修学旅行の時に微かに方丈の白砂の庭のみが印象に残っています。
裏に広がる曹源池庭園とそれにつながる百花苑は全く 記憶にありませんでした。
南北朝時代を争った後醍醐天皇が失意のまま崩御。
時を得た、一方の旗頭であった足利尊氏が後醍醐を弔ったのが天龍寺なのだと。
後嵯峨天皇、亀山天皇が仙洞御所、仮御所を築いた地で、
後醍醐天皇が幼少の時代を過ごした思い出の場所なのだそうです。
三十三間堂の時の後白河上皇と同様、後醍醐天皇は面白そうだなと・・・
って、言い方、不敬罪に当たりますか・・・
閉門ぎりぎりまで粘り、今日は嵐電で帰ろうと話しながら振り返ると
夕焼けの空が見送ってくれていました。