格好の被写体になったらしく、脚立を建てて陣取った新聞社のカメラマンが餌食にします。

撮られている人がカメラを気にして、嫌な顔をしているのが見てとれます。

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カメラマンは構わず写真を撮り続けます。気がついていないと言うより被写体の気持ちなど斟酌しないという態度の様です。

とうとう先頭の人は切れてしまい、一頻り、文句を言ってどこかに行ってしまいました。

残された列の後ろの人間が今度は狙われる・・・自分の前のオバサン、「一言断ってから撮るべきよね。」と怒っています。

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「疲れた様子を見せると狙われるから、しゃんとしてましょう」と自分。ちょっぴり報道の横暴を感じた日でした。

金沢城の黒門入り口の手前に「黒門前緑地」という表示がありました。

「豪姫」が住まわれて、最期を過ごされた場所との説明があります。「ごう」姫はあのお江の方ではなく、利家とまつの第四女。

秀吉の養女となり、宇喜多秀家に嫁ぎ、「備前の方」となります。関ヶ原の戦いに敗れて、宇喜多秀家は八丈島に流されますが、豪姫は金沢に戻されます。

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三代藩主利常にこの地を与えられ、余生を過ごしたということなのだそうです。

兼六園下に建てられた金沢地方検察庁検事正官舎が路面電車の整備のために、1918年(大正7年)にこの地に移設されましたが、その役目を終え、公園として整備されて公開されているということらしい。

公開に当たって、江戸村にあった加賀藩御殿医であった「タカジアスターゼ」の高峰譲吉の父、高峰元陸の建てた旧高峰家家屋が移設され、検事正官舎に並んでいます。

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どうも紅葉というよりは桜の名所として有名な場所の様です。

黒門口から、金沢城に向かおうと思いますが、黒門前緑地の裏側に尾崎神社があるようです。

神社の中に由来を記載した看板が立っていました、尾崎神社(旧金沢東照宮)は4代目藩主前田光高がお家安泰を図って、家光の許しを得て家康(東照大神)を祀った神社なのだそうです。

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利家の死後、芳春院(まつ)が江戸に人質になったことをはじめとして、前田家は家康に翻弄され続けたような気がします。

家康の前田家への苛烈な扱いは、家康の利家に対して抱いていた恐れの裏返しだったのか・・・

以前、天徳院に行ったときに葵の御紋と加賀梅鉢紋が並んでいるのを見ました。天徳院は三代利常の正室珠姫の菩提寺ですが、珠姫は昨年の大河ドラマの「お江さん」と秀忠の次女にあたります。

すなわちお市の方と家康の孫、家光の姉ということになりますが、まさに政略的に前田家に嫁がされた姫だったのだと思います。前田家に対して、容易ならぬ警戒心を抱いていた証左なのでしょう。

逆に前田家は利家亡き後に人が出ず、徳川家の警戒心に対して、徳川に対する恭順の姿勢を保ち続ける必要があったということなのでしょう。

尾崎神社の少し先に金沢城に登る阪(甚右衛門坂)があり、登ろうとすると守衛さんに制止されます。立ち入り禁止とのこと。

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仕方なくまた戻って黒門から金沢城を目指しました。

この後、兼六園では紅葉がまだまだ盛りと言う感じでしたが、金沢城はもう晩秋というのか鉛色の空の下で冬に備えている感じがします。

それでも一部に紅葉が残り、不断桜が五分咲きと言う感じでした

金沢城はいつ来ても工事をしていて、整備されつつあります。1996年に、金沢城が国から県に移管され、菱櫓等をはじめとした復元工事が始まったのだそうです。

この河北門は2010年に完成したばかり。前に来た時には無かったと思います

中は菱櫓と同様、展示場になっていて修復の経緯などが展示されています。今回はコンサートがあるので概観だけで足早に通り過ぎました。

さらに現在も鶴の丸広場というのでしょうか、大がかりな工事が進行中でした。

何年かかるのか判りませんが、四季折々に復元の進捗を確認に来るのもいいかなと・・・

菱櫓は前に登ったことがあるので、パスして、廻りをゆっくり歩きます。明治31年建設の旧第六旅団司令部跡があり、庭の中に綺麗な紅葉がありました。

紅葉を求めてお城の中を歩き廻りながら、兼六園に向います。

この日、兼六園でも大分写真を撮りましたが、天気が少し回復した29日に再度訪問した写真と比較するとやはり陽の光がある分29日の方の写真がいいような気がします。

28日分の兼六園は省略ということで。

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くまじい
阿佐ヶ谷生まれの73歳

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