【この記事を起こしたのは2013年の2月です。その後、些少でありますが、JALを利用しているので、現時点(2016年9月1日現在)の搭乗実績の比較を入れて改訂し、新規記事としました。
従前もそうだったのですが、使用した写真は、JALFaceBookページから無断で、ダウンロードさせていただきました。木星号の写真はWikipediaの写真を利用させていただいています。】
以下、本文です。
どこへやら行こうと、 JALのWebサイトにログインして検索中に、「生涯獲得マイル」という欄を発見。※現在は「生涯フライト記録」の名称になっているようです。
普段あまり、JALのサイトにアクセスすることはないので、昔からあったのか、最近設けられたものなのかは判りません。
自分の記録は下記のとおりになっていました。
最新の記録を併記しましたが、2013年から見ると、3万7千マイルの増加になります。
1年に1回の国際線利用のみで、国内線はゼロですから、まあ、上客とは言える部類ではないでしょう。(表中の回数は往復を2回と数えています。)
比較項目 | 2013年2月 | 2016年9月 |
---|---|---|
生涯マイル | 345,333マイル | 382,074マイル |
国内線 | 4,566 マイル | 4,566 マイル |
国際線 | 340,767 マイル | 377,508 マイル |
生涯搭乗回数 | 72回(国際線64) | 78回(国際線70) |
搭乗時間 | 920.9時間 | 1018.9時間 |
地球周回数 | 13.9周 | 15.3周 |
月往復該当回数 | 0.7往復 | 0.8往復 |
※生涯マイル、搭乗回数はJALグループ便、利用時の実績、生涯マイルは搭乗日時点の区間マイル。
この下に、自分のフライトの記録が一覧表で記載されていて、今まで搭乗したJAL便の全記録を手繰ることができます。
自分が一番最初にマイレージを意識してJALに乗ったのは、CAの奥さんを持つ会社の方に薦められてJALカードに入った時からでした。
記録のスタートは1993年のフランクフルト便になっていますので23年間の記録ということになります。
JALが属しているワンワールドグループのフライトを除いた記録のようなので、JAL以外のものも含まれていると、もう少しだけ、記録が増えるとは思います。
実績の下に、「この生涯マイルは地球を約15.3周、月まで約0.8往復、総搭乗時間は約1018.9時間に相当します。」の記載があり、これは面白いと。(前掲の表に記載しました。)
搭乗時間1018時間は、約42日間に相当。人生の中で1ヶ月半程度をJALの機内で過ごしたことになります。
出発やトランジットで、空港でじっと待っていた時間、平均3時間として、70回分は210時間(約9日分)を加算すれば、優に50日分を旅行にとられたていたわけです・・・まあ、苦痛というよりは、色んな思い出があり、面白かったです。
月への往復が0.8回というのはちょっと驚きです。
少なくとも片道分は超えているわけですから、月に到達する距離は飛んでいたんだと。帰って来れてないわけだけど・・・
まあ、自分は、比較的多いという程度で、旅行好きの人や、仕事で海外を飛び回る人など、とんでもない記録を持っている人達は山の様におられると思います。
アメリカを結構頻繁に、往復していたころは、UNITED AIRを利用していましたので、あの時にJALを使っていたら、倍増とまで行かないけど、マイレージが大分延びていた気がします。
記憶が定かではありませんが、3年間ほどで、回数20往復はちと言い過ぎくらいかと。まあ15往復、1往復約12,000マイルとして180,000マイルが加算され、これだと、月から帰還できてたかもしれません。
以前に書いた記憶がありますが、自分の海外出張の初期のころは出張はビジネスで行けたのですが、アメリカ往復を繰り返すようになった当時はエコノミー、しかもディスカウントチケットで行くようになっていました。
JALのディスカウントチケットはヨーロッパ便は1回だけ変更ができたのですが、北米のディスカウント便は変更が効きませんでした。
一方、自分のアメリカへの出張は予定が変わらないことはない、というもので、2回ほど、チケットを無駄にして、アメリカで片道のチケットを購入したことがありました。
そのうち、当該プロジェクトではJAL使用禁止令がでて、フライト変更が可能だったUAにシフトせざるを得なかった訳です。
UAでサンフランシスコを頻繁に往復した訳ですが、予定がころころ変わるので、フライト変更の電話たるや、何回かけたことでしょうか。
アメリカ本土のOffice(LAだったと思うのですが?)に電話していたのですが、日本語の担当の方がおられて、気楽に調整ができました。そのうちに、相手も、自分のことを覚えてしまって、いつか知り合いの様にお話するようになっていました。
ある日、その方がハワイのOfficeに移ることになったと、じゃあ、これでお別れかなと思ってたら、次回もその方がでてきて、ビックリ。日本語案内自体がハワイに移ったということでした・・・妙なことを覚えているものです。
UAでは、フリークェントフライヤーになると、アップグレードが比較的少ないマイレージで、できたので、途中からは、ビジネスで通うようになり、身体は楽でした。
ただし、当時のUAのビジネスクラスの食事たるや、ひどい物で(今は、わかりませんが)、和食の選択肢もあったのですが、アジアンテイストではあるけれど、日本料理とは以て、非なるものでした。アメリカの飛行機会社では肉料理を食べるべし、というのが自分の結論でした。
最近はエコノミー正規料金以下であれば、ディスカウントのビジネスに乗れますので、丁寧に探せば、楽な出張ができるようになっているようです。
稲盛さんの強力な指導力と社員の頑張りで戻ってきたJAL、再建に邁進するようになってから、JALに乗ると、乗務員さん達の必死な気持ちが伝わってきて、緊張感があって、いいなと思いました。
正直いうと、以前はANAの若々しい対応が新鮮で、JALさん、少し負けているかなと感じることもありましたが・・・
・・・自分は、これから何回乗るでしょうか?今のところ、海外への旅行はJALを利用していますが、徐々に、経済的に難しい状況もくるでしょうし・・・