7月28日は枚方市に出張です。入院前に済ませておきたいことがあり、ちょっとタイトだけど、無理やりスケジュールを入れました。
駅前で、前に比べるとと少し雰囲気が変わったなと思いカメラを出して撮っていると、なにやら撮影隊が・・・
ユルキャラ「ツヌガくん」の着ぐるみでした。そう言えば、「ヨッシーくん」の着ぐるみも完成したというニュースがあったような気がします。
「ヨッシーくん」の着ぐるみは吉継のイメージ壊すような気がしてあまり見たくないな・・・というのがニュースへの反応でしたが。
初めて見るツヌガくん、しぐさが女性っぽくて可愛い・・・
といいつつ、「ツヌガくん」のモデルがお隣の銅像、だと言うことは寡聞にして知りませんでした。そう言えば最近、この銅像見るなと思っていたのですが、近くに行くこともなく気にしていませんでした。
銅像のお名前は都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)と言い、敦賀の語源になっている「ツヌガ」その人ということです。
敦賀は古来、角鹿と呼ばれていたが、その地名の由来は『日本書紀』に書かれている朝鮮半島からの額に角がある渡来人、都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)に由来するという説があるということです。
「崇神天皇のとき、加羅国の王子、都怒我阿羅斯等が,天皇に会おうと出雲を経て笥飯浦(敦賀市)へたどり着いた。
しかしながら、崇神天皇は亡くなっており、阿羅斯等は次の垂仁天皇に仕え、3年が経った。
垂仁天皇は崇神天皇のお名前、御間城入彦五十瓊殖尊(みまきいりびこいにえのすめらのみこと)をお前の国の名にしろと命じ、赤絹を与えて阿羅斯等を本国へ帰した。
これが、弥摩那=任那(みまな)という国名の起源となった。
その後、新羅国の兵が赤絹を奪ったので、以来この両国は恨み合っていると伝える。」KOTOBANK.jp「朝日 日本歴史人物事典」
福井ドットコムに下記の記述がありました。
この伝説に登場する都怒我阿羅斯等は実在したかどうかは不明であるが、この話は朝鮮半島から数多くの渡来人がやって来ていたことを示している。
敦賀には下図に示すように、朝鮮と関係のある神社が多いことと合わせ、当時の頻繁な交流を物語っているのだろう。
①信露貴彦神社: 飛鳥時代創立という神社で、その名前から新羅(古代の朝鮮半島にあった国)に関係があるとされる。(敦賀市沓見)
②白城神社:新羅と関係がある神を祀ると伝え、古代に敦賀に渡来した新羅系の人たちに縁があるとされる。(敦賀市白木)
③角鹿神社:気比神宮の境内にあり、都怒我阿羅斯等を祀る。(敦賀市曙町)
話は変わりますが、上記でお名前が出てくる第10代崇神天皇は「御肇國天皇(はつくにしらすすめらみこと)」と称えられている。
しかしながら、第1代神武天皇は当然、同様の呼称「始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)」と称えられています。
双方とも「初めての天皇」の意を表します。
第2代~第9代天皇に関しては「古事記」や「日本書紀」での記述が極めて少ないことから「欠史八代」と呼ばれ、創造の天皇であるという説がある。
また神武天皇は即位までの記述があるがその治世についての記述がなく、逆に崇神天皇はその治世の記述があるが即位の謂れの記述がないことから、もともと一人の足跡を二人に分けたのではないか、との説があるのだそうです。
上記のことから、崇神天皇こそが実在可能性が見込める初めての天皇であるとする説があるということです。(雑誌「一個人」‐天皇の謎と秘史‐)
サンダーバードの到着まで少し時間がありそうなので、内田屋さんで名物「カレー蕎麦」をいただきます。
中学の頃、カレーうどんと間違えて、カレー蕎麦を頼んでしまって、余りにも考えていたものと食感が違って、気持ち悪くなった記憶があり、それ以来、カレー蕎麦なるものを食べたことは無かったのですが・・・
美味しくいただき、ちょうどいい時間になり、再度駅に向います。
京阪電車の枚方市構内では、乗馬クラブのポニーが皆に愛想を振りまいていました。
仕事を終えて、帰る途中、激しい雷雨になります。
丹波橋で乗り換えて、近鉄を待っていると、一瞬構内が停電になり、焦りますが、電車の運行には問題ないようでした。
京都で乗り換えようとすると、人身事故があったらしく、雨とは関わりなく、大幅に電車が遅れていました。
敦賀まで1時間、デッキで立ちっぱなしのつらい思いをしつつ、帰りました。