神田明神

新宿浄栄寺に向かう途中、お茶の水で下車、神田明神に向かいます。

1月5日にお詣りしようとして、2時間待ちの行列に時間がとれず、断念したことは以前に書きました。

神田明神に到着すると、相変わらず、お詣りする人の人数は多いようですが、行列を造る程ではありませんでした。

くまの団地の公園

今まで随神門をじっくり見たことはありませんでした。

横に立っていた説明を読むと門の外面に、四縬が彫刻されているとの記載があります。

平城京遷都1300年記念ポスターで、室生寺を東の位置の蒼龍(青龍)と見立てて、室生寺のご本尊の如意輪観音様を載せていて、四縬について調べたことがありました。(「室生寺、40年ぶりの再開」)

中国の天文学起源で、蒼龍(東)、白虎(西)、朱雀(南)および玄武=亀(北)の四縬が都の四方の門に配置されていた、と言うものです。

2月8日神田明神随神門

改めて、随神門を見上げながら、一周して、四縬がおられることを確認します。

なぜか玄武だけは、亀さんと蛇が絡んだ彫刻となっていて、おや?と思いました。

四縬の大元になるのは二十八宿。

二十八宿とは天道を28のエリアに分割し、その各エリアあるいは各々のエリアを代表する28の星座(星宿)を指す。

28星宿を7宿ごとに4つに分け、各7宿を繋げた、形を4獣に当てはめ、龍、虎、雀、亀としているが、亀は甲羅に蛇がからむ姿を表すということで、正確には玄(黒)武には亀と蛇が描かれるということのようです。

ちなみに、五行思想にも、五色、五時、五方、五獣の考え方があり、各々下記のようになる。

木=青、春、東方、蒼龍
火=紅、夏、南方、朱雀
金=白、秋、西方、白虎
水=黒、冬、北方、玄武

上記に加えて、季節でいえばトランジッションの季節をあらわすのが、下記ということになる。

土=黄、土用、中央、黄龍あるいは麒麟

なお、土用は立春、立夏、立秋、立冬の4立の直前、18日間を指し、土用の始めを土用の入り、終わりを節分と呼ぶとのことです。

Wikipediaを参考にさせていただきましたが、おそらく、四縬と二十八宿の編輯者は異なっているのではと思います。書きっぷりが異なるように感じました。

自分の後からくる年配の女性達が例外なく、門の両脇に鎮座する神様に深く、お詣りして門を潜って行きます。

ガラス越しなので、光りが反射して、上手く撮れそうもないので写真はあきらめましたが、神田明神の説明を見ると、右の神様は豊磐間戸神(とよいわまどのかみ)、左は櫛磐間戸神(くしいわまどのかみ)。

熊本城域内の加藤清正公お手植えと伝えられている樹齢500年の楠を使用した一木造で、長崎平和祈念像制作者として有名な北村西望氏の監修、松下幸之助氏奉納とあります。

そういえば、若狭彦神社、姫神社の両脇にも神様が鎮座されており、気にしていませんでしたが、同じ神様なのでしょうか?

Wikipediaの”櫛石窓神社”の項にに下記の記述がありました。

『古事記』天孫降臨段ニニギの従者として「天石門別神」の名が見え、同神について「またの名を櫛石窓神・豊石窓神という」とあるほか「御門の神である」という。

『古語拾遺』:天照大神が岩戸から新殿に遷座したのち、「豊磐間戸命と櫛磐間戸命の二神に殿の門を守衛させた」とあり・・・・

『延喜式』神名帳 宮中の神祇官西院において「御門巫祭神 八座」として、櫛石窓神・豊石窓神が4面の門に各1座ずつ祀られている。

神話の世界での門の守りの神様ということらしい。

寺院の山門の阿吽の仁王像に相当するものは狛犬、あるいは獅子像と考えていましたが、鳥居だけでなく、門構えのある神社では四神と共に、門の神がおられるということなのでしょうか?

お詣りを済ませ、御朱印をもらいます。

屋根板の胴板修復の寄進の案内があり、一口寄進させていただきます。

くみ上げたときに、自分の名前を書いたシールを板に貼っていただけるとのことで、ご自分で書きますか、神社の方で書きますかと。

字に自信はないけど、自分の字が、屋根板に飾られるという有り難いチャンスは逃すことはないなと、シールを書かせていただきます。

まあ、と言っても、紙のシールですので、施工から、長くは持たないと思いますが、なにがしかの功徳を積み、極めて小さい印ですが、残して行きたい、そんな気持ちでしょうか。

今まで、永平寺の瓦、明通寺の檜皮葺きなどにささやかな気持ちを表してきました。

成田新勝寺と神田神社三の宮であらせられる平将門の謂われから、元旦に成田山に初詣に行く千葉県民としては、神田明神にお詣りするのは、いささか忸怩たる思いはありますが、これからも気にせず、お詣りをさせていただこうと。

平将門は皇室に背いた朝敵ではあるのかもしれないけど、武家の台頭の兆し、西の都に対する東の民の反発など、見方を変えれば、将門の気持ちを汲む立場というのもあるのかと思います。

神田明神公式サイトの歴史に下記の記事があり、東国武将の平将門に対する思いの一端が垣間見えるような気がします。

すなわち、太田道灌、北条氏綱など関東の武将が神田明神を崇敬していたこと。

徳川家康が関ヶ原に向かうときに、神田明神で戦勝を祈念。

勝利し、統一を果たして、江戸幕府を開くと、江戸総鎮守の宮として大事にしたことなど。

さて、浄栄寺に向かうかと、お茶の水に歩く途中、湯島聖堂にもお詣りします。

湯島聖堂

日本の中の異国を感じる不思議な雰囲気で、宗教を求める心とは別だと思うのですが、落ち着くのです。

以前、来たときに中庭で書道関係の市がでていました

今回もやっていたら、筆を買おうと思っていたのですが、そういう気配はなく、構内で孔子さん達が静かに佇んでいました。

「史記」の新書版を購入してお茶の水駅に向かいました。

くまじい
阿佐ヶ谷生まれの73歳

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