手術日は13日の午後でした。
10室ある手術室のうち、NO.8で施術される、自分の前に2組の手術があり、おそらく3時過ぎになるだろうとの先生の話があり、待機します。
昨日、12日、13時に入院手続き終了。
先生は敦賀の福井病院への外勤日なので夕方に外勤戻りの先生に話を伺います。
万が一の副作用について、まじめな先生が書き出した膨大なリスト(やり過ぎっちゅうの)について、奥さん、ちょっと驚いている様子でした。
まあ、昨今、可能性について触れていなかった事態がおきると大変なことになるのでしょう。
3年前の胆石の手術の時に比べて、奥さんの質問が少ないなと思っていました。
以前に書いた記憶がありますが・・・以前の胆石手術の先生の説明時には、奥さんがこの際とばかりに、心配を色々ぶつけました。
それらは、ほとんどが、ここに至るまでに先生と色々話しをしていたくまにとって既知のことでしたが、
あらためて詳細に話しを聞いているとだんだんと気が重くなってきてしまいました。
奥さんがホテルに帰った夜、看護師さんが安定剤を持ってきてくれます。
奥さんと話しながら、くまの様子を目の端で見ていた先生が心配をして、手術前夜によく休息できるようにと手配してくれたようでした。
今回、奥さんの質問が少なかったのは膨大なリストに圧倒されて、恐ろしくなったこともあるのかと思いますが、前回の自分の様子を覚えていて、少し質問を控えめにしたんだということでした。
どこまで説明は必要なのだろうか・・・
医学的には決まったルールがあるのかもしれませんが、受ける側からしてみると・・・・
術後に避けられない症状、というのは、きっとあって、それについては説明してもらいたいと思います。
その他で、万が一に、こういうこともあるかと言うことを、どこまで話をしてもらえばいいのかということになるのですが・・・
先生も、やむを得ず、起こりうるケースについて、極力説明するものの、自分がへまをするものなどとは考えていないでしょう。
失敗を前提とした話をするならば、どのレベルのミスまでを説明するのか難しい気もするし・・・
さらに、ミスを前提とした場合、その上に、もし、悪い状況が悪かったらなど、仮定の屋上屋を重ねて確率の低い話が広がって行く感じもする。
絶対安全ではないということを確認することだけでいいのかという気がします。
ようやく夕方17時にお呼びがかかります。
ちょっと前に、点滴を開始して、点滴スタンドを引きずりながら手術室に歩いて行きます。
準備、後処置を含めて3時間くらいかかるだろうと。
胆石の手術の時は全身麻酔でしたが、今回は半身麻酔で実施。
恐がりのくま、「麻酔の注射を打つので、背中を丸めて骨と骨の間を開けるようにしてください。」の一言で緊張が全身によぎり、がちがちになってしまったようです。
力を抜いてください、気分はいかがですかとの優しい問いかけに「怖いっす」とつぶやきながら、肩の力をほぐしました。
背中にちくっときてしばらくしてから、下半身に感覚がなくなりますが、上半身は意識のあるままです。
先生が「くまさん、始めますからね」と声をかけて、手術が始まりましたが、時々、下腹が引きつる感覚がありますがその他は全く自覚がありませんでした。
始まってしばらくしてから、身体に悪寒がして、冷や汗がでてくるようになります。
なんだろう・・・睡眠不足・・・いや、そうなら、もっと欠伸がでてくるような気がする。
そういえば、時々陥る低血糖に似ているかも・・・看護師さんにちょっと寒気がすると訴えます。
血圧の高い方が80程度に下がっていたようで、医師がエフェドリンの添加を指示して、気分が回復してきます。
若い頃って、高校の時だったような気がするけど、血圧が110〜70位で、健康診断で血圧要注意などと書かれて、よく立ちくらみしていた懐かしい時期がありました。
最近は140〜85くらいに上がってきて、今度は血圧の高いことを気にする年齢になってきていましたので、ちょっと驚きでした。
意識ははっきりしていて、眠るでもなく、時々頭を回して、自分の血圧を確認していました。
途中で看護師さんが交替します。看護師さんは時間でシフトして行くのか、ドラマにはあまり出てこないシーンだなと、余分なことを考えていました。
実質の手術時間は約1時間40分だったということでしたが、部屋に帰ったのは20時頃で、先生の言われた通りの時間になりました。
手術には先生の他に2人の医師が立ち会っていましたが、先生の相談する声は聞こえましたが、基本的に施術は先生一人で実施。
後で先生が「長い、孤独な手術なんですよ」とおっしゃっていました。
ドラマで見る手術は、大体が開腹手術でスタッフが周りを取り囲んで、介助医師や、看護師に指示をしながら進めていきます。
この手術はドラマと大きく異なり、内視鏡を尿道から入れて、内視鏡の先端についた小さな電極で前立腺の内部を小さく、小さく、削っていく作業、ということで、確かに・・・
前立腺を通して膀胱に管が入り、生理食塩水を注入して出血を洗い流すのと同時におしっこを排出させます。
術後3時間後には水分供給を開始し、以降は1日1.5L以上飲んで、生理食塩水の替わりに自分のおしっこで洗い流せるようにするのだそうです。
部屋に帰ってしばらくすると寒気がしてきて、ガタガタ震え出します。タオルケットをもう一枚もらうけど、治まらない。体温を測ると38度を超えていました。
抗生物質を入れてもらい、翌朝は36度台にさがりますが、まあ普段に比べるとまだ高い、夕方にまた、37度台になったので、抗生物質を再度投入。
体温上昇はなんとか落ち着きました。先生のお話では除去した肥大部分に炎症が生じていてその菌が入ったということがあるかもしれないとのことでした。
2日目から普通の食事が出ます。でも食欲はありませんでした。点滴棒を引きずって歩く練習をしますが、血圧が90程度と低く上がらない。
歩いていてふらっとして倒れたら困るので、血圧が100を超えるまでは部屋の中で歩行練習して、室外に出るなと。
2日目まで我慢していましたが、3日目の朝に便意を催し、断ってトイレまで歩き、室外に出る権利を確保します。
手術後4日目の土曜日に膀胱に入っている管を抜きます。強烈な痛みで「ぎゃーっ」と大きい声がでてしまいました。
管が入っていた時にはおしっこは自然に垂れ流しになっていたわけですが、これからは自分でトイレに行くことになります。
おしっこを容器に受けて、色の確認すると同時に量の記録を付けて行きます。
おしっこの色というのは出血があるため、赤いおしっこになるわけですがその色の濃さを
確認して行くということです。出血はすぐには止まらず、退院してからも、しばらくは続くのだそうです。
管を抜いてしまうと、先生はすぐにでも退院できるけどどうする?って、でも、怖いので月曜日、18日に退院することになりました。
退院前の先生とのお話で、生活は普通で良い、ただし、重い物を持ったり、力むことはるするな、飲酒は血流をよくして出血を促すので当分控えることと。
先生とは福井病院の診察がきっかけではあるが、手術した関係でこちらの福井大学医学部付属病院での再診をして、けりを付けよう。
先生の勤務の都合上木曜日がいい、8月28日はどうか?
当方の仕事の関係でその週だけは休めそうもない、ということで、次週の9月4日に伺うことになり、それまで、酒を止めておこうと。
実は9月4日はくまの誕生日、66歳のスタートの日になります。
自分は雇用延長で64歳まで会社勤めを果たし、2年前に会社設立をして、曲がりなりにも会社運営を始めました。
以前であれば60歳、還暦が人生の第4コーナーというところでしょう。
団塊が意図したわけでなく、押し上げてきた会社人生の実質的最終年を考えると、今や還暦ちょうどではなくて8の倍数の64歳、年金と雇用延長にからむ65歳が人生の第4コーナーと言えるのではないかと。
少し遅れることになりますが、この66歳を迎える日こそ、手術による新しい人生の始まりととらえて、まさにその日にお祝いのお酒を飲めるようになる・・・嬉しい記念日と考えようと。
退院したら、永平寺にお詣りして帰ろうと思っていました。
入院中は天気が悪く雨ばかりのようだったけど、退院する自分を祝福するように、晴天となり、汗だらけの永平寺詣りとなります。
僧堂の前の廊下で仏殿の写真を撮ろうとしていて、青い空と白い雲を見ているうちに、例のごとく?涙がわき出てきます。
生きて帰ることができる、と言うのか、またここに来られた、というのか、白く染みる雲がくまを感傷的にさせたようでした。
洗い流すための水分が汗として消費されてしまったせいか、食事に寄った「幸家」さんのトイレで真っ赤なおしっこがでて、まだまだ、無理はできないな実感しました。