5月24日(木)はお客さんの本店で打ち合わせ。
会社の人間と二人で出向きます。
彼は千葉の本社になんと平塚から神奈川、東京、千葉と3県にまたがって通う人間で、彼の直帰出来る時間設定をということで、打ち合わせは午後一ではなく、午後二に設定してもらいます。
往復約5時間近い通勤って、会社で10時間勤務とすると、合計1日15時間、気の遠くなるほどの時間を会社に捧げていることになります・・・
こちらはこちらで、午後二ということで、悪智恵が働きます。
朝敦賀を出て、どこか東京近辺の美術館寄ってからお客さんの所に行こうと。11時か12時に東京に着けば、時間は十分にあります。
パナソニック汐留ミュージアムで「ジョルジュ・ルオー 名画の謎展」が開催中。
汐留は行ったことないし、これに決めようと・・・
ミュージアムの自己紹介は以下の通りです。(一部略)
「パナソニック汐留 ミュージアムは、松下電工が1990年代末より社会貢献の一環として収集・所蔵してきた画家ジョルジュ・ルオーの油彩・版画作品を広く人々にご鑑賞いただくことを目的に、2003年4月東京本社ビルの建設を機に本ビル4階に開館いたしました。
初期から晩年までの油彩画や代表的版画作品などを含むルオー・コレクションは現在約230点で、これらの作品を館内「ルオー・ギャラリー」で常設展示するほか、ルオーに関連する企画展も随時開催しています。
また、パナソニックの事業と関わりの深い「建築・住まい」「工芸・デザイン」をテーマとする企画展も開催し、私たちの暮らしを豊かにする「人と空間」「人と”もの”」との新しい関係を探り、ご提案します。」
なぜパナソニックはジョルジュ・ルオーだったのだろう・・・という疑問に答えてくれる説明はありません。
自分はブリジストン美術館で見た、ルオーの下記の2枚の絵にかなり惹かれるものがありました。
不思議な暗さ、ヒタヒタとなにかが迫りくる落ち着かない不安さというのでしょうか・・・でも素朴な人物からにじむ微笑ましさが、最後のところで救いを与えてくれている・・・そんな感じがします。
「ジョルジュ・ルオーは1871年、パリの家具塗装職人であった父の下で生まれます。
当時フランスはプロセイン王国との戦争に敗れて、降伏しますが、抵抗するパリの民衆は「パリ・コミューン」を設立し、政府に抵抗します。
パリ・コミューンは2カ月で政府軍に鎮圧されます。最後の市街戦「流血の一週間」でおよそ3万人の犠牲をだしたという血なまぐさい時期に生を得ます。
ルオーは小さい頃から絵が好きで、14歳で彼の画才が行かせるステンドグラス職人に弟子入りする。仕事をしながら絵の勉強を続け、1890年にエコール・ド・ボザール(官立美術学校)に合格します。
ルオーの師匠、ギュスターブ・モローの基に、アンリ・マティスが現れ、ルオーはマティスとお互いに励ましあい、生涯続く親交を続けることになります。
モローの死後、発表の場を失っていたルオー、マティスは1903年にアルベール・マルケ、モーリス・ド・ブラマンク等とともに「サロン・ドートンヌ」を創設する。
マティス、マルケおよびブラマンク等は色彩表現の革命を起こそうとしており、色彩を視覚的効果を最大に高まるように配置することを追求していた。
美術評論家が彼らの革命的な絵と古典的な彫刻が混在するサロン・ドートンヌを評して、「野獣(フォーブ)の檻に放り込まれたドナテッロ(ルネッサンスの彫刻家)」と酷評した。
以降、マティス等は「フォービズム」と呼ばれるようになるが、ルオー自身は手法を異にしており、そう呼ばれることは否定したが、世間からはひとくくりにフォーブ派とみなされた。
ルオーが1906年から始めた陶器の絵付けの作品を見た画商ヴォラールに認められ、過去の絵の購入、アトリエの提供を受けるなどして、ルオーの生活が安定して行く。
また、サーカスの芸人、娼婦等を題材として、人々の苦悩を描き続けたルオーは第一次世界大戦の悲惨さを味わい、1910年代から平和を求めて、聖書を題材とした絵を描き始めると同時に版画も精力的に手掛ける。
今回の展覧会で大きな位置を占めている銅版画集「ミセレーレ」は下書きを1912年から描いており、1922年から実際の制作を始め、販売が開始されたのが1948年という大作である。
ルオーはヴォラ―ルの死後、遺族から作品700点を取り戻し、手を入れ続け、納得がいかない300点を焼却処分してしまいます。
ルオーはこうして自分の意志を貫きながら、80代まで精力的に制作を続け、1958年、86歳で亡くなります。」
(小学館 西洋絵画の巨匠 NO42 『ルオー』を参照させていただきました。)
フォービズムの意味は自分にはよく判りません。マティスの絵も自分は好きで、ルオーとは色に対する、考え方は確かに違うような気はします。
マティスに比べるとルオーは新しいものを求め、表現方法を変革していくことより、内面世界を見つめている・・・と言う感じがします。
でも、呼び方はともかく、ルオーの絵も色の使い方については、独自の色の世界があって、本人が意図せず「フォーブ」に通ずるところもあるのではないのかと。
汐留ミュージアムはさすがパナソニックの美術館というところで、個々の絵に合った照明を比較してみせる工夫もしてくれて面白いと思いました。
また、上に示した「秋」では版画の作成過程を見れる様に工夫されていました。各色の重ね具合を各工程の色を乗せたフィルム紙の模型を使って体験出来るコーナーもありました。
こうやって版画を造るのかと勉強になりました。
一部で壁に、「ビス」の穴跡が見えて、福井でちょっとがっかりしたけど、美術館の宿命なのかもしれないと・・・
本展覧会の「名画の謎」というタイトルは美術館がルオーの絵を入手した時に作品を精査することにより、絵からあ新発見された隠されている事実を指しているようです。下記の通りです。
・≪裁判官≫はトレーシングペーパーに描かれていた!?
・≪古きヴェルサイユ≫の内部には、まだ乾いていない絵の具がある!
・ハサミで切断されていた≪キリストと子供≫!!
・≪聖書の風景≫の裏面は前衛絵画!?
・キャンバス地に描かれているように見える≪マドレーヌ≫、でも実は・・・実は厚紙に描かれていたとのことです。
購入した絵ハガキを見ると、やはり1910年代から1920年代の絵が、自分には合うような気がします。30年代の絵も面白いのですが、独特の暗さがだんだんと薄れて行っているように見えます。
ルオーを専門に集める美術館として、作品を精査することにより、ルオーの技術について明らかにして行く試みは面白いなと思います。
鑑賞が終わって、汐留で食事をしようと思いましたが、至る所に大勢の人があふれています。新橋周辺のサラリーマン達が、食事をしに汐留に押し寄せているようでした。
時間に余裕がありそうなので、神田まで歩くかと思いましたが、えらく暑くて、普段、着ないジャケットまで来ているので、歩くと暑さで参ってしまいそう。
電車で神田まで行って食事をして、喫茶店で本を読んで時間を待つことにしました。