飛騨の円空展

雨が一段とひどくなりますが、傘を忘れて、身体を丸めながら東京国立博物館に向います。

入り口には「王義之展」と「円空展」の受付がありましたが、やはり、前から考えていた「飛騨の円空-千光寺とその周辺のその足跡」に向います。

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東京博物館の外観を楽しみつつ、部屋に入ります。入った途端に、円空の空間に圧倒されてしまいました。

展示場の部屋はそう大きい部屋ではありませんが、部屋の中に、円空仏達が密度高く効率的に配置されています。

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荒々しく豪胆にかつ精緻に刻まれた、厳しい表情や、素朴で心がとろけそうな、優しい不思議な笑顔を浮かべた様々な木像が圧倒的な迫力で迫ってきました。

ぞくぞくっと興奮して叫びたくなるような気持ちでした。

「円空は寛永9年(1632)、美濃国(岐阜県南部)に生まれ、早くから小僧として仏門に入りましたが、長良川の洪水で母を失ったのを契機に寺院を出て窟ごもりや山岳修行するようになります。

三十三観音立像 千光寺
三十三観音立像 千光寺

美濃国を拠点としながらも、修行を重ねるため、遊行僧として全国を行脚しました。

法隆寺(奈良)、園城寺(滋賀)、輪王寺(栃木)などで受法して法脈を継ぎ、一方、修験者として大峰山(奈良)、伊吹山(滋賀)、二荒山(栃木)など霊山に登り、修行を積みます。

その足跡は美濃・飛騨・近隣の愛知・滋賀・長野などにとどまらず、近畿・関東・東北・北海道にまで及びます。

遊行のかたわらに寺院の住職や民衆たちと交流を深め、その途次に、立ち寄った集落で仏像を造りました。

悩み苦しむ人には菩薩像を、病に苦しむ人には薬師像を、災害に苦しむ人には不動明王像を、干ばつに苦しむ人には竜王像を、限りある命を救うために阿弥陀像などと、民衆を苦しみから救うため、仏像を刻み歩きます。

柿本人麿座像 東山神明神社
柿本人麿座像 東山神明神社

円空は訪れた土地の山林の木を素材にして、仏像を造りました。表面には何も塗らず、木を割った時の切断面、節(ふし)や鑿跡(のみあと)がそのまま見える像が多くあります。

やがて、一所不住ともいわれた円空は、自ら再興した岐阜県関市の弥勒寺に落ち着くようになり、そこを拠点に仏像製作の旅を続けました。

如意輪観音菩薩坐像 東山神明神社
如意輪観音菩薩坐像 東山神明神社

その頃には円空にも弟子が付くようになっていました。

円空は12万体の仏像を彫ることの願をたてて、達成後、還暦を迎えた円空は、母の命を奪った長良川を自らの入定の地と決め、元禄8年(1695)7月、弥勒寺境内の同川の畔で即身仏として素懐を遂げました。

円空は生涯に12万体の仏像を造ったと伝えられますが、今までに5000体以上が知られています。

円空の仏像は木の生命力を感じさせ、素朴で優しい円空の仏は江戸時代以来村人に親しまれ、今も多くの人の心をひきつけます。」

以上は「飛騨の円空」、「円空微笑み物語」、Wikipediaの記述をお借りしました。

円空については判らない部分も多い様で、記述が異なるものもあるので、内容を併せてしまったため、矛盾するところがあるかもしれません。

「この展覧会では、『両面宿儺坐像(りょうめんすくなざぞう)』など、岐阜・千光寺(せんこうじ)所蔵の円空仏61体を中心に岐阜県高山市所在の100体を展示します。

穂高岳、乗鞍岳など円空が登った山の名前を書いた像もあります。 林立する飛騨の円空仏。展示室に飛騨の森の空気が満ちることでしょう。 」

ビンズル尊者座像 千光寺 :円空自身の像とも
ビンズル尊者座像 千光寺 :円空自身の像とも

両面宿儺坐像は日本書紀にでてくる飛騨の怪物で、一つの身体に二つの顔があり、お互いに背をむけて頭の頂は一つだが項(うなじ)がない。左右の腰に剣を佩き、四本の手で弓矢を扱うという。

この怪物が朝廷に背き人々を苦しめたので、武振熊(たけふるくま)を遣わし征伐したという。これは飛騨の豪族が朝廷に帰順しなかったことを反映した説話だとされている。

狛犬 千光寺
狛犬 千光寺

円空の宿儺の両面は背中併せではなく、円空の像には珍しい、光背を背に正面を向いていること、弓矢でなく斧を手に持つことなど、書記と異なる姿となっている。

展覧会で購入した図録集に円空がなにを参考にこの像を政策したのか、詳細な考察がされていて、面白い記事になっていて、楽しめます。

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羅漢座像 第三百六十五号 五百羅漢寺 常設展

像が収蔵されている千光寺は武田家により焼失させられるが、天正16年(1588)に、領主の金森長近が避難していた僧、玄海を呼び寄せ再興させます。

玄海は「千光寺記」を表し、両面宿儺を開山の祖としているが、この姿も円空の像と異なり、斧は持たないのだそうです。

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不動明王立像 11世紀 常設展

結局、円空は何にに基づいて、この像を造ったのかについては解明されず、当時の千光寺住職と円空の創造による姿なのだろうと言うことです。

振り返ると、この空間こそ、「くま」にとってのパワースポットだった様な気がします。

何と言うか、室生寺金堂の立体曼陀羅での興奮に近かったのかと・・・興奮を引きずり、立ち去り難い気持を抑えて、外にでます。

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如来立像 群馬県 光性寺 常設展

まだ時間があるので、常設展を鑑賞させていただきます。

ピンぼけになってしまいましたが、常設展にも円空像がおられました。

ふと見ると、撮影禁止マークが付いている展示品と無印のものが混在しています。近代西洋美術館で見た覚えのある光景です。係りの方に確認すると、マークのない物は撮影は自由だということでした。

執金剛神立像 竹内久一 1893年  常設展
執金剛神立像 竹内久一 1893年  常設展

絵画コーナーには「湖畔」をはじめ黒田清輝の多くの絵が並んでしました。

いささか飽和状態になり、疲れて来たので、講演会の東京駅に向います。

<参照>
飛騨の円空-千光寺とその周辺のその足跡
東京国立博物館
「円空微笑物語」
Wikipedia

くまじい
阿佐ヶ谷生まれの73歳

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