加賀百万石ツーデーウォーク

6月7日、8日に第63回加賀100万石まつりのツーデーウォークに参加しました。

今年の百万石まつりの「利と松」は原田龍二さんと菊池麻衣子さんって、自分は名前聞いただけではわからない俳優さんだけど、顔を見るとああ、と判る方達でした。

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前夜の食事は高崎屋でした。

といってもそれも、夜のニュースで知ったので、百万石まつりの行列には全く関係ありませんでした。

ウォーキング終了後に、駅前で、行列の出番を待つ人達を見かけましたが、沿道に並んで行列を見るのはパスさせてもらい、ホテルに戻り、風呂に入り、一寝入りします。

行列はとうに終了した夜の街に食事にでかけて、おいしい酒と肴を堪能しました。

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お祭りに合わせて、兼六園とお城のライトアップもされていたのですが、2日目もあることで、身体を休めようと、脚が向きませんでした。

来年の金沢への新幹線開通を控えて、イベントを盛り上げようという気迫は相当なもので,
新幹線開業の専用ユルキャラまで登場してきてご愛嬌でした。

ウォーキングの出陣式には日本ウォーキング協会長を始めとして、谷本石川県知事、山野金沢市長が参列され、各々の御挨拶があります。

市長さんは今年ばかりではなく、毎年激励に訪れておられるとのこと。

挨拶の中に、今年のウォーキングへの参加人数は3000人を越え、来年は是非、5000人を集めたいとの快気炎が上がります。

7日は20㎞コースを選択、武家屋敷、西茶屋街、寺町を抜けて、犀川沿いに歩きつづけ、辰巳用水遊歩道入口で折り返して遊歩道を歩いて帰るコース。

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2日目は長浜の時と同様に楽をしようと、主計町茶屋街から卯辰山麓寺町から東茶屋街を抜けて、兼六園の入り口に戻るる8㎞コースを選びました。

ただし、16㎞コースに東茶屋で8㎞と別れた後のサービスポイントとして、卯辰山花ショウブ園とあり、まだ行ったことのないところなので、8㎞の「完歩」を捨てても寄り道してみようとは計画していました。

武家屋敷跡までは何回か歩いたことがあるので、西茶屋街で撮影時間を使おうと早足で通り過ぎます。

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西茶屋 くまさん、写り込んでしまいました。

西茶屋で少し時間を使い、寺町に抜けます。寺町でめぼしいお寺があったら、と思ってご朱印帳を持ってきていました。

御朱印をもらうためには、いちいちお寺に入ってお伺いしなければならず、だいぶ時間がかかりそうです。再度どのような寺があるのか少し勉強したうえて、またゆっくり寺町を歩きにこようと、あきらめます。

あきらめて足早に歩いていると、高峰譲吉博士の菩提寺という国泰寺があり、碑の写真だけは撮らせていただきます。

西茶屋
西茶屋

高峰譲吉は生まれは富山なのですが、父が加賀藩の御典医であったため、生まれてすぐに金沢に移り、成長します。

高峯は「タカジアスターゼ(アミラーゼ:消化薬)」の発明者として名高いのですが、動物の臓物から初めてアドレナリンを抽出したことでも業績があるのだそうです。

化学者としての資質のほかに、事業人としてのセンスもあったようで、麦芽の代わりに米麹を使用したウィスキーの醸造方法を考案し特許出願。

西茶屋
西茶屋

これが着目されたのがきっかけで、アメリカに招聘されることになったほか、日本では日産化学、第一三共の創設者として名を遺している。

また、東京市長の尾崎行雄がワシントンに桜を寄贈した時に、高峰譲吉が協力したのだそうです。

国泰寺は高峰博士の菩提寺ということですが、墓所はアメリカのウッドローン墓地と東京の青山墓地にあるのだそうです。

国泰寺
国泰寺

国泰寺は元々は高岡の臨済宗国泰寺派総本山の関連寺院ということで、富山出身の高峰博士と縁があるのかもしれません。

今日は汗で汚れそうなのと軽くしたいこともあり、EOS6Dを温存、さらに軽くしようと、Kiss4にCanon純正の18㎜から55㎜のズームで出かけました。

最近使っていたのは270mmズームのタムロンB008で、重宝していたのですが、重いのと最近購入したEOS6Dの写真はKiss4のそれとは大部差がある感じで、ちょっと愕然とします。

カメラの違いはあるにせよ、腕のせいばかりでなく、レンズのせいにしてみようということで純正と比べてみたいと思ったのです。

まあ、根がスケベなくまさんのこと、悔いを残すのもしゃくなので、結局、B008もウェストバッグに入れておきました。

用水の向こう側の花を撮るために、レンズを換えたら、戻すのが面倒になって、そのままにになり、レンズの違いの確認は曖昧で終わります。まあ、素人の自分が見てわかるほどの差があるとは思えないのではありますが。

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寺町を抜けて10㎞コースと別れ、ひたすら犀川沿いに歩いて、いささかへばってくるころに30㎞との分岐点犀川緑地に辿り着きます。

30㎞はここからさらに山の中に入っていき、辰巳用水遊歩道入口で再度20㎞コースと合流します。

健脚家達が揃っている30kmコースとはいえ、出発時間がほとんど変わらない時間だったので、さすがにまだ戻って来ている人はいませんでした。

辰巳用水遊歩道
辰巳用水遊歩道

辰巳用水遊歩道入口は20㎞の折り返し点になります。配布された地図によるとど9.2㎞の表示があり、おっとまだ半分きていないのかと。辰巳用水遊歩道は疎水沿いの道で癒やされました。

遊歩道を終えると街中の道に入り、だんだん追いついてきた30kmの人がくまを抜いていきます。

我慢して歩くしかないと、足下を見ながら歩き続けますが、ふと顔を上げると、「天徳院入り口」のバス停があります。

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以前、雪の残る金沢を歩いたときにお参りした大きなお寺だったことを思い出します。せっかく御朱印帳を持ってきたのだから、ここにお詣りして行こうと。

受付で御朱印だけいただいて帰ろうかと思いましたが、受付は本堂の中。結局、靴を脱いで上がり込み、お詣りをします。

金龍山天徳院は曹洞宗寺院で利常が正室、珠姫の菩提を弔うために開基したお寺です。

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天徳院

珠姫は秀忠とお江さんの次女、すなわち家康およびお市の孫ということになります。

珠姫は3歳にして、まつ(桂春院)との人質交換の形で利常に嫁ぎ、15歳にして長女を出産したのを始めとして三男、五女の子供を授かりますが、24歳にして病没。

短い人生の中で8人の子供に恵まれたということはほぼ毎年出産していたとことになります。政略の犠牲、とはいえ、利常とは睦まじい夫婦生活を営んでいたのでしょう。

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犀川河原

百万石祭りの行列で「とし」と「まつ」を俳優が扮するのと同様に、地元の子供たちが利常と珠姫を演ずるのだそうで、金沢に愛されているお姫様のようです。

7日は薄曇りで、ほとんど太陽が顔を出さない一日でしたが、15㎞過ぎるころには顔が真っ赤になり、汗だらけになってしまうのは体質的なもので、ショーウインドウのガラスに映るわが姿はひどいものです。

これでいつも言われるんだよな、と納得したとたんに、過ぎゆくウォーカー達を見ていた商店の親父さん、団扇使いながら、「何キロ歩いたの?」って。

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それでも、2時少し前にはゴールに到達、4時間半くらいで完歩したので、長浜の時よりはましだったようです。

長浜でも配布されていた、サントリーの「オールフリー」いただきます。申し訳ないけど、自分には合わない感じで、だいぶ残して捨ててしまいました。

駅前で遅いランチを済ませて、行列待ちの人たちの写真を撮り、ホテルに戻りました。

くまじい
阿佐ヶ谷生まれの73歳

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